回 ・ ヤナギハラ ヨシミツ 怒鳴られた


俺が気づいた時、あたりは暗かったが、真っ暗って訳じゃなかった。
上を見上げると、はるか頭上の大きなギザギザした穴から、青白い月光が差し込んで、
俺の落ち込んだ九龍下層区域の底を照らしていた。

上ったばかりだった月が真上に来ちまっている。
腕時計を見ると2000時。
大分、長い間、気を失っていたらしい。
なんだか、背中とシリがヒリヒリする。
首をめぐらせて見てみると、幸い、穴こそ開いてなかったが、強化皮革性の服が、だいぶ、すり切れてた。
どこかケガをしていないかと、びくびくしながら全身を調べてみたが、奇跡的に打ち身だけだった。
どうやら、転落したのは大した高さでなく、すぐにどこかの斜面に引っかかり、そこからここには
ダストシュートに入れられたゴミのような要領で滑り落ちてきたらしかった。
目をこらすと、穴のあちこちから、幅広の鉄骨や、コンクリ柱がいろんな角度で突き出していた。

ウメさんとカワミナミ先輩も、俺と同じような目に遭ったんじゃなかろうか?
しかし、ここまで、建造物の傷みが激しくなっているんじゃ、いつか、九龍区域一帯が
地盤沈下…というか建物沈下を起こして完全水没する日もそう、遠くないだろう。

「とにかく、上に戻らないとな。」
俺は、上層区域に戻る道を探して、カンを頼りに、サビくさいトンネルを歩いていった。
あちこちの天井穴から、射し込んでいる月光が、俺の足元にくっきりした影を描いていた。
夜更けの九龍の底だってのに、あたりは気味悪い位に明るい。

しばらく、行けるまま道なりに歩いていた俺の耳に、突然、女の叫び声が飛び込んできた。
立ち止まり、耳を澄ます。
もう一度。
確かに人間の女の悲鳴だ。しかも、聞き覚えのある声…
俺は回れ右をすると、声の聞こえてきた方角に賭けだした。


二つ目の曲がり角を曲がったところに、そいつらが転がっていたので、俺は、危うく蹴り飛ばしそうになって急ブレーキをかけた。
体高2メートルってところで、ちょっと太り気味の人狼が、ひっくりかえって暴れている若い女にのしかかろうとしていた。
むさくるしいオスだった。
人間から獣に移行している途中らしく、中途半端にグロテスクでいかがわしい格好をしている。
毛むくじゃらのエロオヤジなカンジ…

それはともかく,襲われてる女の悲鳴の凄まじさに、俺は耳を塞いで逃げ出したくなった。

なんというか、ギャーギャーと罵詈雑言の限りを吐き散らしているのだが、人間の出せるような声じゃない。
たとえて言うなら、パチンコ屋の宣伝カーが流す「ピョイーン」とかいう宇宙音のようなものを人声に変換したもの…と言えば判るだろうか。
その声のせいだかどうだか、女にのっかかっている人狼も、耳を倒してピッタリ塞ぎ、なんとなく動作が鈍かった。

俺は一人だけ、こういう声が出せる女を知っていた。
断じて、カワミナミ先輩じゃない。
俺の敬愛する先輩は、こんな地球外生物みたいな超音波ボイスは発しない。
先輩の悲鳴は聞いたことないが、きっと、とても、スゴク色っぽいに相違ない。
失礼して、先輩を、シバかせていただいたら、どんな感じなんだろう…
想像して一瞬、ニヤケてたら、襲われてる女に怒鳴られた。

「ギャー、このバカ!バカバカバカバカ!早く助けてよ、バカ、ヨシミツのバカーッ!」

イヤと言うほど、バカ連呼されたので、助ける意欲も失せたが、ほっとくわけにもいかない。
「頭、下げな。」
言うや、俺はムチを引き抜きざまに、一発御見舞いした。
ウム、快心の一撃。クリティカル。
俺のムチは人狼の首根っこに巻きついていた。それを瞬時に引き戻す。
ゴリッ。
小気味いい音がして、人狼の頭は180度回転してた。
強化皮革の特別製ムチの強靭なシナリと、この俺の技量のなせる技。
ムチ先はもう手元に戻っている。
手早くまとめて、肩にかけた。
ハンターは腰にムチをぶらさげるヤツが多いが、俺は肩だ。
柄を胸の前にたらしとくと、すぐにシュルッと引き抜いてシバケル。
ジャケットも強化皮革だから、それができる。
普通の布じゃ、摩擦で肉が削げちまう。

首がねじ折れた人狼はドッと倒れこみ、ビクビク痙攣していた。
襲われてた女は、すばやく横に転がったらしく、人狼の脇にペタンと座って、息を整えている。
俺は、彼女に近づいた。
「よう、大丈夫かい?どうして、ここに…」

とたんに下からガツンと食らった。
あご下に、まともに掌底。
思わず、後ろによろめき、目をぱちくりさせてる俺に、彼女は普通の声でわめき散らした。
「もう、ヨシミツ!どうしてすぐに助けてくれないのよ!?
ニヤニヤ笑って見てるなんて、ヒドイじゃないのよ?」
「いや、あのアレは…」
先輩のシバカレ悲鳴を妄想してたとは言えない。
「危うく、オヨメに行けなくなるとこだったんだからね!そしたら、ヨシミツ、どうしてくれるのよ?」
食われたら嫁に行くどころじゃないだろうと思ったが、俺は黙ってた。
この女相手に余計なことは言わないに限る。

女は近くに転がっていた鉄パイプを拾い上げて背に背負った。
「…とりあえず、アリガトね。」
可愛いと言えなくもない顔で、ニッと笑う。
ショートカット。場違いな白い開襟シャツに黒いタイトスカートと同色の鉄筋レガース。
いかにも能天気そうな明るい目をした赤毛のバカ女。
ドウマエ・サナ。

俺が助けた女は無免許のワーウルフハンターだった。

       To be continued…