中小企業診断士(休止中)勉強日誌(2005年4月)

作成日: 2005-04-10
最終更新日:

小規模修繕

きのうは家の障子がいたるところで破れていたので、半紙に糊をつけてかたっぱしから塞いだ。 修繕の必要性を感じつつ、昔読んだ池邊陽の「デザインの鍵」を思い出した。 たとえば、次のような箇所である。

障子がすぐ破れるものだという問題が、逆にそれを使用する人間に対して、 破らないように使用するという考慮を与えたことは事実である。(障子は破れる)

また別の箇所で、イタリアの評論家ルドフスキーのことばを引いている

ひびの入ったガラスを花の形でとめていることが最も美しいデザインである

最初のことばに即していえば、障子はぞんざいには扱わなかった。 ただ、初期状態から5年が経過し、日光が直接あたる場所であるので、 風が吹くと破れやすくなっていた。仕方ないだろう。

つぎのことばはどうか。ルドフスキーはガラスのことに関していっているが、 障子の修繕にもあてはめていいだろう。 こちらは、破れた範囲が広すぎるために美しいデザインなど考慮する余裕がなかった。

床屋

私が行く床屋は、いつも同じである。髪を下洗いと本洗いしてくれるのが少し変わっている床屋で、 顔剃りもある、普通のコースの床屋で、普通の料金を取られる。 今流行の1000円床屋は一度しか行かなかった。 1000円床屋は安いし、早いから、普通に考えれば得である。しかし、なぜか行きたい気にならない。なぜだろう。

一つには、なじみの床屋は変えたくない気持ちが強いのだと思う。おそらく美容室ほどではないが、 好みの、あるいは同じでいたい髪型を知っている店主のところへ行きたい思いは、 他の種類の店より強いということだろう。

東京の葛西(かなり東のほう)にすんでいたとき、 葛西から電車で40分ぐらいかかる中野に住んでいる友達に会った。 どんな用事か聞いてみると、なじみの床屋に来たという。彼は以前、葛西に住んでいたのだった。 また、別の友達は、船橋になじみの美容室があって、 別のところに住んでいたときもやはり電車で40分かけて船橋まで行っていたというのだ。

私の場合は、さらに妙な使命感がある。小さな事業主を守るという意味でも、 むやみにドライな床屋には変えたくない、という思い込みがある。 この床屋では、気づかぬうちにフォーレの音楽がかかっていたことがある(FMラジオでだが)。 そんなことがあるから、私はずっと同じ床屋だ。

この考え方には危険がある。「変えたくないから変えない、という気持ちでいては、 ゆで蛙になってしまい、危険に気がつかない」いいでしょう。私はそのようなリスクがあることを承知で、 昔ながらの床屋に浸っている。(2005-04-10)


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MARUYAMA Satosi