インディペンデント
2008年12月3日
ピートサンプラス:征服者の帰還
文:Paul Newman


最高の成功を収めたテニス選手は引退生活に飽き、再び競い合うためロンドンに戻る。


髪は少し薄くなり、ベルトの穴は半分ほど広がったかも知れない。しかしピート・サンプラスの目には今でも競争心のきらめきが輝いている。昨日、37歳のアメリカ人は質問された。もし現在でもピークだったら、彼に7つのウィンブルドン・タイトルをもたらし、だが彼が振るったラケットと同じくらい旧式となったサーブ&ボレー・ゲームを今でもするだろうか?と。

「そうすると賭けてもいいよ」と彼は答えた。「何も変えないだろう。それは僕が学んだプレーの方法だった。さらに、それは現在のゲームでも成功を収めるだろうと言えるよ」

サンプラスは最後のウィンブルドン出場以来、6年ぶりにイギリスを訪れた。あの年、彼は2回戦で世界145位のスイス人、ジョージ・バストルに敗れたのだ。それは彼の引退を早めた敗北であった。その夏の終わりに、USオープンでもう1つのグランドスラム・タイトルを獲得したとはいえども。

元世界ナンバー1は、シニアサーキットに出場する事はないと語っていたが、今週ロイヤル・アルバート・ホールで開催されるブラックロック・マスターズ大会に出場する。初戦の対戦相手はジョン・マッケンローである。「ロンドンに戻ってきて嬉しいよ。今も雨が降っているけれどね」と、彼は開催場所に到着して語った。彼は19年前にそこで、世界ダブルス選手権に出場したのだ。

ところで、記録的な14のグランドスラム・タイトルを持つ男は、なぜコートに戻ってきたのだろうか? 「引退した者は誰でも、通常の生活に慣れるのに2、3あるいは4年かかるんだ」とサンプラスは語った。「引退生活がどんなものか、僕は分かっていなかった――扱いにくいものだよ。若い年齢で引退する運動選手は皆、自分を充足させる別の方法を見つけるつもりだと語る。僕がしたように31歳で引退すると、難しいよ。3年間、僕は何もしなかった。少し体重が増え、そして自分自身についてあまり心地よく感じていなかった。ゴルフをして、ポーカーや他の楽しい事をしたが、目覚めて思うんだ。『今日は何をするつもりか?』ってね。31歳で引退している、それは素晴らしいよ。だが同時に、僕は10代の頃から常に働き者だったんだ。数年も経つと、もっと何かすべき事が必要になった」

サンプラスは再びラケットを拾い上げ、2006年4月にはエキシビションに、夏の終わりには、シングルスとダブルスの組み合わせを呼び物とする、リラックスしたフォーマットのワールドチームテニスにも出場した。しかしながら、昨年早期にカリフォルニアでロジャー・フェデラーと練習する機会を持つまで――そして当時の世界ナンバー1に対して自分のサービスゲームをキープできると気づくまで――もっと定期的にテニスをしようとは考えていなかった。

秋にはアジアでフェデラーと3回のエキシビションを行い、ソウルとクアラルンプールではスイスのフェデラーが勝ち、マカオではサンプラスが勝利を収めた。今年の早期にニューヨークで対戦した時には、フェデラーが再び勝利した。

サンプラスは今週ロンドンへ向かう途上でエキシビションに出場し、ブラチスラバではドミニク・ハバティを下した。さらにプラハでは、世界27位のラデク・ステパネクを下した。「僕は今でもかなり上手くサーブ&ボレーができる」と彼は語った。「身体はいい感じで持ちこたえているよ、僕にとってはハードな試合だからね。そう頻繁にはこのレベルでプレーしない。今週はもう少し楽になる筈だ」

ハリウッド女優と結婚して2人の子供の父親となり、立て続けに何週間も地球を駆けめぐる気はサンプラスにない。しかし才能を再び披露する時折のチャンスは楽しんでいる。特にマッケンロー、ステファン・エドバーグ、パット・キャッシュ、グレッグ・ルゼツキー等に対しては。彼らは皆ロイヤル・アルバート・ホールで競い合うのだ。

「ここに来てイベントで勝たなければならないと感じるような事はないよ」とサンプラスは語った。「勝ちたいと思うけれども、20代半ば頃のような、オール・オア・ナッシングではない。言うなれば、人々は僕や出場者全員の良いプレーを見たいと望み、そして我々はみんな、自分のテニスにプライドを持っているんだ。僕は今でも勝ちたいし、素晴らしいプレーをしたいよ。かつてほど容易ではないけれどね。以前のようには動けないが、幾つかの事は今でもかなり上手くできるよ」

