TENNIS.com
2008年3月10日
グッド・スポーツ:急場のセンター
文:Peter Bodo


やあ、皆さん。私はロジャー・フェデラーとピート・サンプラスが登場するエキシビション前の記者会見から、ついさっき戻ってきたところだ。記者会見は、ニューヨークのセントラル・パーク南側にあるエセックス・ハウス・ホテルで行われた。ピート・サンプラスが現役時、USオープンの最中によく滞在したパーカー - メリディアン・ホテルからほど近い所だ。その郷愁の念は、テニスが伝説的な開催会場であるマジソン・スクエア・ガーデンに戻ってきた事に感じるものと比べれば、小さかったが。

断っておくが、この最大のスポーツ会場に関する誇大宣伝を、私は全く認めていない。賛辞をオウム返しにする人々の間には、共通する1つの事柄がある――彼らはニューヨーク市民なのだ。彼らにとっては、マンハッタンの化身とも言える会場より素晴らしい何か / 何も(ベーグル? 演劇? 大衆の影響力?)があり得るなどとは、想像も及ばないのだ。それは皮肉にも、ご当地主義の馬鹿げたうぬぼれである。

私はガーデンが好きだ。しかしそれは、私なら「統一的」と呼ぶお粗末にも無個性な配色でまとめられた、大きくてごく一般的な屋内のスポーツ会場である。個性や美学よりも、維持管理の容易さと、皆を喜ばせる意欲を重んじるという言葉の意味において。

とはいえ、ガーデンはガーデンである。巨大なコマーシャル・スポーツの時代において、どこにも引けを取らない素晴らしい会場だ。そして認めよう。この手の論議では、誇大宣伝と認知度は実体と同じくらい重要なのだ。したがって今夜のエキシビションは、テニスにとって実に大成功なのである。つまるところ、ガーデンで最後に催されたテニスイベントは1996年の「ナイキカップ」だったのだ。そのイベントは、オールスター選手(ジム・クーリエ、サンプラス、アンドレ・アガシを含むナイキ契約選手)による、タイブレークや世界チームテニス風の簡略な得点方式を採用した、デビスカップのような(5セット 、5セット目のタイブレークはなし)小型大会だった。

しかし今夜は、違うものになるだろう。これは1つの貴重な見ものだ。なぜなら我々は、(かろうじて)世代の重なった2人の巨人が、もし同世代であったら好敵手となっていたかも知れないという感覚を提供する稀な、そして興味深い対決を見る事になるのだから。

これがエキシビションである事は忘れよう。同等の技能と業績を持ったプレーヤー同士が、こんなにも印象的な方法で彼らの筋肉と自我を繰り返し収縮させて真っ向から対決し得るとは、いかに稀な事かを考えてほしい。

それは1つの単純な理由のためである。サンプラスはまだ36歳で、彼が何よりも全く同様に(あるいはほぼ同様に)できる事はサーブである。それは彼が常に最高峰であり、彼の評判を築いたストロークであった。

フェデラーは10年と4日年下である(彼は8月8日生まれ、サンプラスは12日生まれ)。実に、それはテニスの基準から言えば絶対的な世代の差だ。しかし要点は、26歳と36歳の相違は、16歳と26歳、あるいは36歳と46歳の相違よりは小さいという事である。我々はまさに幸運である。サンプラスは幸運でないかも知れないが、彼の史上最高と言われる地位にチャレンジする初のプレーヤーが、こんなにも早く現われたのだから。

だからこれは歴史上で本当にユニークな瞬間である。私は記者会見でそれを感じた。私を驚かせたのは、出席する皆がこのイベントに認めているらしき信頼性の度合いだった。このような途方もない企画がしばしば煽りたてる、あるいは繰り返し強調する「ところでどの程度それは本物なのか?」という懐疑論やあけすけな皮肉の類を誰も表明しなかったのだ。そんな事は問題でないかのようだった。ここにいるのは互いに最大の敬意――そしてかなりの好意――を明らかに感じている2人の偉大なチャンピオンだった。そして彼らは戦いの場に臨み、少しばかりボールを強打する事を承諾したのだ。

私はロジャー・フェデラーへ、そして彼がこれに取り組んだ事へ最大の敬意を払っている。私はこの手の試合をする事に決して同意しなかったであろう(だからあなた方は私に、マイティ・フェドの美点を唱える)1ダースのトップ選手を挙げる事ができる。――恐らくロジャーの今夜の対戦相手を含めて。会見のある時点で、サンプラスはその問題について正直に感情を吐露した。「僕はロジャーに称賛を送らなければならない。彼にはこういったエキシビションをする必要がないんだ。僕の現役時に、(キャリアの似通った段階で)もしマック(ジョン・マッケンロー)がこのような企画をしようと持ちかけてきたら、自分がそれをしたかどうか分からない」

間違えないでほしい。このイベントが成立する主な理由――恐らく主な理由――の1つは、TMF( The Mighty Fed )が心の広い、そして揺るぎないチャンピオンであるだけでなく、さっぱりしたいい奴( good sport )だからである。どういう訳か、その句( good sport )が使われると、意味を捉えにくくなる事が多い。「Good sport」は、「心の広い( open-minded )」や「揺るぎない( secure )」よりは低い重要性、含意の表現かも知れない。しかしある意味で、それはフェデラー のような人間のより決定的な、そして稀な特質である。

