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2008年8月2日
自叙伝からはサンプラスの内面に関する貴重な洞察が読み取れる
文:STEPHANIE MYLES / The Gazette


A Champion's Mind: Lessons from a life in tennis
ピート・サンプラス、ピーター・ボドの共著、クラウン社発行、306ページ。

「名誉の殿堂」入りを果たしたテニス選手、ピート・サンプラスの現役時に推し量りにくかったのは、彼が何を考えているのかという事だった。彼はそれを内に秘めておくため、大いに骨を折ってきた。

したがって、彼はすべてを単純化する、ボールを見て打つだけの男という雰囲気があったのだろうかと思う事は妥当と言える。

偉大なチャンピオンに関してこれまで未知であった何かを見つけだす事は、テニス愛好家にとって心からの期待、あるいは切望だったとはいえ、新しく出版されたサンプラスの自叙伝は嬉しい驚きである。

サンプラスは8月12日で37歳になるが、彼がどのように成長を遂げて今日へと至ったかについて、余すところなく語っている。キャリアの様々な段階で抱いた不安や苦しみを明らかにしている。今日の地位へと至るために払った個人的な犠牲について、後悔や自賛に基づいてではなく、事実だけを述べる事によって概説している。

さらに、メディアが彼の人間性やテニスを退屈だと捉えていた時期に、キャリアにおける劇的な出来事を通じて何を考えていたのかを語っている。

それによって傷つけられはした。しかし「退屈」とは「自制がきく」という事なのだ。そして「自制がきく」とは、14のグランドスラム・タイトルと「史上最高 」論議における特権的な地位を意味したのだ。

頂点を極めるのに必要だったサンプラスの内向的な性格と捉え所のない存在感は、どこかの時点で溶け合っていった。それは完璧に、上手く運んだ。

多くの場合と同様に、サンプラスのテニスキャリアは、才能が機会に恵まれるかどうかという問題だった。もし彼がワシントン D.C. 地域に留まっていたら、どうなっていただろうか? しかし1978年、父親のサムは一家全員――妻のジョージア、4人の子供(サンプラスは下から2番目)とオウム――を古いフォード・ピントに乗せて、ロサンジェルスへと移住した。その地域が航空宇宙産業の中心地だったからだ。そこはまた、テニスの中心地でもあった。

小さなピートにはあらゆるコーチがいた。フォアハンドとグラウンドストロークには偉大なロバート・ランズドープが、サーブにはもう1人、フットワークとバランスにはもう1人、ボレーにはもう1人が。練習の費用はすべて父親が支払っていた。それでもなお、彼はジュニアとして優秀ではあったが、素晴らしいとまではいかなかった。

家族は彼の発達に立ち入らないようにしていた。ジョコビッチの一家とは正反対だった。家族がコートサイドに座っている事も、揃いのウォームアップ・ジャケットを着る事も、息子に対抗する応援に対して騒ぎ立てる事もなかった。

彼らはサンプラスのテニスを専門家に任せ、脇からサポートし、そして請求書の支払いをした。それはサンプラスが自著で明らかにする教訓のほんの一部である。家族はそれを一家全体の務めとする必要がないだけでなく、すべては絶対的な巡り合わせなのだと理解する必要がある。

「子供たちの多くは素晴らしいと言われてその言葉を信じ、努力する――だが、やがては道半ばで諦めてしまう」とサンプラスは記す。「ふさわしい気質、あるいは長期的に見た肉体的資質がないのかも知れない。期待に対処する事ができないのかも知れない。テクニック、やる気、あるいはキャリアへの取り組み方に如何ともしがたい欠点があるのかも知れない。上手くいくと思っていた事が上手くいかない場合もある。それは大体において、微妙な一線なのだ」

「ジュニアの中には貪欲で、美味しいものなら何でも食べたがるような者もいた。彼らは長期的展望を持たず、日々の結果に一喜一憂していた。ジュニアでは有効な事が、プロツアーでは必ずしも通用しないという事実を無視していた」

ここでは彼は壁に向かって話をしている。ジュニアプレーヤーの親は、常識に耳を貸さない傾向がある。彼らはみんな、自分の子供はピートのようになり得ると考えているのだ。だが彼は正しい。

本書は彼のキャリアを時系列で記述し、引退で締めくくっている。何かが欠けているとすれば、他の選手たちにまつわる逸話について、誰もがすでに耳にした以上のものがほとんどない事である。

ジョン・マッケンローについては、サンプラスは穏やかな筆致で、ほんの少しだけ辛口のコメントをしている。誰もがマッケンローのようになりたがる訳ではないと書くにとどめて、たいていの場合は手掛かりを与えていない。

彼とは陰陽をなすアンドレ・アガシとの関わりは、更衣室でのスポーツに関するさり気ないお喋りに限定されていたようだ。サンプラスが勝利した2002年USオープン決勝戦の後に、2人は連絡を取り合うよう約束したと書いている。彼らには多くの歴史があり、2人の子供がいる事を含めて共通する事柄がたくさんあったからだ。

果たしてそれは行われているのだろうか。彼らは現役時もそうだったように、引退しても対照的な生活を送っている。

読み進むにつれて本書で明らかになっていくのは、我々が知るよりもずっと多くのものを内に持っていた男の肖像画である。彼はしばしば「贈り物」――一風変わった、自身の才能に対する柄にない言及――に触れているが、彼のキャリアは贈り物よりも遙かに多くのものの結果であったと知る事ができる。

彼の引退生活は、チャリティ事業やその他の事業活動に邁進するアガシの生活よりも、公的な充実度ははるかに低い。

再びプレーを始め、シニア大会やロジャー・フェデラーとのエキシビションマッチに出場する程度には、サンプラスは明らかに退屈していた。

しかし彼は妻のブリジット・ウィルソン、2人の息子と幸せで安定した家族生活を送り、それが彼の望んだすべてのように見える。

自分自身から「普通の」生活を奪ってきた長いキャリアの後では、それこそが本当の贈り物なのかも知れない。


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