中小企業診断士受験勉強(2000年12月)


作成日:2000-12-03
最終更新日:

掲示板の流行る理由

掲示板の流行る理由をもう一つ考えてみた。時系列に整理できるからではないか。 もう一つ、変更が難しいからではないか。うーん、これもあたらないかな。

私自身も掲示板を開設している。さして実のあることが書けるわけではないが、 問い合わせに対してまるで無視するのもどうかと思うので(意図的に無視することはある)、 私の他のページと重複しない範囲で、できるだけのことを書くようにしている。 でも、一定の期間内で書くことはけっこうきつい。

むかしどこかで、インターネットビジネスに対する48 時間ルールというのを聞いたことがある。 企業は、お客さんからの電子メールや掲示板の問い合わせに対して 48 時間以内でなんらかの応答(あるいは対処)をしないといけない、というものである。 これを目標にするのは大変つらい。それでも、いついつまでに回答する、 という第一次回答は 48 時間以内を目標とすべきなのだろう。

それから、掲示板に記事を書き込むと、通常のページに比べて保守がしにくい。 こっそり誤字脱字を直すなど、私は自分のページでしょっちゅう行なっている。 人それぞれだから、どうでもいいのであるが。

私の勤務先で仕事に情熱を燃やしている方に「企業診断」を見せた。 この方は経営工学を学んでいるので、中小企業診断士にぴったりであろう。 興味をもっていたようなので、問題集を持ってきますよと私は約束した。 来年まで、私が覚えているだろうか。


広域市町村圏

診断士関係でホームページを開設したという話をきくと、御祝儀として一度だけあいさつする。 そのあとは特に何もこちらからは言わずにその後を見る。たいてい掲示板ばかりが盛り上がっている。 この理由を考えてみたが、わからない。ひょっとしたらと思ったのは、 ソクラテスが実践した「産婆術」ではないかとも思ったのだが、私が見る限りはどうもソクラテスの 産婆術とは違うようである。わたしはソクラテスの対話編をこよなく愛する者だから、 巷の掲示板を見ているとつい辛い評価になってしまうのだろう。

埼玉県には現在地域中小企業センターが 3 個所ある。所在地はそれぞれ浦和、大宮、熊谷で とても広域市町村圏とはいいがたい、という話をどこかでした。これはたぶん自分のページ には書いていないと思う。今は抜けてしまった某メーリングリストに投稿したのは覚えている。 4 個所めができたそうなのだが、これは川口である。まったく広域市町村圏というのも あてにならないものだとつくづく思う。

註:現在は南部(浦和)、北部(熊谷)、中央(大宮)、川口、西部(川越)の5個所である (2003-12-01)。


あちゃー

先のメーリングリストには自己紹介をした。しかし、特に反応もないので、ROM に徹する。

きょう勤務先で会議があった。この会議で、ある会合をキャンセルすることが決定された。 わたしはこの会合があるから中小企業診断士の 3 次実習を諦めたのである。 その会合がないとそのときまでにわかっていたら、申し込んでいたのになあ。 私の知り合いの方で、 3 次実習のお金を振り込んだあとに事業の立ち上げ(だか後始末)の ために泣く泣く3 次実習を見送った方もいる。また、この間の会合のときに 「私は 2 次試験で全精力を使い果たしてしまったので、3 次を受ける気力さえないんですよ」 とおっしゃった方もいた。このような方と比べては、私はまだ幸福であろう。 もちろん、「おまえの日頃の行ないが悪いからだ」といわれると、返す言葉もない。

いざ合格したら気がゆるんで、中小企業(診断士)のことは何も書かなくなってしまった。 ここの日記だけには書かずに、他のページにも書くようにしますので、 なにとぞ御声援をお願いします。

いつもいっている通り、私はよそさまや自分の掲示板にあまり書き込まないようにしている。 その代わり、ホームページには努めていろいろなお話(情報というには粗雑すぎる)を 載せるようにしている。どこまで続くのだろう。


仁義

中小企業診断士である A さんが主宰するホームページには、多くの方々が出入りしている。 その方々の集会を Y さんが企画したので出かけていった。 私は隠居の身であること、翌日私が出るコンサートがあることを理由に出かけるのをためらっていた。 それに、A さん主宰のメーリングリストを辞めてしまったし、 掲示板にもめったに書き込みにいかない。そのため、出る資格はないと思っていた。 しかし、A さんからお誘いの電子メールが来た。 さて困った。やはり、2 次合格のお礼を言わなければ仁義がすたる。 仁義を切りに出かけることにした。

集合時刻にはなんとか間に合った。 面白かったのは、宴を始める前にみな名刺の交換をしあっていることだった。 私は A さんの集会には第1回(去年の一次試験後)から出入りしているが、 そのときはもちろん、前回もそんなことはなかった。宴の後の散会直前に 交換をしているのは覚えているけれど。 それだけ、みな大人になってきているということなのだろう。

私が話を聞いたのは半分強の方々である。 既に診断士としての資格を活かした活動をしている方もいる。 企業内にいながら診断士関連の仕事をこなしている方もいる。 またこれから診断士の資格を取ろうとしている方もいる。 皆さんに共通なのは、元気である、ということだ。 私は隠居の身なので、自分の不元気をばらまき、皆の元気を吸い取る役目に徹した。

宴の半ばあたりで、A さんにお礼の言葉を述べた。 A さんは私の(診断士関連の)ホームページを読んでいる珍しい方で、 「誤植のページを書いていらっしゃいましたねえ」と笑って言った。 私は、はあ、という気の効かない言葉を返すに留まってしまった。 自分が見つけた誤植はまるで覚えておらず、 N さんが見つけた「中小企業給食事業団」だけを鮮明に覚えていたからである。 このあたり、もっと修業が必要であろう。 A さんに「お仕事は順調ですか」と尋ねると、仕事の内容を説明された。 「仕事が山のようにあってお困りでしょう」と多少からかい気味に突っ込むと、 「山のようにはないけれど、当分は仕事があるから大丈夫です。なくなったら考えるけれど」 とあっけらかんと答えていた。まあ私は無礼なことを書いてもいるけれど、 それらにまるで触れないのも A さんの度量の大きさであろう。

他にも、Y さん、N さん、K1 さん、K2 さん、K3 さん、 M さんなどとお話をさせてもらった。隠居の私にはいい経験になった。

K さんからは某メーリングリストへの入会を勧められた。わたしは診断士ではないことを理由に 逡巡したが、結局は入会を承知した。早速翌日からそのメーリングリストから電子メールが来ていた。 自己紹介をせよと K さんはおっしゃっていたが、どうしよう。

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