嫁ヶ滝
斜瀑、落差約17m、徳島県那賀郡木沢村小畠
坂州木頭川にそそぎ込む嫁ヶ谷に懸かる滝。
ほぼ直瀑に近い斜瀑で、水量は普通、滝壺はあるが瓦礫で埋まっている。
滝の水は、崖の凹凸に足を取られながらも真っ直ぐ1条に落ち、滝の下部では崖を離れて直瀑状となっている。滝の落ちる崖は緑の草が覆い、涼やかな感じのする滝である。
左の写真は2004年の四国豪雨前に撮影されたものである。この滝の懸かる谷は四国豪雨による大きな影響を受け、現在は谷の様子が一変している。ただ滝自体は今も存在している。
四国豪雨以前は、谷を覆う木々にのため県道からこの滝を望むことは難しかったが、豪雨により木々が流され、県道から望むことが出来るようになった。ただ裸となった谷は無惨の一言で、元の姿に戻るにはかなりの年月を要するであろう。
嫁ヶ滝の名前の由来は以下のように伝わっている。
『昔、長いこと「ひでり」が続き、水がすっかり干上がって部落の人達は飲料水や炊事洗濯に困り果てていた。或る日、若い嫁さんが途方にくれて、道端で泣いているところへ、弘法大師が通りかかり、わけをきいて「気の毒なことだ、私が水を出してあげよう」と持っていた杖で岩の間をつつくとたちまち水が湧き出したという。
それ以来、この水は枯れることなく岩の割れ目からこんこんと湧き、冬はぬるく夏は冷たく、部落の人達の飲料水、洗濯、水車等に利用されてきた。部落の人たちはこの滝を「よめたき」と呼び村の土地台帳でもこの辺りは「字嫁ヶ滝」となっている。
ところが昭和34年四国電力株式会社が広野発電所建設の際、この滝の裏山の地下に導水路を掘ったため、水が枯れてしまった。部落の人たちは水車等の実費補償を受けたが、天与の聖水が失われたことは惜しまれてならない。』
(木沢村誌、昭和51年1月15日発行)
上記記述に寄れば、現在、嫁滝は枯れているはずである。私が想像するに、本来の嫁ヶ滝はこの滝とは別のものであり、すでに涸れてしまったが、その後、字嫁ヶ滝地区の嫁ヶ谷に懸かるこの滝が、嫁ヶ滝と呼ばれるようになったのではないかと考えている。
付近の滝:
嫁ヶ滝下の滝、
小畠口の滝、
小畠口の滝上の滝
写真データ:(040429-1 No8)
2004.4.29
ミノルタα7
ミノルタAFズーム24〜105mmF3.5-4.5(D)
f=19
s=1.5秒
CPL
三脚・レリーズ使用
フジクロームベルビア100
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