| Vol.10 チベタンファミリーと過ごすした3日間 日本の平和を痛感したのでした。 |
| 2002/1/10〜1/12 残りの3日間は、チベタンファミリーと一緒に過ごした。ここの家族についてはいつかどこかで丹羽氏がまとめると思うのであまり触れないでおこうと思うが、一番印象に残ったのはカサンドルマという8才の女の子。母親の死後、チベットのちゃんとした教育を受けさせたいという親戚の意思で、3年前にチベットに住む父親や兄弟から離れて亡命し、現在難民として一人インドの寄宿学校に通っている。 ![]() 今回、チベット−ネパールの国境で3年前に別れた家族と再会するためにカトマンズの親戚の家にきている。丹羽氏はその再会の場に居合わせようと今回ネパールに来たのだが、チベットにいる家族から出発が遅れるという連絡があり、結局その場に居合わせることはできなかった。 私はチベタンファミリーの家でぼぉ〜っと過ごしつつ、彼女と折り紙やゴム飛びをしていっしょに遊んでいた。言葉の通じないせいもあるかもしれないが、彼女は一緒に遊ぶことはあっても決して甘えてこない。いつもポケットに手を入れていて何かを拒絶している。しっかりしていて、とても8才の子には見えない。こんなに小さな女の子がこんなにしっかりしてしまった背景を思うと切なくなってくる。私自身も数日後には帰ってしまう身なので、あまり彼女の内側に入って彼女が自分自身を守るために築いた砦を壊さないように気をつける。小さな子が自分を守るために作った砦は、目に見えるだけにこちらの胸が痛む。チベット教育を受けさせるためとはいえ、どんなに肉体労働が待っていても、父親や兄姉と一緒に生活していた方が彼女にとっては幸せなのではないかと、日本人の私は思った。こういう子供がもしかしたら世界中にはたくさんいるのかもしれない・・・と改めて思う。今の時代の日本に生まれて育った自分をとても幸せだと思う。そして改めて人って強いなあと思う。カサンドルマ、ちゃんと再会できるといいなあ。 ひたすらボダナートの周りをぐるぐる回ったりしながら過ごしていたのだが、最終日の1日は、せっかくなのでカトマンズからのマウンテンフライトに行くことにした。トレッキング中に会ったミズオ君がすんごい山の近くまで行くよと絶賛していたからだ。ボダにあるツアー会社で申込みをすると朝6:20にドメスティックの空港の方へ来いというので5:20に起床。 前夜、明日の早朝は一人勝手にちょっくら遊びに行ってくるので気にしないでくださいと言っておいたのだが、居間に出ると既にバター茶が。お父さんがパンケーキも焼いて出してくれる。あ〜ん、こんな朝早くからお騒がせ日本人ですみません。人の優しさに泣けてくる。なんといって感謝してよいか分からない。丹羽氏とパルエディンも起きてきてくれて申し訳なし。早朝からお騒がせしつつ、家の下でタクシーを拾っていざ空港へ。 ところが空港への道、霧がものすごく深くて前を見るのがやっと。タクシーの運ちゃん、国内線の空港の入口が分からないと騒ぎ出す。そしてどう見てもここは国際線の空港でしょ!ってところで、ここがドメスティックだと言い張られて降ろされる。仕方ないので入口へ行くとやっぱりこっちは国際線。国内線の建物は?と聞くと隣だと言われるが、とにかく霧が深くて先がまったく見えない。言われた方向に日の出前の暗闇の中、トボトボ歩く。ホントにこっちでいいのかなあと不安になった頃、薄暗いビル発見。これだあ。そんなわけで、毎日快晴だったのにこの日に限ってすごい霧。7:00発予定のマウンテンフライト、霧で空港が閉鎖になって結局飛行機が出たのは11:00だった。しかも後がつかえているせいか、エベレストが見えるとあれがエベレストだ、分かったか?と確認してターン。100ドルもしたのにわずか45分のフライトであった。ああ、またしても冴えない。 2002/2/13 上げ膳、据え膳で幸せだったチベタンファイミリーのホームシテイ生活もおしまい。なんだか寂しい。お父さんがカタをかけてくれる。ああ、とうとう帰るのだなあ。カサンドルマは台所に隠れてしまった。顔を出してバイバイという。ちょっとだけ関わりあってしまったから、カサンには幸せになって欲しいなあと心から思う。 帰りのシンガポール航空は2時間ほど遅れていて、丹羽氏の乗ったタイ航空の飛行機の方が先に出てしまった。日本を出てから2週間ちょっと。こんなに長く海外旅行をしたのは学生の時以来だ。でもあっという間だった。学生時代に社会学の授業でネパールの話を聞いて以来、ずっと行きたいと思っていた国。何が楽しいのか自分でもよくわからないのだけれど、こういう人との出会いがある限り、またこの国には来てしまうのだろうなあと思いつつ、一人でビールを飲んで酔っ払って寝た。 帰国してみると日本ではちょうど成人式をやっていた。テレビの報道をみると、なんだか日本の成人がとても子供に見えて、ちょっぴり哀しかった。 |