bleacher report(外野席報告)
2008年8月25日
ピート・サンプラスの本:成功は大きな代償によって訪れた
文:Rob York


ピート・サンプラスの本は、チャンピオンとそうでない者の間に存在する相違を
示しているとロブ・ヨークは語る。


自己の才能を見いだしたら、それに関して何をすべきか決断しなくてはならない。

その才能がもたらすチャンスを、最後の一滴まで絞り出す事に人生を捧げようと決心する者がいる一方で、生まれつきの能力を使う事に野心を抱かず――より幸せで安逸な立場に身をおこうとするだけの者もいる。

ピート・サンプラスは前者の立場を選択した。そして自叙伝『A Champion's Mind: Lessons from a Life in Tennis』の中で、その報酬と犠牲について詳述している。

幼い頃からサンプラスは、世界で最も優れたテニスプレーヤーになるよう訓練された。その地位に到達すると、彼は史上最高の存在になろうと努めた。

偉大なスイス人、ロジャー・フェデラーはサンプラスの業績を幾つか凌駕したが、最も傑出した記録は今でも持ちこたえている。14回のグランドスラム優勝、7回のウィンブルドン優勝、そして6年連続世界ナンバー1在位記録である。

これらの業績はすべて、何らかの恵まれた才能を必要とした。よちよち歩きの子供だった頃から、父親は彼が「ボールを上手に蹴り、まっすぐに投げる」事ができると気付いていた、とサンプラスは書いている。

しかしながら、彼が10代になる頃には、ベストになるためには毎日の練習、絶え間ない競争に立ち向かい、他の趣味をほとんど持たず、デートにも出掛けない事を必要としていた。

さらに、彼が勝ち始めるようになると、それは常に期待という重荷を背負う事を意味していた。1990年代の後期に入り、結果が安定しなくなると、彼はもう終わりだと言われても屈せずにやり通す事を意味した。

だが彼には、これらの挑戦をする意志があった。1990年、彼はUSオープンで優勝した史上最年少のチャンピオンになった。12年後には、プレーをした最後の大会で5回目のUSオープン優勝を遂げ、テッド・ウィリアムズのようにゲームから去った。
訳注:テッド・ウィリアムズ(1918〜2002年)。ボストン・レッドソックスで活躍した元野球選手。メジャーリーグで三冠王を2度獲得。打撃の神様と呼ばれている。

控えめで、以前はあまり愛されなかったテニスプロは、引退して女優 / モデルのブリジット・ウィルソンと共に穏やかな生活に入った。

1990年代にサンプラスが支配的だったのを見てきたテニス解説者は常に、彼は純粋な能力とミサイルのようなサーブでほとんど苦労せずにポイントを勝ち取るという点で、ゲームを簡単そうに見せると語った。『A Champion's Mind』を読み終えると、彼の結果には本当はどれほどの努力を要したか、読者は理解できるだろう。

同じく、サンプラスと同世代だった多くの選手が彼について行けなかった理由を了解するだろう。サンプラスが最も恐れていた選手は、長年のライバルだったアンドレ・アガシではなく、ドイツのミハエル・シュティッヒであった事は読者を驚かせるかも知れない。彼は9回の対戦で5回サンプラスに勝っている。

両選手とも、テニス純粋主義者が「完成されたゲーム」と呼ぶもの――強烈なサーブ、素晴らしい脚力、堅実なフォアハンドとバックハンドを有していた。しかしながら、シュティッヒは1991年ウィンブルドンで唯一のメジャータイトルを獲得しただけだった。

「(シュティッヒは)トップにいる事を楽しんでいないようだった。それで彼は比較的若い年齢でゲームから去った」とサンプラスは書いている。「だがもし彼がもう少し長くプレーして、僕と同じくらい強く成功を望んだなら、非常にタフな存在になっただろう」と。

シュティッヒは、本書で言及された何人かの選手と共に、ファンやスポーツ・マスコミからしばしば「アンダーアチーバー」というレッテルを貼られる。しかしこれらの選手たちは恐らく、より幸せに感じられる道のりを選択したのだと言うだろう。

サンプラスは最も長い間ナンバー1の座にいたという栄誉を担っているかも知れない。だが1998年にその記録を追い求めるストレスのため髪が抜け落ちたのは、ミハエル・シュティッヒではなかった。

彼の物語には人の心をつかんで離さないものがある。しかし「テニスマガジン」編集主任のピーター・ボドと共同で執筆された本書は簡素なものだ。これは納得がいく。サンプラスは大学へ行かず、人生で数冊の本しか読んだ事がないと認めている(愛読書が『ライ麦畑でつかまえて』であるという事実も、彼の散文的なスタイルにとって良い前兆ではない)。

イギリス人の多数や文芸評論家は、本書の中で試合に関する「土壇場まで」「博打的な冒険」という表現、サンプラスがある状態を「昨日の事のように記憶している」と繰り返すなどの常套句を苛立たしく感じるかも知れない。

これらの例や本書における若干の事実誤認は、初めての本を書く運動選手よりも、「編集主任」 のボドに責任があると読者は考えるだろう(1995年にウィンブルドンで優勝したのは、アガシではなく自分だとサンプラスは承知しているべきではあるが)。
訳注:誤植の可能性もあると思われる。

なんにせよ、サンプラスは序文で自叙伝を書く事は易しい選択ではなかったと語っている。物静かな性格であるうえに、現役時の彼はテニスコート上の結果によって物語を語らせる事を好んでいたのだ。

彼は今が自分の業績を人々に思い出させる最も良い時であると判断したのかも知れない。フェデラーはこの数年で彼のグランドスラム・タイトル記録を破ろうとしている。そしてラファエル・ナダルのような逞しい若い選手は、サンプラスのような細身の運動選手を現代テニスにおける時代遅れの存在にしようとしている。

彼の理由がなんであれ、そして本書に欠陥があるにせよ、彼が自己の経験を文章にして、何事かについて世界最高となるために要する決意を明らかにすると決めた事に、読者は感謝する事ができる。

彼の物語は、自分の専門について同様のやり方で圧倒的な存在になろうとする者を奮い立たせるかも知れない。サンプラスの意欲を尊敬はするが、もっとのんびりしたライフスタイルに満足する者もいるかも知れない。

いずれにしても、このような決断に判決を下すべきではない。だがチャンピオンには、語るべき素晴らしい物語があるものなのだ。


情報館目次へ戻る  Homeへ戻る