南九龍区域はなにやら、ゾクゾクするような空気に覆われていた。
山水都市の西に広がる九龍区域は、巨大な水上高層建築スラムとでもいうべき場所だ。
世紀末世界異常が起こる前は、もともと100メートルを越える超高層ビルが群立する区域だったらしいが、地震で地盤沈下を起こしたうえ、海水面上昇でほぼ水没。
半分、水没した高層ビル群に不法に住みついた人々が数世代に渡り、水面上に顔を出してる部分に橋や通路やらを張り巡らせた結果、現在の高層迷宮めいた姿になっちまっている。
九龍区域は現在、東西南北、4つの区域にわけられている。概して治安が悪い区域なのだが、西は比較的安全で、山水都市で働く日雇い労働者や、ホームレスなんかがひしめいてて、割と活気がある。逆に、南は相当、物騒な無法地帯となっていて、カタギの市民は近づかない。
ワーウルフの出現率が高いのは西九龍だ。
が、今回の騒ぎが起こったのは南九龍。
今まで南九龍ではほとんど、目撃報告はなかったんだけどな…まあ、物騒なとこだから、ワーウルフが現れても、表沙汰にならなかっただけかも知れないが。
俺は、鉄条網の巻き付いた高い鉄サク門を乗り越えると、今にも崩れそうな水浸しの廃墟ビルの中を、てくてくと歩いていった。
鉄サク門を越え、この廃墟ビルに入ったときから、もう、南九龍区域内だ。
危険地帯であることを記した黄色と黒の警告看板が錆びついて、半分、水溜りに沈んでた。
辺りにヒト気はない。
それでも、どこからか誰かに見られているような気がした。
時刻は1800時。
できれば夜には来たくないとこだが、ワーウルフは夜しか出ないし仕方ない。
上ったばかりの満月が、崩れた壁の隙間から、ビルの中を照らしてた。
ウメさんから最後に連絡があった「え−2947地点」に向かう途中で、俺は早くも
ワーウルフに襲われた。
イキナリ、アタマの上に降ってこられたんで、ちょっとビックリした。
鉄骨が入り組んで、キャットウォークのようになってる天井に潜んでたらしい。
ヤツラ特有の錆びと獣くささが混じった匂いがして「ヤバイ」と思った時には、もう、ヤツは俺の顔に向かって、宙に飛んでた。
反射的に横飛びに転がって逃げたが、俺は、いつもなら、こんなに近づかれるのを許しはしない。
俺が鈍っているのじゃない。
このワーウルフが並のヤツより、敏捷で、気配を消すのが巧かったのだ。
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