テニス・チャンネル
2008年12月22日
チャンピオンとの談笑
文:Steve Flink


もし時はあまりにも速く過ぎ去ると思わないのなら、この事を考慮してほしい。ピート・サンプラスがアンドレ・アガシを下して5回目のUSオープン、そして14回目のグランドスラム優勝を果たし、多くの権威筋がテニス界で史上最高の選手であると見なす立場を不動のものとした後に、ゲームからユニークな離脱をして公式のプロ・キャリアを終えてから、6年以上が経過したのだ。

彼は4年近くも競技から遠ざかっていたが、2006年に戻って世界チームテニスと何回かのエキシビションに登場した。

2007年になると、彼は活動の範囲を広げ、ジム・クーリエが主催する「アウトバック・チャンピオンズ・シリーズ」のシニアサーキットで3大会に優勝し、アジアで開催されたエキシビション3連戦でロジャー・フェデラーと対決し(最終戦のマカオでは勝利を挙げた)、さらに多くのエキシビションに参加した。そしてこの2008年には、ニューヨークの名高いマジソン・スクエア・ガーデンで満員の観客を前に再びフェデラーと対戦し、スイスの名手に対して最終セットのタイブレークで敗れる前には、サービング・フォー・ザ・マッチを迎えるところまで行った。

その後はクーリエのツアーと「ブラックロック・ツアー・オブ・チャンピオンズ」にも出場し(ブラジルのサンパウロ大会では、マルセロ・リオスを下して優勝)、さらにエキシビションでは、サム・ケリー、トッド・マーチン、トミー・ハース、ラデク・ステパネク、ドミニク・ハバティ、ジェームズ・ブレイク等を含む広範囲の競技者と対戦した。

サンプラスは年の終わりにヨーロッパを回った際にステパネクとハバティを打ち負かし、12月14日にはルイジアナ州バトンルージュでブレイクを6-7(3)、6-3、6-4で破った。過去3シーズン、彼はエキシビションでフェデラー、アンディ・ロディック、ハース、ケリー、マーディー・フィッシュ等に対して勝利を挙げてきた。ブレイクに勝利した数日後、私は電話でサンプラスと話をしたが、彼は快活に今年を振り返り、この先の計画を語った。自身と自分のゲームの状態について、彼ならではの自己認識と節度をもって話をした。

彼はブレイクとの戦いについて語った。「現役の選手と対戦する時はいつも、少し強引に、そして激しさを増して、できる限りハードにサーブし、プレーする。現在の自分のゲームについては、現実的に受け止めているよ。僕は今でもかなり高いレベルでプレーできるし、過去にできた事をジェームズに対して行った。だが最高の体調という訳にはいかない。ジェームズとの対戦では懸命に努めなければならなかったし、すべてのポイントでサーブ&ボレーをすると、背中・足・脚にこたえるよ」

選手は試合をどれくらい真剣に受け止めていたのか? サンプラスは答える。「我々は(ポイントの間は)楽しんでいたが、ボールがインプレーになると、懸命にプレーしていた。真剣勝負だったが、真剣になりすぎるという事はなかった。ジェームズも同じだったと思うよ。同時に、僕は本当に勝ちたかったし、彼も勝ちたがっていた。そしてコートが適度に遅かったので、実質的なプレーができたのは良かったね」

「僕が今でもかなり上手くやれるのはサーブで、セカンドサーブについても、かつてと同じような心構えと自信を持っている。僕はかなり良いセカンドサーブを打ち、ジェームズは試合後に、なぜ対戦相手が僕のファースト、セカンド・サーブを受けるのに苦労していたか理解できたと言っていたよ。相手が僕のセカンドサーブで苦労していると感じると――ジェームズも少しそうだったが――自分が影響を与えているように感じるんだ。第3セットで、僕は良いサーブを打っていた。面白いことに、僕はプレーすればするほど、サーブを打てば打つほど、サーブが良くなっていくんだ。だからジェームズとの第3セットでは良いリズムだった。僕は相手をブレークすると、セットあるいは試合を勝ち取るにはあと何回サービスをキープする必要があるのか、カウントダウンを始めるんだ。それでネットを挟んで、秘かに「ジェームズ、もう2回キープすると君は終わりだ」と考えていた。その2回をキープできた。5-4で最後のサービスゲームに入った時には、かなりリラックスし、快適に感じていたよ」

ブレイク戦で勝利する少し前に、サンプラスは2002年ウィンブルドンの2回戦でラッキー・ルーザーのジョージ・バストルに衝撃的な敗北を喫して以降、初めてロンドンを訪れていた。37歳のアメリカ人は、ブラックロック・シニア大会のためにイギリスへと向かったのだ。その前にスロバキア共和国でハバティに、プラハではステパネクに、エキシビションで堅実な勝利を収めていた。そして次のアルバート・ホールでは、ジョン・マッケンローとジェレミー・ベイツに対して2勝を挙げた。しかし準決勝でセドリック・ピオリーン――プロキャリアにおける9回の対戦(2回のメジャー決勝戦を含む)で、一度も負けた事のなかった相手――に対しては、サンプラスは力及ばず、2つのタイブレークで敗れた。

