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グランド・ラピズ・プレス 2008年10月29日 クーリエ、サンプラスは地域での募金のために対戦する 文:jslagter |
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火曜日の夜、ヴァン・アンデル競技場でコートサイドの手すりから眺める光景は、6年生のクラスメイトであるジョシー・エバートとパーカー・チューバにとっては格別なものに見えた。 しかしテニスプロのジム・クーリエがピート・サンプラスとのミラクル・マッチ・エキシビションの最中に動きを止め、コート隅の彼らが膝をついている所にやって来ると、2人のテニス仲間は自分たちの恵まれた場所が高いものについていたと知った。 「彼は屈み込んで我々のタコスチップを見ると、1つをつかみ取って食べたんだ」とエバートは語った。「戻って来て、もう1つ食べた。もっと買い足さなくちゃならないかと思ったよ」 |
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そのおどけた仕草は、2人の引退したテニスのスーパースターが約4,000人の観客を楽しませるために行ったジョークの1つだった。 2回のフレンチ・オープンとオーストラリアン・オープンのチャンピオンである38歳のクーリエが、より気楽なアプローチを披露する一方で、記録である14のグランドスラム・タイトルを獲得した37歳のサンプラスは競技者魂を見せ、3連続エースで2ゲームを終えて6-4、6-2の勝利を収めた。 イベントはミラクル・マッチ財団の基金を募るものだった。財団は1997年、重度の単核細胞白血病から回復途上にあった地元のテニスプロ、ビル Przybysz によって設立された。 テニス界での Przybysz の縁故は、今年の5都市におけるサンプラス対クーリエ戦のような国内イベントを生み出し、類似した幹細胞関連の病気に苦しむ人々へ金銭的援助を提供し、共同体の知名度を上げた。 火曜日には、地元の車椅子テニスの名手ダン・ボルハウスとカート・ベンダーがそれぞれ、オランダのプロであるネイト・プライス、以前は東グランドラピズに住んでいたロサンジェルスの元ツアープロ、マーフィー・ジェンセンと組んで「アップ・アンド・ダウン」マッチも行われた。 「今夜の観客の前でプレーするのは、ウィンブルドンよりもタフだったよ」と、ジェンセンは微笑みながら語った。彼はこの夏ウィンブルドンでダブルスに出場し、東グランド・ラピズ高校で過ごした頃以来初めて、テニスをするためにグランド・ラピズに戻ってきたのだ。 「今夜ここにいる人々は、僕の成功のすべてに関わっていたんだ。今夜はいささかドキドキしたが、心地よいドキドキだったよ」 ジェンセンは膝の故障で欠場を余儀なくされた兄のルークに代わって、直前に出場が決まった。「ロックンロール・ジェンセン兄弟」の片割れは、ユーモアと競争心に富んだパフォーマンスで夜の催しを始めたが、彼とベンダーはプライスとボルハウスに3-1で敗れた。 一方、サンプラスはイベントのスターとして登場した。 「サンプラスの写真がフィーティーズの箱に登場した時、子供たちのために3箱も買ったら、彼らは私の頭がおかしいと思ったのよ」と、夫デイブと娘ローラと共にイベントに参加したレズリー・スカップは語った。 訳注:Wheaties というシリアルを製造する General Mills 社は、長年にわたって偉大なアスリートを顕彰する「The Breakfast of Champions 」という限定シリーズを発売してきた。 http://www.ne.jp/asahi/pete/sampras/special_treasure/STWS.html しかし火曜日の午後、サンプラスのテニス・クリニックでサインをもらうために Wheaties の箱を持っていたのは27歳のローラだった。 「私は小さな子供みたいだったわ」と、彼女は火曜日のエキシビション後に語った。「彼が私にショットを打ち、私はそれを打ち返したの。素晴らしかったわ」 7回のウィンブルドン優勝者とヒッティングするチャンスを得た者は他にもいた。クーリエが背中のケイレンで小休止を余儀なくされた時、サンプラスは学生のボールパーソンを誘って、声援する観客の前でヒッティングを行ったのだ。 「夢みたいだった」と、15歳のエレン・シルバーは語った。彼女はネットの向こう側から返ってきたロブショットを叩き、サンプラスから1ポイントを勝ち取ったのだ。「彼はとても思いやりがあったわ。試合中、私たちが彼にボールを渡すたびに、『ありがとう』と言ってくれたのよ」 |
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