中小企業診断士(休止中)勉強日誌(2005年2月)

作成日: 2005-02-16
最終更新日:

朝食べる子、勉強もできる?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050223-00000020-kyodo-sociの記事の抜粋である。

和歌山県教育委員会が県内の小学4年、中学1年計約2000人を対象に実施した調査である。 調査結果によると、小4で朝食を毎日食べる児童は86.7%を占め、 4教科合計の正答率は73.5%。食べない児童は0.8%で、正答率57.6%。  中1は毎日食べる生徒(85.7%)の5教科合計の正答率は62.7%、 食べない生徒(1.4%)は57.1%だった。 この結果、小4の場合は食べる児童と食べない児童の差が13.2ポイントもあり、 朝食べる子は勉強ができるというデータが得られた、としている。

これを次のように解釈しよう。対象の小学4年、中学1年はそれぞれ何人であったかはわからない。 そこでそれぞれきりのいい数字をとって1000人とする。これにより児童と生徒の合計は2000人となる。 そして、統計の都合上申し訳ないが、以下人を単純に量で捉える。
小4の場合次のようになる。
毎日食べる児童:867.0、うち正答637.2(=867.0*0.867)、誤答228.8
毎日食べない児童:8.0、うち正答4.6(=8.0*0.576)、誤答3.4
これをもとにして母比率の差の検定を行ってみた。

この結果、正答率が同じとするモデルのAIC(0)が1013.40、正答率が異なるとするモデルのAIC(1)が1014.63となり、 正答率が同じであるとみなすモデルがよりよいモデルとして採択されることがわかった。 もっとも、AICの差は1程度であるからはっきりとAIC(0)がいいとはいえないが、 「AIC(1)がはっきりいい」ということではない。 すなわち、「朝食を食べる児童は食べない児童より成績がいい」と断言することはできない。 ともあれ、単純に%の差で捉えるのでなく、母集団の多い少ないも合わせて考えるべきであった。

中1の場合はどうか。こちらは生徒である。
毎日食べる生徒:857.0、うち正答537.3(=857.0*0.627)、誤答319.7
毎日食べない児童:14.0、うち正答8.0(=14.0*0.571)、誤答6.0
同様に母比率の差の検定を行ってみた結果は、 正答率が同じとするモデルのAIC(0)が1153.49、正答率が異なるとするモデルのAIC(1)が1155.32となり、 正答率が同じであるとみなすほうが、よりよいモデルとしてみなされることがわかった。 これもAIC差が2程度だから、どちらが優れていると断言することはできない。 それでも、顕著な違いは統計上認められないということである。

ということで、今回の統計結果の発表は勇み足であった。どうしても統計上意味のあるデータを求めたい場合は、 もっとたくさんの母集団を対象にしないといけない。しかし、それには費用がかかる。 仮に、2000人の中で朝食をまったく食べない児童や生徒の割合が増えれば、 意味のある結果が出るかもしれない。しかし、教育委員会の意向は「みんな飯を食べて成績がよくなってほしい」 ということだから、朝食をを食べない児童や生徒が増えることは痛し痒しであろう。

だめ押しでもう一つ考えてみる。 仮に、朝食を毎日食べる生徒の成績がまったく食べない生徒より統計的に意味のあるデータが得られたとしよう。 しかし、それでも、朝食を食べたら成績が良くなる、という結果を導き出すことはできない。 たとえば、朝食を食べない生徒は生活習慣が不規則であり、計画的に物事を実行することが不得意である。そのため、 勉強をする習慣が身につかず、結果として成績がよくないのかもしれない。こういう生徒が、 朝むりやり飯を食ったとしても、成績が向上する見込みはまずないだろう。

推論の大事さを、私は野矢茂樹さんの著書「論理トレーニング」「論理トレーニング101題」で学んだ。 そして、モデルの定量化の重要性を、AICを構築された赤池弘次さんや門下の先生方の本で学んだ。 ここに感謝する次第である。(2005-02-28)

