テニスチャンネル
2008年6月10日
テニススコープ 書評:
A Champion's Mind: Lessons From A Life in Tennis
(チャンピオンの精神:テニス人生からのレッスン)
文:Joel Drucker


世界的な規模でいうと、殆どのスポーツはテニスの足元にも及ばない。テニスが豊かで深いスポーツである事を讃えるために、テニスチャンネルは「テニススコープ」を開始する。テニスチャンネルの記者ジョエル・ドラッカーが著した短い文章の数々は、我々のスポーツに輝きと情熱を与えてきた多くの偉大な時、場所、人々、所産を伝えている。

テニススコープ 書評:
A Champion's Mind: Lessons From A Life in Tennis
ピート・サンプラス、ピーター・ボドの共著
クラウン社刊
304ページ;24.95ドル


ピート・サンプラスという人間には、コート上とオフコートでは顕著なコントラストがあった。彼のわずかに猫背で真面目な様子は、コートを離れるとおよそ印象的には見えなかった。オフコートのサンプラスにはジョン・マッケンローの強烈な気難しさも、ジム・クーリエの肉体的な圧倒性も、アンドレ・アガシの油断怠りないカリスマも欠けていた。彼はジーンズを穿いたピートという名前の男にすぎず、経済学の中間試験を受けようとする優しげな学生のようだった。

しかしひとたびコートに歩み入ると、サンプラスは大きくなったように見えた。謙虚なギリシャ人のアコーディオンは最高音までを奏で、穏やかながら集中していた肉体と精神はたちまち完全に連動し、用心深くはあったが決してパニックには陥らなかった。「競技の場に臨み、最初から相手にガス爆発をお見舞いするのは素晴らしい気分だったよ」とかつて彼は私に語り、センターに時速126マイルのエースを放って試合を始めるやり方について話した。素人プレーヤーの間ではエースは滅多に生じないため、サンプラスの対戦相手が感じた、ビッグポイントでボールに触れる事さえできないという無力さを伝えるのは難しい。

だがサンプラスにはビッグサーブより遙かに多くのものがあった。彼のゲームと人物には、90年代の大半にテニス界を支配していたという事実よりも遙かに多くのものがあった。そんなサンプラスの多くが、最近出版された魅力的な自叙伝、A Champion's Mind: Lessons From A Life in Tennis には息づいている。

テニスマガジン誌のベテラン記者、ピーター・ボドと共同でサンプラスはこの本を執筆し、「笑顔」というあだ名を持つ7歳の子供から、おとぎ話のような滅多にないやり方でキャリアを終わらせた――彼は2002年USオープン決勝で最大のライバル、アンドレ・アガシを破って終止符を打った――歴戦の戦士へと成長していく過程を書ききった。

その物語には一片の虚偽もない――そしてあらゆるプロテニス選手の物語と同様、一個人が少しずつこのスポーツに手を染め、間もなく没頭しきっていく様は驚くばかりである。

多くの人が考えるのとは反対に、真に偉大なテニス選手は裕福な家庭の出身ではないのが普通である。ジャック・クレーマーの父親は鉄道員だった。ビリー・ジーン・キングの父親は消防士だった。ピート・サンプラスの父親は、ワシントン D.C. でサンドウィッチ店を営んでいた。サム・サンプラスは間もなく西海岸へ移り住んだが、4人の子供がいるサンプラス一家6人は、2ドアの小さなフォード・ピントで大陸を横断した。

運命だったのだろう、サンプラス家の新しい家は、テニスに馴染み深い南カリフォルニアの、さらにスポーツが最も盛んな地の1つ、パロス・ヴェルデス・ペニンシュラにあった。付近のジャック・クレーマー・クラブでは、60年代から70年代を通じてヴィック・ブレーデン、ロバート・ランズドープといった高名なコーチが指導をし、トレーシー・オースチンやエリオット・テルシャーを含む多数の優秀な選手を輩出してきた。

事実上すぐに、サンプラスは熱心なテニス愛好家、ピート・フィッシャーという地元の医者に見いだされた。「天賦の才能」とサンプラスが繰り返し言及するものを見抜き、この少年はチャンピオンになれるとサンプラスの父親に告げたのはフィッシャーだった。サンプラスが広範囲の専門家から指導を受けるよう、手筈を整えたのはフィッシャーだった。そしてサンプラスが10代の時に、バックハンドを両手打ちから片手打ちに換えるよう勧めたのはフィッシャーだった。この転換は、短期的には多くの敗戦に繋がったが、長期的にはサンプラスが14というグランドスラム・タイトル記録を達成する助力となった。

サンプラスは「僕は気力や自信を失う事なく、敗戦に対処するすべを学んだ。それは長きにわたって僕を大いに助けてくれた……負ける事への恐れはひどいものだ」と書いている。

ある意味で、フィッシャーと過ごした時期が本書の傾向を定めていると言えるだろう。それは野心の物語、個人的な意欲の物語である。しかし同時に辛い決断の物語であり、見方によっては、他の活動や人々からの孤立だったとサンプラスさえ認める選択の物語である。当然ながら、これは成功の物語であり、アガシ、クーリエ、ボリス・ベッカー、パトリック・ラフター、そして生涯のライバルだったマイケル・チャン等との傑出した試合を伝える物語でもある。大方のスポーツ本のように物語は年代順に記され、サンプラスのプロキャリアを詳述している。

しかしサンプラスと交わりのなかった者にとってより大きな驚きは、自己を内省する彼の能力である。本書は、勝利には代償が伴うという認識を文章化している。彼は飾りけなく率直に、フィッシャーとの協働をやめる事にした理由や、新しい友人のヴィタス・ゲルレイティスが亡くなった時に感じた痛みを記している。

さらに訴えかけるのは、彼のコーチだったティム・ガリクソンの病気について、とりわけ彼が死に近付いていた時の描写である。「彼は言葉を探すのにも苦労し、徐々に思い出せなくなっていった。ティムという人間を作り上げていたすべてが、ゆっくりと、そして容赦なく消え失せようとしていた。飛行機に乗って窓越しに振り返ると、彼がそこに、独りぼっちでいるのが見えた事は忘れない。僕もまた独りだった。ゆっくりと、涙が僕の頬を伝い始めた」

いろいろな意味で、テニス選手の生活は信じがたいほど愉快なものである――大金、煩雑な物事を片付けてくれる人の存在、太陽の下での時間。しかし本書が語るように、さらに様々な事柄もある。テニスは孤独な、次から次への試合に対して責任をとる事のできない者を素早く淘汰するスポーツである。サンプラスが実際に経験したように、野心は気楽な仲間ではない。

サンプラスの滑らかなゲームは、すべてが極めて自然に進んでいったという印象を与えてきたかも知れない。しかし冷静さの下には常に、並はずれた意欲と、そう、本物の感情を持つ男がいた。本書はその精神を巧みに伝えている。


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