何が起こったのか? 「セドリックはリターンが素晴らしくて、サーブも強烈だった」とサンプラスは答える。「彼は以前よりも、少なくとも過去に僕と対戦した時よりも、リラックスしていて、自信に溢れていた。それで僕は2つの厳しいタイブレークで負けた。そういう事だった。あそこのコートは速くて、むしろ速すぎて、勝負は言わばサイコロを振るようなものだった。正直に言うと、僕はその朝に目覚めた時、少しバッテリー切れの状態で、『僕は今、生活のために働いているみたいだな』と考えていたよ。僕は(エキシビションのハバティ戦とステパネク戦のため)しばらくの間ヨーロッパに滞在していて、ロンドンでのあの日、そんな気分に襲われたんだ」

ピオリーン戦の敗北に関する分析を続けて、サンプラスは言う。「言わば疲れのピークに達したのだと思う。もうテニスは充分すぎるほどだった。8〜9日間ヨーロッパに滞在するのは長い旅だ。今後はしたくないな。セドリック戦はレベルの高いテニスだったし、彼は素晴らしいプレーをしたから勝利の価値を落とす気はないが、正直に言うと僕はそれほどガッカリしなかった。あの敗戦の後には少しへこんだけれど、問題なかった。同時に、家に帰って妻や子供に会うのが楽しみだった。身体はちょっとヘトヘトだった。僕はプレーのやりすぎは望まないのだという今後の心得だよ」

「目覚める時に、苦労してイベントを乗り切るのだとは思いたくないよ。ピオリーン戦の朝に目覚めた時は、そんな感じだったんだ。その事で嘆いたりはしないけれど、今後は自分がしたい事としたくない事について、入念に選択しようと考えている」

来年に仲間のアメリカ人が主催するイベントの幾つかに出場する計画を立てる際、彼はクーリエにそういった心情を述べた。サンプラスは説明する。「僕はそこここで何回かシニア大会に出場するつもりで、ジムは参加者を減らそうとしている。5日間で4試合――僕にとってそういう日々は過ぎ去った。金曜日に到着して、土曜日と日曜日にプレーして、それで終わりにしたい。それが僕の求めているものだ。ジムのツアーには2月のボストン、そして恐らく(ロス)カボスに出場する予定だが、そういう風にしたい。ジムはもし可能なら僕が2試合だけに出て短縮できるよう、調整を考えてくれている。そうなれば僕としてはありがたいね」

彼は来年に向けて適切なスケジュールを立てている。そして恐らくクーリエのツアーに2大会、ブラックロックツアーに1〜2大会出場する。2月には ATP ツアー大会と時を同じくして、カリフォルニア州サンノゼで月曜夜に再びブレイクと対戦するだろう。メンフィスではレイトン・ヒューイットと、4月には南アメリカでルイス・オルナ、デビッド・ナルバンディアン、ロディック等と対戦する予定になっている。「厳しい旅になるだろう」と彼は語る。「ナルバンディアン、ロディックと続けて対戦するのは簡単じゃない」さらに、確定ではないが、ひょっとすると秋にはアジアでラファエル・ナダルと対戦する可能性がある。

サンプラスはその対決に興味をそそられている。ナダルに対して高い敬意を払っているのだ。「彼は明らかに現時点で世界最高の選手だ」とサンプラスは言う。「だが適切な状況、室内で相応に速いが速すぎる事もないコートなら、僕は自分のサービスゲームをキープできるだろう。彼のボールがどんな風なのか、ボールのペース、スピン、彼の動きやサーブを体験する事にとても興味がある。ナダルと対戦して彼の武器を見るのは嫌じゃないよ。それを通して彼をほんの少しばかり知り、そして僕に何ができるか見てみたい。彼に対してサーブ&ボレーをして、それがどれくらい難しいのか知りたいよ」

サンプラスはウィンブルドンのセンターコートに新しく据えられる屋根をテストするエキシビションのために、2009年5月にはロンドンへと戻るだろうか? 彼はそれに招かれるかどうか、もし頼まれたら参加する気になるかどうか、分かっていない。「ロンドンでティム・ヘンマンと夕食を共にした時、彼は屋根をテストするイベントについて触れたよ。僕はそれについて考えるだろうが、公式には何の依頼もないと答えた。もし話があったら、それについて本当に考えねばならないだろう。つまり、興味はそそられるが、かなり深く考えなければならないだろう。今はあなたに確実なイエス、ノーを言う事ができない。もちろん、あのコートでもう一度プレーしたいと思うよ。ロンドンへ向かうのは楽な旅ではないが、かなり魅力的なイベントだ。だから考慮するだろうか? 絶対にね」