電車の中の仕事に用心

あるとき、朝の通勤で電車の中で座っていると、ノートパソコンを開けて仕事をしている人がいた。 見る気はなかったが、たまたま目に入った画面には、グループウェアによるポータルが表示されていた。 重要な情報があるかもしれない。電車でノートパソコンを忘れて個人情報が漏洩する可能性がある、 という事件が多く報道されているが、盗まれるだけでなく、脇からの覗き見でも漏洩する可能性もある。 そして重要な情報は、個人情報に限らず、企業の機密情報全体にある。

さてその人は、ノートパソコンに飽きたのか、パソコンの蓋を開けたままで、スポーツ紙を読み始めた。 画面には無頓着でいるのも困ったことである。一市民としてはその場で注意するわけにもいかず、 知らぬ振りをするしかない。

そう思って気が気でなくなったとき、私はうっかり、手で持っていたエスペラントの単語帳を落としてしまった。 落ちた単語帳の裏表紙には、しっかり私の名前が書かれていた。 私は物をなくしやすいので、いろいろな物に名前を大きく、表に、目立つように書く癖があるのだが、 個人情報保護の観点からは裏目に出た。物はなくさないように、 そしてなおかつ普通の環境では個人情報を知られないようにしないといけない。 (2005-02-24)


ファクシミリによる案内

勤務先にファクシミリによる案内がよく来る。しかし、たいていは捨てられてしまう。 原因はいくつかある。その中でもっとも初歩的なものは、「宛名を間違えている」というものである。 勤務先に来る宛名によくあるのは、「取締役 ○○様」となっている。ところがその○○様が、 人事異動や退職などですでにいないのだ。今では、インターネットのWEBページを見れば、 その会社の組織はすぐにわかる。なぜそんな簡単なこともしないのだろう。 正しい名前で呼びかける、という基本的なこともできないのであれば、 「営業のコツを教えます」という表題を見ても誰も信じない。 (2005-02-20)


誕生日プレゼントを考える

最近はBlogに時間を割いているが、私はこういった静的なページが好きだ。 そこで、Blogに出ていた例であるが、私はこのページで感想を書く。

誕生日が近いお客さんに対して、航空機会社が料金を割り引くなど優待するサービスがある。 あるとき、この誕生日サービスをスーパーシートで使った方が、 機内で客室乗務員から「お誕生日おめでとうございます」と言われたのだそうだ。 「やりすぎなサービス」に対して「ちょっとかっこわるいなぁ」とその方は感じたようだ。

私もその気持ちがよくわかる。ただ、具体的に「ちょっとかっこわるい」点はどこなのだろう。 現代国語の入試問題みたいだが、考えてみた。

どれも、「ちょっとかっこわるい」の説明にはなっていない。しかし、 「ありがた迷惑」の典型であることには違いない。

以上の事実を認めた上で、私なら鷹揚に構えるだろう。 なぜなら、年をとることは必然であり、祝ってもらうことは当然であると考えるからだ。 私の事例を挙げておこう。

誕生日近くになると、近くの食堂から「誕生日特別メニュー」のお知らせハガキがくる。 私はつれあいと一緒に行く。そして食事が出る前に、「ハッピーバースデーの唄を歌わせてもらっていいですか」 と店員が尋ねてくる。私がOKすると、食堂のピアノがハッピーバースデーのメロディーを奏でる。 そして店員が、私たちの卓の前で歌うのだ。必然的に、他の客の注目が集まる。 そして店員と他の客の拍手が送られる、そのような寸法だ。 以前は、このサービスは強制だった。3年前あたりからか、事前に断りを入れるようになった。

私は年をとったことを自然のこととして捉えたい。そして年齢を武器にしたい。そのように考えている。 そして、その覚悟を決めるのが、先の公開誕生会というわけだ。

私とつれあいにとっての問題は、誕生日が公開される問題ではない。 私とつれあいは誕生日が近いことだ。そのため、先の「誕生日特別メニュー」のはがきが別々に来ても、 同じメニューしか味わえないという問題が大きかった。 ただ、こちらについても、最近はメニューが選択式になった。そのため、 間隔をさほど空けずに行くのに抵抗がなくなってきている。 (2005-02-16)


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MARUYAMA Satosi