【スロヴェニア人の命と誇りを守ったトリグラウの山小屋の話】



スロヴェニアの最高峰、標高2864メートルのトリグラウ山。
【トリグラウ】とはスロヴェニア語で3つの頭という意味で、てっぺんに3つの頂が並ぶ
その姿からつけられた名前です。古くからスロヴェニア人たちは、聖なる山としてトリ
グラウをあがめ ”一生に一度は登りたい山” としてこよなく愛してきました。
今回は、そんなトリグラウ山にまつわる一つの物語をご紹介します。

スロヴェニアは、その昔オーストリア帝国の支配下におかれていましたが、
そんな時代でも、やはりスロヴェニア人たちはトリグラウ山を、スロヴェニアの誇り
としてあがめ、多くの人々がその頂を目指して登りに行きました。

そしてこの物語の主人公、スロヴェニア人の牧師アリヤジュ氏も、
トリグラウを心から愛する一人。その日も、多くの登山者とともに、トリグラウ山に登っていました。
しかし、山頂近くで天候が突然崩れだし、嵐がおこったのです。
標高2864メートルの山の上での嵐、落雷で命を落とす人も多い山中では、
一刻も早くどこかに避難しなければ、生死に関わります。
幸いトリグラウの山頂には小さな山小屋がありましたので、早くそこへ逃げ込もうと、
牧師もほかの登山者たちと一緒に、山頂の山小屋を目指して急ぎました。

ところが、やっと山小屋にたどり着いたその時、信じられない事がおこったのです。
【小屋はもう満員だ。スロヴェニア人は、小屋に入ってはいけない!】と言われ、
嵐の中に放り出されたのです。当時はオーストリアの支配下にあったので、
山頂はオーストリアの土地であり、せまい山小屋に避難できるのはオーストリア人だけだというのです。

牧師はこの理不尽な出来事に激しい憤りを覚えました。
そして、命からがら逃げ帰った後、ある考えを思いつきました。
それは、教会のお金を使って山頂の土地を買い取ろう、というものでした。

それから牧師は、お金をかき集め、当時の金額にして5ゴルディナルという金額で
本当にトリグラウ山頂の土地を買い取ることに成功したのです。
そして1895年8月7日、山頂に新しい山小屋を建て、その山小屋に一つの厳しいルールを定めました。
それは…
【山小屋に入ろうとする人がいれば、たとえどんな理由があろうとも、必ず入れなければならない】
というものでした。


その山小屋は、落雷から命を守れるようにと鉄で作られた独特の建物で、
【アリヤジュの塔】と呼ばれるようになりました。
この出来事は、永きにわたって他民族に支配されてきたスロヴェニア人たちに大きな誇りと勇気を与えました。
その後ほかの山にも次々と山小屋が建てられ、スロヴェニアの山が、
【スロヴェニア人の山】になっていったのです。
このアリヤジュ氏の功績は、スロヴェニア人の間で今も語り継がれ、彼がいなければ、
スロヴェニアの歴史は違うものになっていただろう、とも言われています。



その後、ユーゴスラビア連邦を経て、晴れて独立国となったスロヴェニアです
が、現在のスロヴェニアの国旗にも、トリグラウの3つの頂が国のシンボルとし
て誇らしげに描かれています。

 




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