AP通信
2007年1月29日
サンプラスはシニアツアーでプレーする
文:Howard Fendrich


ピート・サンプラスが30歳以上の選手によるシニアツアーで競い、2002年以来初めてトーナメント・テニスをするとの情報を AP 通信は掴んだ。

ボストン大学の Agganis アリーナで5月2〜6日に開催される「アウトバック・チャンピオンズ・シリーズ」にサンプラスがデビューするというニュースは、火曜日に公式に発表される。35歳のサンプラスは、2007年のツアーで少なくとももう1大会に出場する予定だ。

「本当に勝ちたいと望む試合で、自分がどんな風に感じるか、そしてプレーするか知るための、いわば初のダイビングだね」14というグランドスラム・シングルス・タイトルの記録を持つサンプラスは、電話インタビューで AP に語った。

「今でもテニスを愛している――週に2〜3回練習している――が、骨の折れる仕事は恋しくないね。かつての競争相手、旧友に再会して、僕にまだ何か残っているかどうか見るよ」と彼は語った。

それは、サンプラスが10年間近く支配したスポーツへの、緩やかな復帰の最新段階である。2002年9月、彼は最後の試合となった USオープン決勝のアンドレ・アガシ戦に勝利した後、姿を消した。

彼は翌年まで引退を発表しなかった。その後は全くといっていいほど姿を見せず、2006年に初めて、エキシビションと世界チームテニスでプレーした。しかしそれらのイベントは、彼がシニア大会に期待するようには競争心を煽らなかった。

「大会でプレーし、かつての偉人たちと対戦するのは、少しばかり競争レベルが高いよね」とサンプラスは語った。「ある種の達成感がある。かつてのようではないが、勝ちたい、良いプレーをしたいと望むものだ」

ジョン・マッケンロー、およびシリーズの共同開催者であるジム・クーリエも、ボストンでは男子8人の競技場にいる。賞金は14万2,000ドルである。マイケル・チャン、ゴラン・イワニセビッチ、マッツ・ビランデル等のメジャー・チャンピオン達も、アウトバック・チャンピオンズ・シリーズに参加してきた。今年は2年目のフルシーズンを迎える。出場資格として、選手はグランドスラムのシングルス決勝に進出したか、トップ5にランクされたか、あるいはデビスカップ優勝チームでシングルスに出場していなければならない。

サンプラスが登場する事になったのは、クーリエの手柄である。彼は1年以上も前から、デビスカップの元チームメイトとシリーズについて話し合ってきたのだ。

「ピートはこの国で、テニスファンと大きな繋がりがある。ピートが本当にやる気になって、彼の「A」ゲームで臨むのを、みんな喜んで見るだろう」とクーリエは語った。

「エキシビションもいいし、確かにそれなりの上首尾を収めている。トーナメントテニスは別物だ。競争的な一面は、ピートを含め皆にとって、わくわくさせるものになるだろう」

サンプラスは束の間、エリートテニスへの復帰を考慮した。恐らくウインブルドンへの最後の出場を(そこでの最後の試合、2002年に2回戦で145位のジョージ・バストルに敗れた事は「僕がテニスコートで味わった最低の気分」とサンプラスは語った)。

だが彼は、カムバックはあり得ないと明らかにした。

「ウインブルドンを見ると、それは心を過ぎった。恋しいよ。どちらかと言えば、むしろ現在だったら僕はどんな風にやるだろうと考えるんだ。特にゲームが変わってきて、皆が芝生の上でステイバックしているのを見るとね。舌なめずりする感じだ」とサンプラスは言った。「でも僕は1つの大会のためにプレーする事はないし、プレーしない。そういう事だ。ちょっと心を過ぎっただけだ――僕の中にいる競争好きな男のね。僕が復帰するというのは現実的じゃない」

また彼には、遺産に何か付け加える理由もない。それにはウインブルドンで7タイトル、USオープンで5つ、オーストラリアン・オープンで2つ、さらに286週間ナンバー1在位記録が含まれる。7月には、彼は「国際テニス名誉の殿堂」の一員となる。

「僕は勝つためにプレーした。注目を浴びるためじゃなかった。いつもタイトルが全てだった。脚光を浴びたくて、注目されたくて、あるいは退屈だから、あるいは自分に証明し残したものがあって、引退から復帰する人もいる。僕は、自分に証明すべき事は何も残してない」



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