ESPN.com
2008年6月18日
見た目より遙かにダイナミックなコーチングの世界
文:Greg Garber


ローランギャロのドローを勝ち上がってくるさ中、アナ・イワノビッチは関係者席と目に見えない絆で精神的に繋がっているようだった。彼女はウィナーを打つたびに小さく拳を握って捻るように回し、そして得意げにコーチのスベン・グローネベルトに目を遣った。

ボックス席にグローネベルトがいない時でさえ。――彼はアディダス社から派遣されているのだが、アディダスはイワノビッチと対戦相手ディナラ・サフィナ両者のスポンサーなので、利害の衝突を避けるために席を外していた。イワノビッチは6-4、6-3で決勝戦に勝利して初のグランドスラム・シングルス・タイトルを獲得し、世界ナンバー1の座も射止めた。

トップ10に上がったサフィナもまた、コーチに感謝の意を表した。

「今年の始め、もし私はフレンチの決勝戦に進出するだろうと誰かに言われたら、『冗談でしょ?』と答えたでしょうね」とサフィナは語った。「でもコーチは私を信じてくれた。彼は私に、私は良いプレーヤーだと言い続けてくれた。ひどい敗戦の後でさえね。私はもっと頑張らなくちゃいけない。完璧主義であらねばならないわ」

合衆国デビスカップ監督のパトリック・マッケンローは、懐疑論者の言い分を耳にした。

彼はローランギャロで語った。「部外者はバカにしたように言う。『なぜ選手たちはああも頻繁に関係者席を見るんだ?』と」「その理由は、選手は独りだからだ。ゴルフではキャディーがいる。他のスポーツでもコーチは側にいて、指導する事が許されている。テニスでは、厳密には脇からのコーチングが認められていない」

男女双方のフレンチ・オープン決勝戦で、コーチングは舞台裏の注目事項だった。ロジャー・フェデラーが高名なコーチ、ホセ・ヒゲラスと組んだ事は男子サイドの主要な話題だった。しかしラファエル・ナダルはストレートセットでフェデラーを退けた。

「コーチは過大評価されていると思う」とヒゲラスは大会前に語った。

ヒゲラスの発言は妥当か? あるいは一方、コーチは遙かに過小評価されているのか?

実際のところ、プロテニスの最高レベルにおけるコーチングは曖昧な仕事だと見なされている。正確には、コーチは何をするのか? 彼らはトレーニングの専門家、戦術の賢者、アマチュアの心理学者――あるいは単に雇われた夕食の相手なのか?
カルロス・ロドリゲス
ジュスティーヌ・エナンのプロキャリアを通して、カルロス・ロドリゲスは彼女の人生に欠かせない存在だった。

その全てである。

テクニックに関しては、ほとんどの選手は10代前半にユースやジュニアのコーチから学んでいる。しかしプロをエリートランクへと導く事は、より複雑な科学である。そして関係者席からのコーチングは非合法とされているが、彼らがしているのはごく些細な事だとエリートのコーチ達は言う。

フレンチ・オープンの開幕前日、ジュスティーヌ・エナンは記者会見で引退について語った。彼女は年度末の世界ナンバー1に3回なり、7つのグランドスラム・タイトルを獲得したが、自分の考えでテニス界を去るのだと主張した。

「サーキットから離れる事を寂しくは思わないわ」とエナンは語った。「旅行も懐かしいとは思わない。いちばん恋しいと思うのは、コーチのカルロス・ロドリゲスとの関係ね。私たちは日々とても一生懸命努力してきたし、とても近しい間柄だったから。カルロスは徹底したプロフェッショナルだったから、小さな事柄こそが重要だったわ」

ロドリゲスの名前は、エナンが獲得した41のシングルス・トロフィーには刻まれていない。しかし彼らの長きにわたる協力関係は、コーチの価値を典型的に示すものである。エナンの母親は彼女が12歳の時に亡くなった。そして父親や兄弟との関係は上手くいってなかった。ロドリゲスはエナンが14歳の時にコーチとなったが、彼女の満たされない部分を埋めてきた。彼は父親のような存在だったのか?