サンプラスは2009年ウィンブルドンでその屋根が披露されると、広く興奮を呼び起こすとよく承知している。しかし心の底では、その原点に断固として弁明もなく忠実な姿勢を保ってきたがゆえに、そして疑う余地のない真正さゆえに大会を愛する伝統の信奉者である。私は彼に、建設中のセンターコートの屋根に満足しているかどうか尋ねた。

彼は答えた。「好きではないよ。テレビやファンのためという理由は理解している。だが選手がウィンブルドンに対処すべき最も難しい事の1つは雨による遅延だ。誰もが同じ競技条件にあらねばならないが、休日を失うかも知れない者に対して、トップ選手は(屋根がある事で)スケジュール通りに試合を行えるという多少の有利さが生じると思う。プレーヤーとして、ウィンブルドンとその魅力を愛する者として、そして大会の伝統を重んじる者として、僕はこれまで通りが好きだ。新しい時代に追いつこうとしているのは分かるが、僕はただ、かつてと同じように保つべきだったと感じるんだ。僕は屋根の大ファンではないが、ウィンブルドンのテニスを見たい合衆国のファンは、テニスを見られるようになるね」

サンプラスはウィンブルドンの不変を願う理由に、もう1つ説得力に満ちたポイントを付け加える。「僕がウィンブルドンで最高の2夜と記憶しているのは、2000年の僕とラフターの決勝戦と、今年ロジャー・フェデラーとナダルが対戦した決勝戦だった。どちらの夜も素晴らしい雰囲気だった。確かに、決勝戦を終えるため月曜日に戻ってくるのは遺憾な事だろう。だからその理由のためには、屋根が付くのはとても良い事だ。だが、それがウィンブルドンだったんだ。僕は月曜日に試合をして、金曜日まで試合のなかった年も経験した。それがこの大会の難しいところであり、挑戦でもあるんだ」

いずれにしても、サンプラスは最近ロンドンへ旅した間、ウィンブルドンを訪れなかった。彼は言う。「オフが1日あったので行く事を考えていたが、工事中で周りにはクレーンがたくさんあると聞いた。だから工事現場のような状態ではなく、完成してすっきりするまで待つべきだと思ったんだ。それで今回は行かない事に決めた」

彼はテニスの聖地に対する心からの気持ちを詳しく述べる。「選ぶとしたら、息子たちが10歳と7歳になった時、あそこへ連れていきたいな。そうすればウィンブルドンの価値、そしてこの場所が父親のキャリアに意味したものを正しく理解できるだろう。長男(クリスチャン)は今6歳で、僕がテニスをする事は知っている。だが僕のキャリアの歴史や、僕が何をしたかは分かっていないと思う。彼はテレビで僕を見て、僕がプレーする事は知っている。だがテニス界における僕の立ち位置といったものは充分に把握していない。息子とはよくコートに立つが、毎日見ている僕のトロフィーについては理解していないよ。多分2〜4年くらい経つと、分かり始めるのだろう」

興味深い事に、サンプラスはこう指摘する。「ロンドンで2012年にオリンピックが開催され、テニス競技はウィンブルドンで行われる。その時、僕は41歳だ」彼は言葉を切り、それから冗談ぽく尋ねる。「どう思う?」

彼は皆まで言わず、大らかに笑う。その年にサプライズの登場をするという冗談半分の考えを楽しむように。私は笑って「いいじゃないか」と答えた。しかし、その年齢になってそこでプレーする事を真剣に考えているとは見えない。「分かるよね」と彼は言う。「オリンピックのテニスはそれほど主流じゃない。いつかウィンブルドンに戻りたいが、それがいつかは分からない。その時が来たら、分かるだろう。いろいろな意味で、それは僕がウィンブルドンに別れを告げる準備ができた時だと思う。一度行ったら、その後に何回戻るか分からないからね。みんな僕に尋ねるよ。もしロジャーが決勝戦に進んで、記録を破る事ができるとしたら、行くか?と。ロジャーと記録へ敬意を表して訪れるのはロマンチックに聞こえる。だが同時に、気楽な旅ではない。考えておくよ」

ファンが今年、あるいは恐らく今後も見ないであろうものは、サンプラスとフェデラーがもう一度行うエキシビションである。サンプラスは指摘する。「ロジャーはもうエキシビションをやらないと思う。彼はメジャー大会に焦点を合わせ、そして恐らくナンバー1に戻ろうとしている。彼は僕に敬意を表してもう1回エキシビションをしたのだと思う。だが彼と僕が対戦するのは多分もう終わりだ。90%は終わりだと言っておくよ。彼がキャリアを終えようとする頃にでも、チャンスがあるかも知れないね。だがこの数年は、彼はエキシビションはやらないだろう。彼の代弁はしたくないが、それが僕の直感だ」

