中小企業診断士受験勉強(2001年1月)


作成日:2001-01-04
最終更新日:

カルフール

電車の中吊り広告を見ていたら、週刊朝日が「カルフールは商売の基本がなっていない。 中小企業診断士が斬る」と書いてあったので珍しく買った。 ちなみに、カルフールとは世界第2位のスーパーマーケットである。 記事はたった2ページであった。中小企業診断士の意見が載っていたが、 「地震対策がなっていない」とか、「賞味期限直前まで牛乳が安くもならずに売られている」 という、誰でも見ればわかることしかいっていなかった。 これで商売の基本うんぬんを言われてもなあ。 私にとって興味深かったのは、むしろ日本のスーパーマーケットの経営者の意見だった。 「なんだかんだいっても、カルフールが日本におけるノウハウを学べば、 バイイングパワーが強いから、やがては日本をせっけんするだろう。 あと?年後には、日本の小売業の第1位はウォルマート、第2位にカルフールとなるかもしれない」 と述べていた。やはり、直接争う立場の者と、はたから見ている立場の者とは違う。

この日曜日、市内の公園へつれあいと出かけた。公園から駅へ戻るバスの中で、 若い男が女に言っていた。「こんな古風で暗い店で、人の往来がないところで、 よく商売やっていけるよな」 まさしくその通り。おそらくは旧日光街道だったその道は、今では往復2車線で、 専用歩道すらない。周りの建物も古い。 昔からこの街道で祭りがあるそうなのだが、車の往来ばかりが激しく、 ろくに祭りの客も来ないのだそうだ。 おかしかったのは、この往来にある越谷市商工会のビルがやけに新しく、 光っていたことだ。


つれあいの文句

このつれあいの文句とは、私に対する文句ではない。ある店に対する文句である。

きょう I という店でランチを頼んだ。ひとりだったからか、厨房と食堂の間の 通用口の近くに通された。ここは店員の通りが多く、また何もしない店員が近くに立っているため 落ち着いて食べられないところだ。 そして驚いたことに、今まではランチセットはすべて店員が持ってきてくれたのに、 今度はスープとコーヒーがセルフサービスになってしまった。スープを掬うおたまが小さいから、 大鍋にある具がうまく入らない。だいたい、セルフサービスは、 一旦席についた後でまた立ち上がらないといけないので、落ち着けず嫌いである。 やだやだと思っていると、店員の立ち話が聞こえた。「先月は 30 万円だったから」というのも 聞こえてきた。まったく、自分達が給仕をする手間を省いておしゃべりしているのかと思うと 腹が立った。おまけに、嫌な臭いを感じたのであたりを見まわしたら後でたばこを吸う人がいた。 ああやだやだ。食べ終わって勘定を払ったら、セルフになる前となんら値段が変わっていなかった。 まったくなんてところだ。もう二度と行かない。

この文句を一通り聞いて、俺はなぐさめた。 「おれたちが愛想を尽かしていかなくなった店はみなつぶれているよね。 この I もつぶれるよ。」しかし、つれあいは言うのだった。 「あの I はいろいろ目先を変えてくるから、なかなか客が減らないんよ。」 私達の呪が I に通じるのはいつの日か。

なお、この I が入っているビルは、店子(テナント)の出入りが最近激しい。 言い換えれば、潰れる店子が最近特に多いということだ。新たに入ってくる店子がなかなかつかず、 空いたままになっている個所も点在する。


人の説得

私の仕事は半分標準化で半分インターネットビジネスの仕事である。 両者をうまくたてるようにするにはどうすればいいかといつも考えている。 あるとき、インターネットのドメイン名について、 同じ部署の対外担当の方と実務の方が会話をしていた。 対外担当の方は、ドメイン名についての制約を知りたいことを何度も言っている。 そして、実務の方が、その制約について何度も繰り返して話している。 このときは、対外担当の方が他の用事のため、会話が終わった。 実務の方が私に向かっていうには「何度も同じことを言っているのだがなあ」 私は立場上「それなら文書化していますか」と問いかけることになる。 実務の方は「していませんねえ」という。この実務の方は文書化するだけの時間がないことは 私にもわかっている。しかし、何度も同じことを繰り返すのなら、 結局は文書を作ることが安上がり(コストがかからない)になる。 往々にして文書化はためにする仕事になってしまう。さて、身のある文書化とはどういうものか。 リファクタリングの名言に倣えば、「3度目からは文書化」かな。

この件は、私が文書化を担当しましょうということで引き受けた。ただし、全然書いていない。 次の日からは、珍しく私も忙しい日になりそうであるので、困ったものだ.


所信なるもの

新年だし新世紀だからたまにはたいそうなことを書こうとしたが、柄にもないことをするととんでもない目にあいそうである。 とはいえ、柄にもないことが言えるのも新年や新世紀だからこそである。

私が中小企業診断士の資格を取ろうとしたきっかけについては1999年の日誌のどこかに記したのでここでは略す。 その後、勉強を続けていく過程で「困っている中小企業を助けよう」とか、「起業家となって日本経済の立て直しに貢献しよう」 などとはこれっぽっちも思っていなかった。 代わりに「今の勤務先が潰れても資格があればとりあえず食う場所を捜す選択肢が増える」とか、 「自分がこれから経済を見る目が肥える」ということしか考えていなかった。これは申し訳ないことである。

私の勤務先の仕事は、品質管理の仕事とインターネット関連の仕事であり、 両者はほとんどリンクしていない。インターネット関連の仕事のほうはというと、 いろいろな部署からインターネットを利用したビジネスについて問い合わせを受けたり 企画をしたり、必要があれば設計をしたりということをやっている。私はぺーぺーだから、 企画や設計は行なっておらず、問い合わせの整理が主な仕事である。 ただ、首謀格の方から、おまえも設計をやるようにというお達しが来ている。 そのときに、この診断士の勉強の過程で身に付けたビジネスセンスのいくつかが 活かすことができれば、とは思っている。

私が以前の勤務先を辞めるときに、その勤務先のボスに、 辞める理由として多くの現場に行きたいということを言った。 おまけに「いずれはコンサルタントを目指しています」ともののはずみでまくしたてた。 私が辞めた本音はこれよりは消極的な理由であった。 まして、コンサルタントという海千山千の仕事がまりんきょに勤まるはずはないだろう、 と私を長く知る人は確信しているだろう。私だってそうである。 ところが、もののはずみで、コンサルタントとしてお上の御墨付きのある資格を得るところまで あと一歩と言うところまできた(あと一歩は一年以上あるけれど)。 何があるかはわからないものである。

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