bleacher report(外野席レポート)
2008年12月14日
男子テニス「プレイバック」1995年:
サンプラス - クーリエ戦、氷の男の感情が融けた日
文:Long John Silver


「プレイバック」は私が始めたかった特別企画である。皆の参加を歓迎する。これはテニスを見てきた年月に思いを馳せる時、甘やかな(あるいは苦しい)思い出が常に甦える歴史的な試合について「記憶をたどる道のり」である。

ある特定の理由で、あるいは何の理由もなく、めったにないきわ立った試合というものは常に存在する。

この試合にはすべてがあった……勝者は2人いないという事以外は。暑いオーストラリアの夏、コーチの病で心を痛める世界ナンバー1選手、ネットの反対側には親しい仲間、4時間のマラソンマッチ、挽回、チャンピオンが全世界に魂の一部をさらけ出した異例の晩、誤解されていたと後に判明した、友情と純粋な仲間意識による意思表示……そして最後に、傷つき、叫び、逆境のただ中で勝利するピート・サンプラス。

これが、前回優勝者のピート・サンプラスと少年時代からの仲間ジム・クーリエによる、有名な1995年オーストラリアンの準々決勝だった。サンプラスのコーチで助言者のティム・ガリクソンは大会中にガンと診断され、翌日には飛行機で帰国の途に就く事となった。

きわめて異例な事だが、サンプラス、クーリエ、ティムと(兄弟の)トムは、ティムが翌日に帰国するという試合前夜に全員で夕食を共にした。

サンプラスはすでに瀬戸際からの挽回を果たしていた。4回戦でマグナス・ラーソンに対して2セットダウン(一時は敗北まで2ポイント)となり、5セットでの逆転勝利を収めたのだ。

それゆえに、彼の脚は走り回るのに最適という回復状態ではなかった。クーリエはパリ、ローランギャロの赤土でサンプラスを倒し、1993〜1994年にわたる「ピート - スラム」の達成を阻止していた。

クーリエは9位にまで順位を下げていたが、フォアハンドが炸裂し、ボールのタイミング感覚が良ければ、チャンピオンだった者として、ベースライン上のストロークラリーでチャンスがあった。舞台は整った……メルボルンの蒸し暑い晩は騒然としていた。

クーリエは全盛期と変わらぬ最高の出来で試合を始めた。ベースラインから押しまくり、フォアハンドの強打でプレーの主導権を握り、猛烈に……そして容赦なくボールを叩き込んだ。

最初の2セットはタイブレークまでもつれ込み、サンプラスが両方とも失った。クーリエがインサイド-アウトのフォアハンドを強打して、サンプラスをバックハンドコーナーへと釘付けにした結果だった。質の高いテニスだった。クーリエは最初の2セットを7-6、7-6で勝ち取った。

やがて、彼は少し現実に立ち戻らねばならなかった。彼のゲームが徐々に調子を下げてくると、サンプラスは初のブレークを果たし、第3セットを6-3で取った(6-7、6-7、6-3)。それは前ぶれにすぎなかった。最高のものは未だ訪れていなかったのだ。

第4セット2-2で、クーリエは初めてブレークを果たし、そのまま4-2リードとした。次に起こった事は、なぜトップレベルのスポーツが面白く、悩ましく、気分を浮き立たせるかについての正確な根拠である。スラムで複数回チャンピオンになり、元世界ナンバー1だったクーリエほど経験豊かな者でさえ、サンプラス(前回優勝者で世界ナンバー1)を出し抜こうとしているという意識に突如として襲われたのだ。彼は状況の重大さについて考えずにはいられなかった。その時、小さな裂け目が心理的な鎧の上に現れたのだ……まさにその時。

4-2、40-15、2本のゲームポイントで……彼は忌まわしいダブルフォールトを犯した。これもまた、我々が後に知るところとなった、裂け目の思いがけない影響だったのだ。ごく小さな裂け目がクーリエの兵器庫に現われると、サンプラスはそれ以上のものを必要としなかった。

彼はクーリエが勝利を手にする準備ができていない事に気づき、それゆえに両手でその瞬間を掴み取ったのだ。サンプラスはブレークバックし、さらに5-4でもう一度クーリエをブレークした。それは試合を振り出しに戻し、最終セットへと向かわせた。

ただし今回は、サンプラスに勢いがあった。物語には最後の一ひねりがあるものだ。

第5セット1-1で、観客の1人が「ピート、コーチのために勝て」と叫んだ。その後の試合中、彼はその言葉が及ぼした影響をまったく分かってはいなかったが。5分かそこら後には、サンプラスは気持ちを落ち着ける事が不可能になっていた。そしてポイントの間が長くなった。

1分ごとに事態は悪くなっていき、彼はサーブの前に泣き始めるに至った。さらに、どんなに堪えようとしても、止める事ができなかった。コーチの痛ましい病気に関してしまい込まれていた感情が、メルボルンの観客……そして世界規模の観客の前であらわになった。