「そうとも言える――だが私は父親ではない」とロドリゲスは語った。「私は彼女に厳しい。彼女は私に言う。『私が好きなのは、あなたはお世辞を言ったりしないけれど、自己の考えを明確にするところよ』と」

慎重を要する点
まず最初に、従来のチーム監督に関する見解を捨ててほしい。ヴィンス・ロンバルディあるいはビル・パーセルズ(共にアメリカン・フットボールの監督)は、テニスのコーチになる事はあり得なかった。

「NFL や NBA とは非常に、まったく違うものだ」とポール・アナコーンは説明した。「それらの監督は、プレーヤーに何をすべきか指示するために雇われている。テニスでは、プレーヤーは自分の言う事を聞いてもらうために我々を雇うのだ。彼らは優れたプレーヤーだ。命令されたり怒鳴られたりする事は望まない。(コーチは)論点を選んで、自分の意見を証明するために統計値を示すのだ」

私の場合、最も注意を要する点は、言うべき事をプレーヤーが聞きたいと望む言い方でいかに話すかという事だ」

アナコーンは現在、イギリスのテニス理事会であるローン・テニス連盟の男子ヘッドコーチを務め、さらにジョン・ロイドと共にデビスカップ・チームを指導している。アナコーンはピート・サンプラスのコーチを8年間にわたって務めた事でもよく知られている。

サンプラスの記録的な14のグランドスラム・シングルス・タイトルのうち、1995年から2002年までの9つは、アナコーンと共に獲得したものだった。アナコーンはまた、2004年から引退までの間、イギリスのティム・ヘンマンのコーチを務めた。

その一線にまたがるアナコーンの能力――プレーヤーが聞きたがる事に対して、必要な事を明確に表現できる能力――は、彼の成功における最大の要因だった。アナコーンは一例を提示した。もっと頻繁にネットへ出るようにというアドバイスに対して、サンプラスは概して抵抗した。

「ピートのような男、史上最高の選手の1人は、コート後方にステイバックしたがる。なぜなら彼は対戦相手よりも優れた運動選手だと感じているからだ」とアナコーンは説明した。「それは『僕は相手より多くボールを打ってやる』という本能にも等しい」

「コーチとしては、彼が自分の意志を相手に押しつけ、もっとネットに出てボレー技能を生かすところを見たい。つまり、彼の偉功を押しつけるのだ。『僕はピート・サンプラスだ』と」

「それをどうやって彼にさせるか? 私ならこんな風に言う。『君は様々な武器を持っているのに、そのすべてを使わないと決めているなら、武器を持っている意味は何なのか?』と。前に出て試合の主導権を握り、相手に承服させるよう試みる。試合の早い段階でメッセージを送るのだ。試合が進むにつれて、プレッシャーがかかる状況になると、自由にラリーをする時間とスペースを与えすぎるよりも、対戦相手はそれを感じるだろう」
ポール・アナコーン
テニスに関するポール・アナコーンの洞察力を凌駕する者はほとんどいない。しかしまた、彼は聞き手としての自分の役割を理解している。

ゲームに対する深い理解は、コーチとしての基本である。しかしアナコーンによれば、その知識を伝えるコミュニケーションの能力が不可欠である。

「伝えるべき事柄を持っていなければならない――それは言うまでもない」とアナコーンは語った。「だが適切な方法でそれを伝えなければならないのだ」

「人によって異なる。ピートは短くて簡潔なコメントを好んだ。ティムはもっと長い形式を好んだ。彼は詳細や込み入った論議をより受け入れた」

「状況について明確に説明できれば、それだけ関係も実りあるものになる」

今日のトッププレーヤーは、多くの声が耳に入ってくる。親、ジュニア時代のアドバイザーやコーチからの言葉がある。親はコーチである場合も多い。カリフォルニアの子供時代、リチャード・ウィリアムズは娘のビーナスとセレナにゲームを教えた。現在でさえ、彼と母親のオラシーン・プライスは彼女たちのコーチと記載されている。ユーリ・シャラポフは元選手のマイケル・ジョイスと共に、娘のマリア・シャラポワをコーチしている。コーチとプレーヤーはチームの核となるが、エージェントあるいはビジネス・マネージャー、フィジカル・トレーナー、マッサージ・セラピスト、ラケット・ストリンガー等もしばしば加わる。

