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 PART  9

  
嗚呼、上高地・・・(その1)



2000年 3月 5日 (日) 晴れのちくもり

上高地・安曇野

  正直、ずっと抵抗があった。
冬の上高地は危険、という思いこみがつきまとっていたからである。
慣れぬ雪道を、アイゼンを着けて歩かなければならない。
そう思うだけで、憂鬱になる。
しかし、母の熱意に負け、ついにアイゼンとシューズを購入。
上高地行きが決定したのだった。
もう、あと戻りはできない。

 その日、東京地方はあいにくの雨。
もしや中止になるのでは、と2%ぐらいの期待を寄せるが、能わず。
隊長(はせがわさん)のGoサインが出る。
前日の午後10時、出発である。
ひとたび車が動き出せば、不安なことなどすっかり忘れ、
食べる、しゃべる、眠ると3つの行動をくり返し、
快適なドライブを楽しむのであった。
こんなお気楽な私たちを、不眠不休の運転で運んで下さる隊長、
我らがmasa先生に感謝の気持ちをどう伝えたらよいのやら。
・・・と思う頃には夢の中。

  午前3時、釜トンネル入口付近に到着。
当然あたりはまだ暗く、冷たい風が吹きぬける。
あわただしく荷物の準備をし、靴をはきかえ出陣する。
帽子と靴の色以外、なぜか全身お揃いのいでたちの私たちは
なんともおめでたいコンビである。

  釜トンネル突入直後、重大なミスに気づく、。
一陣の風の冷たさにまどわされ、
防寒具に加え、背中とソックスにカイロを装着してしまった母と私は、
あまりの暑さに汗だく。
しかも道は上り坂。
案の定、母は愚痴をこぼしはじめ、たびたび休憩を要求する。
私は、というと、
そんな暑さもさることながら、先程から執拗に襲ってくる空腹感と闘っていた。
いざという時のためにポケットにしのばせてきたビスケットが、何度も私を誘惑したが、
まだその時ではない、と自分を戒め、ただ黙々と歩きつづけた。

 トンネルの中は勿論真っ暗で、
ところどころ凍った路面で滑りそうになる。
小さなライト、2つだけが頼りである。
途中、トンネルの出口に大きなシートが出現した時は驚いた。
この先に大きな岩があり、トンネルを塞いでいるように思えたからである。
イヤな予感がした。

  トンネルを抜けたところでアイゼンを着ける。
すでに西沢渓谷で経験済みの母は、
道すがら、不安がる私に、2回目にしてプロの域に達したと豪語するも、
装着の仕方をすっかり忘れて、面目まるつぶれ。
結局隊長に助けを求め、
再び一行は歩き出す。

  慣れない私は足元ばかりが気になり、
満天の星空に気づかなかった。
しばし空を見上げ、心地よい風に吹かれる。
幾度となく悪天候に泣いてきた二人にとって
この星空はまさに奇跡であった。
加えてこの暖かさ。
霧の大正池が撮れるかもしれない、と期待は高まる。

 会話も弾み、10分程経った頃だろうか、
信じられない光景を目の当たりにする。
雪崩である。
ごろごろとした岩石のような雪の固まりが、
右斜面から左の谷底に向かって落ちている。
わずかな星明かりに照らされるその姿は
無力な人間を威嚇するに余りある。
この瞬間、私は自分が雪崩に遭遇した時のことを冷静に考えていた。
不思議と怖くなかった。
隊長が様子を見に上まで上り、
この先は道があることを確認する。
このまま進むことを決定する。
アイゼンを雪の固まりに突き刺し、慎重に登っていく。
私はしんがりである。
雪はかなり固く、足場が崩れる、ということはなかった。
しかし一歩まちがえば谷底へ転落である。
母がおびえるのも無理はない。

 山を越えると、何事もなかったかのように道は続く。
しばらく行くとなんと2つ目の雪崩が出現した。
それでも私たちは果敢にその山を越えた。
山は前よりも奥行きがあり、
しかも降りた所は溶けて水たまりが出来ている。
連日の暖かさで雪が緩み始めているらしい。
さらに不安はつのる。

 そして3つ目の雪崩を目の前にして、
ついに私たちの足は止まった。
危険すぎる。
今はよくても、帰路、雪崩に巻き込まれる可能性は十分にあった。
 ―― 引き返そう。
判断が下った。
かつて山岳会の会長も務めた山のベテランである隊長の決定には重みがあった。
チャンスはいくつでも掴めるが、この生命に代わるものはひとつとしてない。
甚だ残念ではあったが、
夜空に再訪を約して踵を返す。

  不思議なもので、
戦線離脱を決めた途端、聳える雪崩の威に押され、
早くそこから逃れたい、という衝動に駆られた。
加えて、カメラとレンズを二人分あずかる私にとって、
下り坂は転ぶかもしれない、という不安をさらに掻き立て、
踏み出す足を遅らせる。
幾度となく二人を呼びとめ、よちよち行軍を続ける。

  ようやくトンネルにたどりつき、アイゼンをはずした時には
ひとまずほっとした。
急に血液が循環し始めたように感じた。
忘れていた空腹感も蘇り、
わずかなビスケットを三人で分ける。
まさに命の糧である。
なんとか元気をとり戻し、トンネルを行く。
はずしたアイゼンの効果を実感しながら、
より慎重に歩を進める。
そして最後のゲートをくぐる直前、
斜めうしろの母の姿が突然消えた・・・。

                       つ づ く
 
                           

                         
                 
                       

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