【もう一つのベルリンの壁 】


スロヴェニアの西部にノヴァゴリツァ市という町があります。
イタリアとの国境の町です。国境の向こう、イタリア側の町の名前はゴリツァ市。
ノヴァゴリツァというのは新しいゴリツァという意味なのですが、この二つの町は、
もともとゴリツァという一つの町でした。
知る人ぞ知るもう一つのベルリンの壁が、ノヴァゴリツァという町を生んだのです。

かつてここは、ユーゴスラビア連邦スロヴェニア共和国のゴリツァという町で、
スロヴェニア人とイタリア人が共存し、仲良く平和に暮らしていました。
ところが、1947年、戦後のパリ平和条約による国境線変更で、
ゴリツァの町の真中にイタリアとスロヴェニアとの国境がひかれました。

コンクリートの壁が突然、ひとつの町を二分し、
商業の中心地を含む町の大半がイタリアとなっってしまいました。
そして、当時【荒れ野】と呼ばれていた高い草におおわれた湿地帯がスロヴェニアの土地として残ったのです。
スロヴェニアはこの湿地帯を住宅地とて開拓し、
ノヴァゴリツァという新しい町をつくることになりました。
湿地を干拓し、次々とアパートや住宅が建てられ、町の建設は順調に進みました。
ノヴァゴリツァは新しい住宅地としてスロヴェニアの中で認められ、
さらには交通の要所として急速に発展を遂げました。

そして、ゴリツァとノヴァゴリツァの間の壁は、ベルリンの壁ほど厚いものではなかったようです。
1960年代、まだ東西の鉄のカーテンが健在だったころから、
国境をはさんだゴリツァ市とノヴァゴリツァ市との交流が始まりました。
さらにスロヴェニアが独立してからは、その交流はますます密になり、浄水場
を共同建設するなどの大掛かりな事業も共にするようになっていったのです。

その後ついに、2004年、スロヴェニアのEU加盟と同時期に、ゴリツァの町を分断した壁が撤去されました。
イタリアのゴリツァ市とスロヴェニアのノヴァゴリツァ市の人々は昔のように、
自由に行き来することが可能になったのです。

現在、ノヴァゴリツァの駅前には、かつての壁の一部が記念碑としてのこされ、
当時の歴史を物語っていますが、国境線は地面にちょっとした印があるだけ。
駅前の広場には太い丸太でできた、握手する手の形をしたモニュメントがおかれています


 


前のページに戻る

サイトマップへ