ある意味で、プレーヤーとコーチの関係はプラトニックな結婚のようである。

「そうだね」とアナコーンは語った。「ピートと私は8年間いつも一緒だった。一緒にトランプをし、レンタル映画を見て、夕食をとりに出掛けた」

アナコーンは穏やかな人柄で、情緒的にはブラッド・ギルバートと正反対である。ギルバートはアンドレ・アガシと8年間うまくやってきたが、より若いアンディ・ロディックやアンディ・マーレーとの最近の関係は、比較的短かった。公平に言えば、両プレーヤーより遙かに年上のギルバートは活気溢れる男――24歳と7歳の関係と見なせる――で、最終的には生徒たちに我慢しきれなくなったのだ。

WTA ツアーのナンバー3選手エレナ・ヤンコビッチは、3月のインディアンウェルズ時にはコーチを切望しているようだった。

「これ以上は独りでいたくないわ」と彼女は語った。「私よりも優れた知識を持っている人のアドバイスを聞きたいの。ふさわしいコーチがいれば、私を正しい軌道に導いてレベルを引き上げてくれるわ」

「優れたコーチはみんな既に契約済みか、あるいは旅行を望まない。とても、とても厳しいわ」

1カ月後、彼女は馴染みの場からサポートを見いだしていた。リカルド・サンチェスはしばらく彼女のキャリアを見てきた人間だが、フルタイムの旅行を含む仕事を引き継いだ。即座にヤンコビッチはイタリアン・オープンで優勝した。ヤンコビッチはナンバー1になれるゲームを持っている、とサンチェスは言明した。ヤンコビッチは数カ月前よりも遙かに自信に満ちた口調で、コーチの意見に同意した。

新しい視点
ピーター・ランドグレンは、1週間前に最新の依頼人がドイツ、ハレでストレートセットの敗北を喫したにもかかわらず、楽天的な口調だった。

ランドグレンはホテルの部屋から報告した。「彼はなんと最初のポイントでダブルフォールトを犯したんだ。だがかなり良い試合をしたよ」

彼の新しい依頼人はマルコス・バグダティスである。そして彼が6-4、6-4で敗れた相手は世界ナンバー1のロジャー・フェデラーだったのだから、ランドグレンは将来について肯定的だった。バグダティスはテニスとは縁のなさそうなキプロスの出身で、2006年にはトップ10に躍進したのだ。彼はオーストラリアン・オープン決勝(フェデラーに敗れた)に躍り出て、さらにウィンブルドンでは準決勝に進出し、順位を8位にまで押し上げた。 それから……。

1年前のウィンブルドンで準々決勝に進出した後は、さほど結果を残してこなかった。バグダティスは見事な技能を持っているが、とりたてて練習に熱心なプレーヤーとしては知られていない。ハレまでの2008年勝敗記録は、11勝8敗と平凡なものだった。ローランギャロでは1回戦で、シモン・ボレッリにストレートセットで圧倒された。

ランドグレンは形成期(2000〜2003年)のフェデラーをコーチしたが、現在25位のバグダティスには主としてゲームの組み立てと鍛錬を指導するために雇われた。

「新しい視点――それが私の仕事だ」とランドグレンは語った。「選手には見えない事をコーチは見るのだ。彼らはプレーするのに忙しいからね」

ランドグレンは、コーチはいかにプレーヤーの成熟度に順応しなくてはならないかの好例である。ランドグレンが初めて就いた有名選手は、チリの移り気なマルセロ・リオスだったが、彼をナンバー1へと導いた。それによって、フェデラーと組むという人も羨む仕事を手に入れた。