TMF は高い要求や期待を担って毎日の生活を送っている(彼のチャンピオンとしての足跡で、近ごろ起こったつまずきに対する反響を見てほしい)。それでもなお、彼が自身の出場を厭わないのは……楽しいからだろう。興味深い。彼にとって記憶に残るものなのだ、恐らく他の皆にとってと同じく。

偉大なテニスプレーヤーについて考え、そして自分自身に問うてほしい。何よりもまず、彼らは競技場の外で good sports であると示す何かをしただろうか? 立派なチャンピオン、信頼できる人間、親切で礼儀正しく好意的であるだけでなく、ある意味でより小さいものだが、同じく感じが良く、だがしばしば称賛や利益の対象となりにくい何か――それが good sports である。

この試合に関する私の主たる興味は、このように大きなステージで満場の観客を前にプレーする時、もし試合が競り合ったら、彼らはどんな感情的反応をするだろうという事である。どんなポイントで、私の友人ピート・サンプラスと友好的なヒッティングをするのか、あるいは最後の場面でロジャーに対して強烈なセカンドサーブを導入するチャンスはあるのか:けっこう、皆さん、私はアクセルを踏みすぎている――道を踏み外している!

時の勢いに巻き込まれ、通常のエキシビション形態の一部ではないような方法でしゃにむに勝ちに行くのは、いずれか、あるいは両者に似合わない事だろうか? 私はそれを彼らに尋ねた。これはロジャーが語った事である。

「ソウル(2人が昨年秋にアジアでプレーした3回のエキシビションの初戦)は事情が違った。ピートはきまり悪い思いをしたくないと考えていた。そして彼は自分のゲームがどんな具合か分かっていなかった。僕にとっては気楽で、負けてもいいと思える余裕が現在よりもあった。実際のところ、僕はこのアリーナで、この都市で、今回はもう少し神経質になっている。ただもちろん、エキシビションで我を忘れるのは愉快だよ。試合の展開しだいでは、僕たちは少しクレージーになって、エキシビションならではの馬鹿げたショットを試みるかも知れないのは確かだね……。僕の気懸かりは、ピートがあのジャンピング・オーバーヘッドを打つチャンスを掴む事さ」

その時、サンプラスが話に入ってきた。「それは愉快だろうね。少なくとも1回くらいは打たせてくれよ、オーケイ?」

しかしサンプラスはすぐに真面目な様子で、彼も神経質になっていると認めた。サンプラスは、彼がフェデラーに勝利したマカオのサーフェスは、「まるで氷みたいで……テニスには不向きとさえ言えた」――それは自分が最も得意とするサーブにあつらえ向きだという符号だった、と述べた。

今夜のサーフェスはかなり遅めで、両者に彼らの道具と武器を使いこなすチャンスを与えている。サンプラスは慎重で、自分のゲームを論じるにあたっても、必ずしも自信に満ちてはいなかった。

「僕は今でもかなり上手くサーブを打つ事ができる。サーブ&ボレーもまあまあだ。だが、動きはかつてほどではないし、時たまプレーするだけなので、以前ほどのキレはないよ。だから堅実さと自信のほどは、申し分ないとは言えないね。現在は、ボールをトスアップして、どうなるかよく分からないって感じだ。何が起こってほしいと自分が望んでいるかは承知しているが、何が起こるかについては不確かだ。僕が主として望むのは、数回サービスゲームをキープできて、言わば試合に入り込めるという事だね。それができれば、オーケイだ……」

その後サンプラスはフェデラーの方を向き、冗談を言った。「ロジャー、君に尋ねたいんだけど、僕は……2回くらいキープできるかな」

サンプラスは、フェデラーはテニス界で最も優れた頭脳を持ち、最大の武器はフォアハンドだと見なしている。彼はまた TMF のサーブと多彩さを気に入っている。しかし何よりも認めているのは、他の選手達と分けるフェデラーの動きである。「ロジャーはテニス界でベストの動きをする。僕はそれを初めて(そして唯一)対戦した時に(唯一の対戦で、2001年にフェデラー が素晴らしい5セットの末にサンプラスを下した)知ったよ。

フェデラーは、サンプラスのセカンドサーブへの賛辞を語った。「ただキックサーブでプレーに入るのではなく、ピートは強烈なセカンドサーブで攻める事によってゲームを変えた。現在は多くの選手が似たようなやり方でセカンドサーブを狙ってくる。かつてはそうでなかった」

もちろん、最近のフェデラーの調子(先週土曜日、彼は単核症に罹患していたと明らかにし、プレーした2大会、オーストラリアン・オープンとドバイでは決勝の前に敗退した)を考えると、堅実性と自信という点では彼も絶好調という訳ではない。だが、現在はずっと良くなったと彼は言う。彼が単核症の影響を最も受けたのは、オーストラリアン・オープン前の数日間だった。「今不足しているのは試合経験だ」と彼は語った。「それ以外は、体調も気分もいいよ」

もちろん、他の人同様サンプラスも「王の死」の噂を聞いていた。だから彼が仲間のロジャーへの支援に乗り出したのは、大して驚くべき事ではなかった。「現在ロジャーは胸に標的を持つ男だ。彼は皆のターゲットなんだ。いざという時、もし僕が賭けをする――テニスではやらないよ、誓って!――なら、大きい、本当に大きい大会では、彼は最後に立っている男、トロフィーを掲げている男であると言うよ」

彼は TMF に向き直り、付け加えた。「彼ら(メディア)には書くべきストーリー、ロジャーが必要なんだ。そしてこれは彼らのストーリーさ」


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