大津陸軍墓地から日清戦争で亡くなった兵の墓地


大津市は、軍都としての過去を持っています。
 元号が明治と改まる前から、新政府は、京都に近く琵琶湖もあるこの地に、軍事基地をつくる計画を持っていました。それは、明治7年の大阪鎮台大津営所の設置と第九連隊の移動によって現実化します。
 それから、15年戦争が終わるまで、陸軍だけではなく、海軍もこの地に軍事基地をもつにいたり、軍都の様相を深めます。
 戦後は、米軍がこの地に進駐します。それが撤退した後、かつての第九連隊の跡地は、市役所や大津商業、陸上競技場や球場に姿を変えました。
 それでもなお、琵琶湖岸には、自衛隊の教育部隊の基地があります。
 1990年代から、強化された憲法改悪の動き、教科書の歴史的記述の改ざんなど、「過去」への攻撃が続いています。
 大切なことは、真実であり、どのようなものであれ、自らの過去に向かい合うことです。
そのことではじめて、未来への財産となると思います。
 2007年9月、何十年ぶりかで、旧大津陸軍墓地に足を向けました。
 そこで感じたことは、そこに、今こそ、私たちが向かい合わなければならない過去が墓碑という姿で横たわっているとこうことでした。
 仕事の合間の時間を使いながら、この旧大津陸軍墓地の真実に迫りたいとブログで書き続け、いまサイトとして立ち上げようと思うのです。

               2007年10月11日
                  旧大津陸軍墓地を考えるサイト管理人BIN★ 

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