2009年には四大大会で誰が勝利を収めるか、についての直感はどうか? サンプラスは答える。「フレンチの本命は恐らくラファだろう。ウィンブルドンの本命はロジャーだと言っておくよ。フレンチのナダルほどではないが、ウィンブルドンではロジャーにチャンスがあるだろう。オーストラリアは誰にでも勝機がある。そしてUSオープンは、コートが少し速いから、ロジャーにチャンスがあるだろう。マーレーは、今は自信を持っているから、メジャーで優勝する事もできると思う。彼は優勝に手の届くところまで来ている。ジョコビッチもだね」

疑いなく、2009年のグランドスラム大会に関する予測を考慮に入れて、サンプラスはフェデラーが遅かれ早かれ自分のメジャータイトル記録を破ると予想している。彼は表明する。「少しばかり失望のようなものを感じるのは人間の常だ。彼が13のメジャー優勝を果たしたほどの速いペースを維持するのは、誰にとっても難しい。記録を破るためには何らかの努力が必要だと彼は承知しているが、それを成し遂げると思うよ。彼はハングリーで、すべき事を知っている」

エキシビションの舞台で彼を触発する親しい目標のフェデラーがいなくても、サンプラスは30代後半から40代に向けて、高いレベルのプレーを維持する決意でいる。それは、常にそうであったようにチャンピオンとして勝利を追い求める事と、彼の競い合う世界はもはやかつての身を焦がすような場所ではないと認識する事の間に、適切なバランスを見い出す事を意味する。「現在の僕は違った心境にある」と彼は強調する。「本物のテニスではあるが、シニアテニスはシニアテニスだ。それ以上でも以下でもない。だから我々は真剣になりすぎる事はないが、観客やスポンサーが見たい、投資したいと望むほどには真剣に受け止めている。そして我々は今でも良いプレーをしたいと思うし、矜持もある。ただ、かつてほど熾烈ではないという事だ。みんな勝ちたいと思っているが、現役時ほどには張り詰めていないんだ――少なくとも僕はね」

そのコメントが反論の余地なく示すように、彼の考え方はある程度、完全にではないが、変化してきた。それを総体的に捉えて、サンプラスは語る。「プレーする事で僕が得ている利点は、良い結果をもたらす、何かに焦点を合わせた家庭でのライフスタイルだ。僕はタイトルを勝ち取らなければとは考えずにプレーする。だが3〜4カ月ごとに、何かに向けてトレーンニングや準備をする――一夜のイベントやシニア大会は僕を活動的にし、家庭で何かに向けて努力を続けさせてくれるよ」

たとえ全盛期からはかけ離れたパートタイムの自由契約プレーヤーとしてでも、ラケットを握らずに長すぎる時を過ごしてはならない、と彼は充分に理解している。サンプラスはこう説明する。「1年前、あるいは今年でも、その気にならないという理由で2カ月ほどラケットを握らない事があった。その後にプレーしたら、ちょっと怪我をした。それで悟ったんだ。あまり長いオフをとる事はできないと。僕は週に一度、少なくとも2週に一度はヒッティングをする必要がある。腕を慣らし、体調を整え直し、そして少し動き回るためにね。そうしないと、2カ月間投球をせずに登板するピッチャーのようになる。何かがダメになるんだ。調子を維持しなければならない」

彼はまた、他に負けないある種の強みを維持しなければならない。たとえ彼の考え方がかつてと同じではないにしても。「特に現役の選手と対戦する時は、1試合なら世界の誰に対しても競い合いたいという事について、一種の不安感がある。1週間を通しては無理だが、相応に速いコートでハバティやステパネクと対戦する時には、1セットは取りたいと思っている。試合に勝つというのは大いなるボーナスだけれどね。試合の場でばつの悪い思いはしたくないよ。とにかく競い合ったものにしたいんだ。試合を始める時、何を期するべきかは不確かだ。最大の目標は、ネットの向こう側に誰がいようと、高いレベルでプレーする事だ。それが求めるすべてだ。僕は時々しかプレーしないから、研ぎ澄まされた状態でいるのは難しいが、それでも楽しんでいる。それは挑戦だ。もう何年か続けて、どうなるか見てみるよ」

ここでの推測は、とても上手く行くだろうという事だ。なぜならピート・サンプラスは希有な妙技を持つアスリートであり、限界へ向けてどこまで己を駆り立てるべきか知っている人間であるからだ。さらに、テニスコートに出て行く時はいつも、自分のチャンスを最大に活かすすべを承知している男であるからだ。


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