「ロジャーに対しては、父親的役割もあった」とランドグレンは語った。「マラト(サフィン)やマルコスに対しては、異なったアプローチをしている。彼らはすでに大人の男だ」

バグダティスは今週で23歳になり、どのようにショットを打つべきかは心得ている。ランドグレンの仕事は、それをいつ、どこへ打つかという着想を彼に教える事である。

「変えるべき事はたくさんある」とランドグレンは語った。「彼はもっと攻撃的になる必要がある。ベースラインからのプレーが多すぎる。ネットへの出方が大きな課題だ。また、以前の彼はキックサーブを入れにいくだけだった。現在は多様性を増して、サーブを有効に使うよう取り組んでいる」
ピーター・ランドグレン
ピーター・ラングドレンはロジャー・フェデラー、マラト・サフィン等をグランドスラム・タイトルへと導いた。

「彼はまだ自分のゲームを分かっていないのだ。素晴らしいショットメーカーだが、いつ前へ詰めるか、そこで何をするかが分かっていない。ポイントによっては、反射的な対応もほしい」

ダレン・ケイヒルもランドグレン同様、注目度の高いプレーヤーと組む幸運に恵まれてきた。上昇期のレイトン・ヒューイットとキャリア終盤のアンドレ・アガシ。現在ケイヒルは ESPN 局の解説者とオーストラリアのデビスカップ監督を務めているが、ローランギャロで5番コートを見下ろす3階のテラスに座って、両選手との取り組み方を語った。

「レイトンと組んだ時、彼はまだ子供だった」とケイヒルは語った。「プレーの仕方や作戦などを学んでいた。彼は『どうやって相手の弱点を突くのか? オーケー、ポイントのこの時点ではどこにボールを打つのか?』などを質問していた」

「アンドレとの場合は、彼のゲームを最大限に活かす事が中心だった。我々は戦略を練ったものだった。だが最も重要な事は? それは彼の話を聴く事、コーチする前に、自分がアンドレに何をできるか理解する事だった。その後は、私の仕事は情報を分析し、彼に示唆する事だった」

ケイヒルは南オーストラリアの有名なフットボール選手・コーチの息子で、現役時には「殺し屋」のあだ名を持っていた。ケイヒルが堅実なプレーヤーであった事は、偶然ではない。最高で22位まで上がり、1988年にはUSオープンの準決勝に進出して、その過程でボリス・ベッカーを倒した。ランドグレン(23位)とアナコーン(12位)もまた、共に順当なランクのプレーヤーで、その経験をコーチングに活かした。

「それは必須条件ではないが、役立つのは確かだ」とアナコーンは語った。「私の場合、真に妥当な事は、基本に返って『オーケー、ここで深呼吸をして、プレーすべき事を思い出そう』と言う事だ」

「それはプレッシャーの下でフォアハンドやバックハンドを打つ事以上に意味がある。プレーヤーの生活には、表に現れるよりも遙かに多くの事が進行している。空港で手荷物が失くなったり、怪我の治療中だったり、ガールフレンドと諍いを起こしたりしているのだ」

元気づけとサポート
「カモン、ジョン。君ならできる」

マッケンローは10番コートの南西の角で、フェンスの隙間に顔を押し付け、ジョン・アイズナーが危機を乗り切るよう励ましていた。そこはローランギャロでも人けのない区域で、観客は立ち入り禁止だった。しかしマッケンローはメディア用パスを持っていたので、このユニークな場所から見る事ができたのだ。

