2000.7.22第6回総会
         田中秀征元経済企画庁長官講演
           「今、日本の政治を考える」


             【講演要旨】
「そごう」問題は全ての社会組織に共通している
1990年前後に政治と経済の両面で大きな変動期に見舞われた。冷戦の終焉とバブルの崩壊だ。その中で、実質的な国の目標があいまいになり、今までのシステムを壊して変えていかなければならという課題を突きつけられた。結果として宿題は解かれないまま今もって続いている。細川内閣以来7年間、政治は何も変わっていない。 私は「そごう」の社長が「このような国民的批判を予想していなかった」と発言したことに衝撃を受けた。というのは、30日の発表された段階で誰も「そごう」に買い物に行かないということは分かっている。そういう当然のことを「そうごう」の経営者は分からなかったということだ。そういう顧客の気持ちの変化を全く勘案しない計画というものを「そごう」も興銀も新生銀行も預金保険機構や金融再生委員会にいたるまで関係者・当事者全てが行ったことは衝撃的だ。
産業再生会議は過剰債務と過剰人員と過剰設備の三つを処理すれば産業は再生するといった。
これは「そごう」の再建計画と同じで、根本的なところに全く働きかけていない。「雪印」もそうだが、一言でいえばブランドに甘えているということだ。現場というものを全く見なくても経営をやっていけるんだ、という錯覚。これは、全ての社会組織というところまで共通して言えることだ。

日本は出火責任者が消火にあたっている
組織益を公益と錯覚するそういう風潮がある。あらゆる社会組織というものは社会的役割を果たしているからこそ存在が許されているもので、それを忘れてしまっているということに一番大きな原因がある。97年の経済危機では東アジアの国はほんの2.3年で立ち直った。東アジアがたくましく立ち直った理由というのは明確だ。それは責任の危機を招いた責任というものを厳しく追及したからだ。日本は出火責任者が消火にあたっている。 その一番の根幹は官僚組織の問題が大きい。日本の官僚組織は政治勢力だ。これは古今東西こういう官僚組織はないと思ってよい。官僚組織というものは外から方向を与えられて、それに従って働く社会システムだ。自ら独自の動きをするそういう存在ではないはずだが、明治以来の官僚組織というのはそうであって、戦後改革によっても統治者意識に変わりがなかったばかりか、戦前明らかに自分たちの頭の上にいた天皇制というものが無くなったことで、もっと強い統治者 意識が作られた。

政権交代は必ず政策転換を伴うものだ
日米防衛ガイドラインを決めたのは事務レベルだ。しかし、日本とアメリカでは事務レベルの質が違う。日本の場合には事務レベルというのは官僚組織そのもので、政治の意向を受けていない事務レベルだ。ところがアメリカの事務レベルはいわゆる政治的認容だ。政治と一体の事務レベルで、何千人という人が関与している。 オーストラリアは総理が乗り込む時に、32人もの同士ををつれて行く。弁護士、企業人、学者、言論人・・そういう自分が総理になるためのビジョン・構想にタッチした人達、あるいは長年の信頼関係がある人達を大挙して特別公務員に仕立てて行く。それで、今まで持ってきた総理になるための構想を政策として、あるいは法律として具体化する、そういう役割を果たす。政権交代というのは必ず政策転換を伴うものだ。オーストラリアの30数名の人達はその政策転換をする時の原動力になる。そういう体制がなかったら総理大臣なんて務まるはずがない。

日本の官僚はしたたかだ
96年に内閣法の改正が出来て、内閣総理大臣補佐官を取り入れようという対策がなされた、つまり法的根拠が付いたわけだ。しかし、このときに内政審議室長とか外政審議室長を局長クラスから次官級に格上げしろということが含まれた。これは行政がよくやることだ。行政改革の案を審議会にかけると、あの権限を削れとかあの機構を削れとかいうものの他に省庁の権限の拡大を図るものとか機構の新設しいうものを含ませる。つまり必ずパックになっている。 法律案を与党とすりあわせしている時に、土壇場の土壇場でいよいよこれで終わりだという時に、「内閣総理大臣補佐官」が「内閣補佐官」に変わってる。「どうしたんだ」といったら、「ちょっと名前が長すぎるので」とそういうことを言う(笑)。気づかれたらしょうがない、気がつかれなかったらこのまま通す、という、こんなことは何時間かかっても話しはじめたらきりがないほどある。それくらいしたたかだということだ。 やはり政治の方が明確な政策転換を方向指示と一緒に示さなければ、惰性で今までの勢いで進む、今までの流れを進む、省益とか局益とか組織益に基づいた方向に進んでいくのは当然のことだ。そういう意味では今、日本の統治構造そのものが、非常に重要な問題としてある。

構造を解きほぐしていくことが大事だ
構造改革は抽象論で済むような議論ではなく、今回の選挙でも民主党が、もし具体的に一つ一つ明確に掲げたら今回の選挙で民主党はひっくり返すことが出来たと思う。私が言う構造改革というのは単に経済の構造改革のみを言っているんではなくて、政治構造、行政構造、なおかつこれに連結構造というものが加わる。連結構造というのは具体的に言えば、天下りとか斡旋利得とか、関係をつなげている構造だ。そういう4つの構造を一つ一つ解きほぐしていく、これが大事だ。そういう努力をしていかない限りはどんな意味でも立ち直れない。 日本経済を言うときに、例えば、ほっといたら倒れてしまう木があるとすると、その木と木の空きのところにベンチャー支援なんていうことを言っている。しかし、水分や養分をやると巨木の方が吸い込む。結局、倒れそうな木が倒れないで済む。だからベンチャーなんて支援することはない。邪魔しないような心掛けのほうがよっぽと大事であって、支援だ支援だと言いながら、結局は最大の邪魔をしてる。 政治の世界でもそうだ。新しい人材は出ない。また、そうところで出てくる人はろくな人がいない。まともな人は選挙にだけは出ない。とことんスキャンダル合戦みたいなネガティブな選挙になってくると、いくらスキャンダルで叩かれても平気だという人だけ生き残る。例えば離婚歴があるなんて言われたら誰だって嫌だ。そのこと自体は法的に間違いでもでもなんでもなてということであっても、人に知られたくないということは誰だってある。そういうことが全部さらけ出されるということは耐えられないというのがまともなのだ。何さらけ出されても平気だという、そういう人達だけが議員になったり首長になったりするという、こういう政治風土では人材が出にくい。 しかし、そうかといって私は絶望はしていない。こういうことは時間的にも社会的にも持つはずはない。今回の総選挙でも民主党は有権者の意思を全部吸い上げることは出来なかったが、意思は明確に示されたと思う。政治の流れや思いをくみ取り、責任をもって方向を打ち出していく、ということが大事だ。


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