オブザーバー・スポーツ・マンスリー
2007年7月号(No. 89)
ピート・サンプラス:インタビュー
文:Nick Greenslade


1.引退生活はどうですか?

2002年にプレーを終えた時、僕は31歳だった。そして、この先の人生で何をしていくか決定するのは、思ったほど簡単ではない。当時は妻が妊娠していたので、間もなく息子の世話に追われるようになったが、ゴルフをたくさんやり、遊びとしてのポーカーを多少する事もできた。最近になって、チャリティ・テニス大会でのプレーを始めた。僕には集中すべき競技的な目標が必要なんだ。

2.あなたのゴルフはどの程度ですか?

悪くはないよ。合衆国が1995年にデビスカップで優勝した後、チームはオーガスタ・ナショナルでプレーする事を許された。マスターズが開催されるコースだ。僕のスコアは85(13オーバー)だった。今コースを回ったら、どんなプレーをするかなと思う。今はもう少しましなプレーヤーだからね。

ライダーカップに行ってみたいな。雰囲気が素晴らしいそうだからね。だがヨーロッパはずっと合衆国に勝ち続けている。なぜだ? ヨーロッパの選手たちは全員一緒に夕食を食べているから、だけじゃない筈だ……。

3.あなたのスポーツ・ヒーローは誰でしたか?

オーストラリア選手、ロッド・レーバーとケン・ローズウォールが好きだったよ。彼らのプレーぶりだけでなく、コート外での振る舞いも。謙虚さがあった。コナーズやマッケンローは素晴らしかった。だが彼らは、どう言うべきかな、よりザラザラしているというか……。

4.ご両親はあなたにどんな影響を与えましたか?

母は25歳でギリシャからアメリカへ移住したんだが、お金もなく、英語も殆ど話せなかった。父はギリシャ人の父親を持つユダヤ系で、僕が子供の頃は2つの仕事に従事していた。だから、両親は努力と謙虚さについて大いに教えてくれたと言えるだろうね。

5.奥さんのブリジットは女優です。どのようにして知り合ったのですか?

1999年に友人たちと映画を見に行った。彼女が主演していた「Love Stinks」を見ようと、誰かが提案したんだ。その決定が僕の人生を変えたんだよ。彼女の顔は見た事があったが、名前を知らなかった。映画館から出てきた時、僕は友人の1人に、彼女に会ってみたいなと言ったんだ。幸いにも、彼はそのセッティングが可能だった。そして僕たちは翌年に結婚したという訳だよ。

6.最もタフな対戦相手は誰でしたか?

アンドレ・アガシ。僕たちは対照的なプレースタイルだし、彼は特別のギアを持っていた。もしミスをしたら、それでゲームは終わりだった。それと、どうプレーするかがイメージより重要な事だと、僕は彼に気づかせたと思いたいね。彼が引退した時、連絡を取る事は大切だと考えて、彼に何回かメッセージを書いて送ったんだ。僕たちはもうプレーしないからといっても、繋がりがなくなってしまうのは残念な事だからね。現在、僕たちは引退して、子供を育てている。ようやくお互いに共通項をたくさん持つようになったねって冗談を言うよ。

7.1995年オーストラリアン・オープンでジム・クーリエと対戦した時について、話してくれますか?

コーチのティム・ガリクソンは前にも倒れた事があったが、脳腫瘍(その結果、ガリクソンは1996年に亡くなった)があるかも知れないとの事だった。ティムを病院に訪ねると、彼は青ざめた顔で兄弟のトムに話をしていた。トムは涙ぐんでいた。だがあの試合の第4セットまでは、僕はすべてを心から閉め出していた。それから抑えがきかなくなり、感情が溢れ出してきた。ティムが痛みに苦しみ、トムが泣いていた事を考えずにはいられなくなったんだ。ジムが僕に、続けたいかどうか尋ねた。だが、すべてを為すがままにするのは心地よかった。僕は勝ったよ!

8.お気に入りの勝利は何でしたか?

多分2000年ウインブルドンだね。僕は記録的な7回目の優勝を果たし、初めて両親が見にきていたんだ。それから2002年USオープンの優勝。僕は2年間でグランドスラムの優勝がなくて、本当に落ち込んでいた。辞めるには素晴らしい形だったね。

9.今でも元コーチのピート・フィッシャーと話す事はありますか?

1998年に彼が子供への性的虐待で告発された時、僕はピートの側に立った。彼は良いコーチだったからね。2002年に刑務所から出所した後、彼はUSオープンで僕にコンタクトを取ってきたが、僕はひどい状態のようだと言い、非常に批判的だった。僕は彼に誠実さを示してきたのに、そんな事が適切だったとは思わないよ。それ以来、僕たちは話をしていない。

10.引退して以降、ウインブルドンに行った事がありますか?

いいや、だがテレビで見ている。コートに戻りたいと望む時だ。サーブ&ボレーをしようとする選手が殆どいないからね。それは失われた技だ。初めてあそこへ行った時の事は決して忘れないよ。僕は17歳で、100位にも入っていなかった。だが子供の頃はカリフォルニアで、テレビで見るために午前6時に起きていたんだ。ようやくあの場に立ったのは素晴らしかったよ。