彼は日ごろ感情的な人間ではなかったという事を念頭におかねばならない。血管を氷が流れる男……一時は「退屈」とさえ言われたほど冷静な男だったのだ。

時計の針が夜中の12時を過ぎても、叙事詩のような物語は続いた。観客は彼の勇敢な努力ゆえに、サンプラスの応援に回った。

ロッド・レーバー・アリーナの観客は立ち上がり、ポイントごとに一喜一憂していた。翌日の仕事のために帰らねばならない者もいたが、ファンの大半は叙事詩がその最終章へと進展するのを見守るために留まっていた。

クーリエの立場とすれば、見るからに心を痛めている男とネットを挟んで対峙するのは、決して容易な事ではなかった。特に、彼が親しい仲間の1人であったからには。自分のキャリアで明らかに重要な試合となるものに勝とうとする事、そしてネットの向こう側に心痛を抱える仲間の1人を見ている事の間で、クーリエの心は乱れていた。

第5セットが進むにつれて、クーリエはますますフォアハンドを強打するようになり、結果としてエラーが増えていった。激しく攻撃しすぎたからだった。

プレッシャーが増大していき、彼はブレークポイントを失って禁止用語を吐いた。耳に聞こえる汚い言葉で、警告を受ける結果となった。

また、クーリエの「カモン」という熱い雄叫びは、それでもなお彼は試合に勝ちたがっているとサンプラスに伝えているのが明らかに分かる。サンプラスのゲームが次のギアに入ったのと対照的に、クーリエのゲームが一段階下がったのは疑いなかった。

しかし、テニスの質は未だに才気がきらめくものだった。そこにはすべてがあった。力強いラリー、信じがたい返球、そして両選手(特にネットにおけるサンプラス)の絶妙なタッチが。

後に彼はそれを悔いたが、クーリエが判断ミスをしたのはその時だった。結果論として間違っていたというだけの事だったが。

サーブを打つ前に涙ぐむサンプラスを見て、2-2となった時にクーリエはネットの向こう側から声をかけた。「大丈夫かい、ピート? いいかい、明日やってもいいんだよ!」

クーリエとしては本心からの呼びかけだったが、サンプラスには微妙な侮辱と聞こえた。それはコート上で彼にむきだしの感情をしまい込ませ、常よりもなお氷の男になるよう駆り立てる事となった。

サンプラスは後に自叙伝(A Champion's Mind)の中で語っている。根本的には、クーリエからの皮肉が自己の感情を閉じ込めてより良いプレーをする助けとなったが、その時点では侮辱だと思った、と。さらに驚きを禁じ得なかったのは、サンプラスが涙の中でもエースを放ち続ける事ができるという事実だ。

彼は後に(記事を通して)、クーリエに侮辱の意図はなかったと知る事になった。しかしクーリエと話し合うべきだとは感じていない。その必要がないからである。彼はジムをよく知っており、話をせずとも彼を信頼しているのだ。

次のゲームで、クーリエは「僕はあまり良い気分じゃないんだ」と冗談を言った。ラリーはさらに強力で容赦ないものになっていき、サンプラスは4回のジュースを繰り返してゲームを勝ち取り、4-3で決定的とも言えるブレークを果たした。

クーリエが強力なクロスへのフォアハンドをネットにかけ、長いラリーが終わった段階で、試合は終わったも同然と彼は悟った。

私はこの時点で、サンプラスは優勝するのだろうか、と思わずにはいられなかった。まるで必然の運命であるかのようだった。観客が熱狂の渦に呑み込まれるなか、彼は最後のサービスゲームを首尾よくキープして6-3で試合に勝利した。メルボルン時間で午前1時15分の事だった。

ネット際で抱擁しながら、クーリエは「君が死ぬほど疲れてるって分かってるよ。僕がそうだからね」と言った。記事の中でクーリエは、第5セットの途中でサンプラスが思い煩っているのを見て気の毒に感じたと語った。

この叙事詩のような対決には、非常に興味深いエピローグがあった。試合の何時間か後に、サンプラスとクーリエはマッサージ室で出くわし、マッサージ台に横たわって人生とティムについて語り合ったのだ。

その後サンプラスは決勝戦でアガシに敗れ、クーリエは翌朝にカンタス航空でニューヨークへと向かった。結果とは無関係に、これは永久にオーストラリアン・オープンで語り継がれる1つの対決であった。

サンプラスが世界に、そう思われていたように、常に「氷の男」である訳ではないと明らかにした日、この1日間、氷はほんの少しだけ融けたのだ……そして外界に、内部で何が起こったかを知らしめたのだ……真の逆境を乗り越えた勝利を。

4時間の叙事詩的対決、そのスコアは6-7、6-7、6-3、6-4、6-3だった。

追記:ところで、私は当時6年生で……心からジムを応援していたのだった。今は当時よりも、サンプラスが成し遂げた事の真価を認める事ができる。これが BR - テニスにグループとして提供する「プレイバック」シリーズの第1弾となる事を希望する。


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