Sportingo(イスラエル)
2008年6月8日
史上最高? ピート・サンプラスは真のウィンブルドン・チャンピオンだった
――芝生の上でも、外でも
文:sayan das


テニス界で最も重要視される大会における史上最高のチャンピオンに関して、アメリカ人がロジャー・フェデラーや他の偉人たちを退ける理由。


大きな大会は選手のベストを引き出す。そしてウィンブルドンは競技テニスの世界における最も偉大な試金石となってきた。歴史と伝統に満ち満ちたこの大会は、成功の、そして選手の才能を測る最高のバロメーターである。1つのウィンブルドン・タイトルはキャリアを変え、批評家と崇拝者にまったく違う観点で選手を認知させる事ができる。リチャード・クライチェクに尋ねると良い。

最も偉大なウィンブルドン・チャンピオンは誰かという討論には、多くの異論がある。候補者はそれぞれヘビー級チャンピオンであり、比類なき多数の業績を有しているのだ。

私は史上最高のウィンブルドン・チャンピオンの候補者として、フレッド・ペリー、ドナルド・バッジ、ビル・チルデン、ロッド・レーバー、ビョルン・ボルグ、ボリス・ベッカー、ジミー・コナーズ、ジョン・マッケンロー、ステファン・エドバーグ、ピート・サンプラス、アンドレ・アガシ、ロジャー・フェデラー等を挙げる。ウィリアム・レンショウもまた、ウィンブルドンで7つのタイトルを獲得した。だがここでは大会がオープン化され、メディアが意欲的にゲームに関心を示した期間に限定する。

史上最高のウィンブルドン・チャンピオンという称号を与えるには、単に選手とその功績、とりわけウィンブルドンにおける目覚ましい成功だけでなく、成功に伴う遺産をいかに創り上げたか、そしていかに優れたスポーツの大使であったかに目を向ける必要があると私は考えている。

これらすべての要素を念頭においたうえで、私はサンプラスが史上最高のウィンブルドン・チャンピオンであると信じる。8年間で7つという驚くべきタイトル数、グラスコート・シーズンに入るとゲームの頂点に立ち続けた力量は、クレーコート・シーズンで毎年のように味わった大いなる失望を考え合わせると、彼の才能と不屈の精神を証明するものであった。

ウィンブルドンにおける7回の決勝戦で、彼はサーブ&ボレーのパワフルなゲームでジム・クーリエ、ゴラン・イワニセビッチ、セドリック・ピオリーン、アンドレ・アガシ、パトリック・ラフターといった優れた選手を破ってきた。彼の物腰は年代を超えた優雅さと洗練にふさわしく、それは大会が選手たちに要求するものだった。そして彼の物静かな集中は、チャンピオンシップを特徴づけてきた穏やかな威厳と断固たる決意に忠実であり続けた。

彼が7つのタイトルを獲得する間には、1996年の手ごわいクライチェクに対する悲痛な敗戦があった。あの時のクライチェクはピークに達し、唯一のグランドスラム優勝を遂げたようだった。その敗北は、サンプラスを落胆させたというよりも、病気、怪我、若い対戦相手、偉大さへのプレッシャーと闘いながらも、続く4回の決勝戦で勝つために彼を燃え立たせた。彼はスポーツの最も偉大な大使であり、完璧なプロ、尊敬されるチャンピオン、若者にとって信頼できる崇拝の的だった。そういった様々な事ゆえに、私は彼が史上最高のウィンブルドン・チャンピオンであると考える。

フェデラーはすでにビョルン・ボルグと並んで5年連続ウィンブルドン優勝の記録を達成している。それはサンプラスが破る事のできなかった記録である。しかしウィンブルドンにおけるフェデラーの偉大さを宣言するには、我々はもう少し待つ必要がある。ボルグはウィンブルドンで5年間、夢のようなプレーをした。それでもなお、サンプラスが彼のプロ意識で創り上げたインパクトは、彼をスウェーデンの偉人の上に位置づける。

バッジ、チルデン、コナーズ、マッケンロー、エドバーグ、ベッカーは伝説的偉人である。しかしサンプラスが有する7タイトルの重大性は、ウィンブルドンにおける彼らの業績を影の薄いものにする。レーバーとアガシはキャリア・グランドスラムを達成し、前者は2回の年間グランドスラムを成し遂げた。しかしなおサンプラスは特別な、決定的に類い希な特質をチャンピオンシップにもたらしたのだ。


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