「スタンドは満員だったんだ」と、後に合衆国デビスカップ監督はスザンヌ・ランラン・コート下のカフェテリアで語った。

「サポートしていると示すんだ。彼を元気づける事。している事を続けるんだ、ポイントを素早く終わらせろ、と。それは効果を生じる事もある」

アイズナーはその1回戦で、5セットの末フアン・イグナシオ・チェラに敗れた。しかしマッケンローが(事実上)コーナーにいた数ゲームの間は、より良いプレーをしているようだった。デビスカップでは、監督は形式的なものと見られる事もある。しかし2007年、彼は単なるチアリーダー以上の存在であるとマッケンローは証明した。彼はロディック、ジェームズ・ブレイク、ボブ&マイク・ブライアンをデビスカップ・タイトルへと導いたのだ。

「フルタイムの個人コーチでない場合は、戦略上の役割が大きくなる」とマッケンローは語った。「彼らに自分のゲームをより効果的に用いるように、対戦相手を打破するようにさせるのだ」

「私の基本は常に、『自分の強みを使え。弱点をカバーしろ』というものだ」

合衆国テニス連盟はマッケンロー、元トップ30プレーヤーに報いて、選手育成担当に彼を任命した。マッケンローの責務の1つは、北京における合衆国オリンピック・テニスチームを監督する事である。男子ヘッドコーチはロドニー・ハーモンで、ジェイ・バーガーが補助に就く。彼らはブレイク、サム・ケリー、ブライアン兄弟と協働する。
パトリック・マッケンロー
デビスカップチームを監督するには、まったく新しい活力を要する。昨シーズン、パトリック・マッケンローは12年間で初めて合衆国チームをタイトルへと導いた。

「私が関わる1つの領域は、対戦相手の偵察だ」とハーモンは語った。「ドローが発表されたら、試合を観戦する他に、プレーヤーとコーチに電話をかけて、対戦相手に関する情報を伝える。プレーの傾向を見つけるのだ。ビッグポイントではどこにサーブを打つか? どこでリターンをするか? バックハンドは高く構え、フォアハンドは低くか? どのようにボレーをするか?」

「もし1つの事を見つけられれば――例えばフォアハンドではワイドに出るとか――第3セット5オールでそれに備え、ウィナーを打つ。やってみる価値がある」

フレンチ・オープンで、次の対戦相手が決まるシモン・グルエル - アーネスト・グルビス戦の前に、彼の個人コーチであるブライアン・ベイカーが偵察をする、とブレイクは述べた。

「彼はその試合を見て、そして優れた偵察レポートを書いてくれるだろう」とブレイクは語った。「それについて検討するのは、おおむね10分以下だ。僕は2〜3の明確なプラン、何をする必要があるかという2〜3の明確なアイディアを持って試合の場に臨み、そしてそれを実行したい」

ランドグレンはリオスと別れた後、気性の荒いチリ人には「コーチよりも心理学者が必要だ」と言った。

しかし、それは職務の一部ではないのか?

「そうだ」とランドグレンは認めた。

「彼のコーチに就いたのはずっと以前の事だった。私はまだコーチとして非常に未熟で、初めからそういった人間と組むのは厳しかった。試みて、そしてプレーヤーがどのように励むのかを理解するのだが、常にそうできるとは限らない」

バーガーはより優れたコーチになろうと、フロリダのノバ・サウスイースタン大学で 精神衛生カウンセリングの修士課程を受講している。

「テニスでは心理面がとても重要だ」と彼は語った。「これは選手との向き合い方に役立つだろう。彼らの親との向き合い方にも」

トップ25以下の大方のプレーヤーがコーチに支払うのは、ささやかな給料である。恐らく賞金の10パーセントに、タイトルを獲得したりグランドスラムで良い成績を挙げた時のボーナスだろう。一方ギルバートは、伝えられるところによれば、ローン・テニス連盟のハイ・パフォーマンス・コーチとして、1年に100万ドル以上を受け取っている。

トップのコーチが入手できる高額の金について尋ねられると、ランドグレンは「そういう風には捉えていない」と笑って答えた。「確かに多くの金だ。恐らく我々は本当に効果を上げているんだろうね」


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