彼は付け加えた。「僕は家庭での生活を楽しんでいる。それと軽いスケジュールを組み合わせ、体調を保って少しテニスボールを打っていれば、僕はもっと良い父親・夫になれるよ。日中にする事があまりないと、我慢できなくなって自分に問いかけるんだ。「いったい僕は人生に関して何をしているんだ?」僕は今でもテニスを楽しんでいる。プレーしすぎる必要はないけれどね。3〜4カ月ごとにプレーするだけだ」

フェデラーは親しい友人となり、サンプラスは彼が自分のグランドスラム・タイトル記録を破るのに必要な2タイトルを獲得すると予想している。「自分の記録が永久に保たれるのなら、それは嬉しいよ。だがもし破られるのなら、ロジャーのような人がふさわしい」とサンプラスは語った。「彼はテニス界の名誉となる人物だ」

「僕たちは頻繁に手紙(メール?)を交わしている。彼は自分のしている事を告げ、僕が何をするのか尋ねてくる。アジアで一緒に1週間を過ごし、そして意気投合したんだ。我々の性格は似通っている。彼はかなりの皮肉屋で、そして飾り気がないんだ。楽しく過ごしたよ」

もしフェデラーが来年の夏にウィンブルドンで自分の記録を破る事になったら、「ロジャーと記録双方への敬意を込めて」その場に居合わせたいとサンプラスは語った。ところで彼は今週、再びオール・イングランド・クラブを見るために、足を伸ばす気になったのだろうか? 「それは考えてきた。車を走らせてチェックし、もう一度センターコートを歩いてみるかも知れない」

「あの場所が恋しかったよ、もちろん。センターコートが恋しかった。もう一度あそこでプレーしてみたいよ。難しいかも知れないが、僕に練習のセットか何かをプレーさせてくれるかどうか、ことによるとクラブに訊いてみるかも知れない。今週、あるいはこの先数年のいつか、息子たちを連れて戻りたいね。歴史的な場所であり、僕のキャリアにとって大きな意味があった。素晴らしい思い出がたくさんあるよ。世界に2つとない場所だ」

フェデラーは世界ナンバー1の座とオール・イングランド・クラブの栄冠をラファエル・ナダルに奪われはしたが、「彼が望むだけのウィンブルドン」に優勝できるとサンプラスは考えている。「ロジャーが1つ優っているのは、トップに留まるためにラファよりもはるかに少ないエネルギーしか要しない事だと思う」とサンプラスは語った。

「ラファが試合で勝つには大いなる努力を要する。彼は各ポイントに精力を注ぐので、やがては何かが損なわれるだろう。彼は究極のアニマルだ。だがいかに力強くても、肉体にそのツケが回ってくると思うよ。ロジャーとは違い、彼は骨の折れる仕事を重ねる。ロジャーのプレーは流れるようで、試合はもっと容易だ」

サンプラスはフェデラー、ナダル、ノバク・ジョコビッチ、アンディ・マーレーが今後数年の間ゲームを支配するだろうと考えている。マーレーが初のグランドスラム・タイトルを勝ち取るために必要なのは、自分を信じる事だと言う。

「彼は優勝もできる所にいるが、時が必要だ」とサンプラスは語った。「僕は自分が本当に優勝する資格があると感じるのに、時間がかかった。今年のUSオープン決勝を見ていて感じられたが、彼はあの試合に勝てると信じきっていなかった。もし彼が来年も同じ状況に至ったら、もっと強い信念を持っていると思うよ」

ウィンブルドンの王:いかにサンプラスは SW19番地――さらにそれ以上を支配したか

* 1988年、サンプラスは16歳でプロに転向し、その年を97位で終えた。

* 初のウィンブルドン出場時、サンプラスは1回戦でトッド・ウッドブリッジ に5-7、6-7、7-5、3-6で敗れた。

* 1993年7月、サンプラスは決勝戦で元世界ナンバー1のジム・クーリエを下し、初のウィンブルドン・タイトルを獲得した。

* 彼の7回に及ぶウィンブルドン・シングルス優勝は、ウィリアム・レンショーと並ぶ最多記録である。

* 2001年、サンプラスは4回戦で19歳のロジャー・フェデラーに敗れ、ウィンブルドンにおける31連勝が止まった。

* サンプラスはウィンブルドンで戦ったシングルス70試合のうち、63勝した。

* サンプラスは2000年ウィンブルドンでパット・ラフターに4セットで勝利し、ロイ・エマーソンの持つ12のグランドスラム男子シングルス・タイトル記録を破った。最終的に、記録である14のグランドスラム・タイトルを獲得した。

* サンプラスは今年のブラックロック・ツアーでは1大会にのみ出場し、決勝戦ではマルセロ・リオスを6-2、7-6で下して、ブラジリアン・グランド・マスターズ大会に優勝した。


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