ESPN.com
2008年5月9日
現在でも、サンプラスは伝説的な地位を増大させる
文:Bonnie D. Ford

ピート・サンプラスは記録的な14のグランドスラム・タイトルを獲得し、6年連続で世界ナンバー1の座に就いた。


今年4月ESPN.com はユーザーに、テニス界で最も偉大な存命中の偉人を挙げるよう依頼した。5月5日、我々は「ロケット」ロッド・レーバーから、選出された上位5人の紹介を始めた。しかし投票で、最も抜きんでた名高い生ける伝説として独走したのはピート・サンプラスであった。

ボストン――ボストン大学のアガニス・アリーナに、象徴的な稲妻がコートを走った。アウトバック・チャンピオンズシリーズで、ジョン・マッケンローがピート・サンプラスを破ったのだ。サンプラスに対する彼の初勝利だった。彼らが初対戦したのは1990年の事で、サンプラスは秘かに闘志を燃やすティーンエージャー、マッケンローは新時代から去ろうとする老兵だった。今マッケンローは言葉少なに両腕を突き上げてコートを巡り、あたかもメジャー優勝を遂げたかのように勝利を祝う。

サンプラスは義務である記者会見にすぐさま向かう。時刻は午後10時で、彼は背中を捻っており――「シニアツアーへようこそ」と、マッケンローは後に言うだろう――敗戦に満足していない。しかしサンプラスは今でも忍耐強く、そしてプロである。

その後、スターに心奪われて口ごもりがちな地域ネットワーク系列のレポーターが、廊下でサンプラスにしつこく質問する。

「あなたは自分にできる事を、今でも評価しますか――つまり、自分自身の真価を認識していますか?」とレポーターは尋ねる。

サンプラスは皮肉っぽく微笑む。「僕にはそれほど洞察力がないよ」と答える。

我々は反論させてもらおう。サンプラスは我々の偉人投票で1位になり、5名のラインナップでただ1人それなりのテニス活動をしている生ける伝説だが、思慮深く、自主的で断固とした精神を持つ運動選手であると、過渡期の中で示してきたのだ。

宿敵アンドレ・アガシに対する感動的でハリウッド映画のような2002年USオープン優勝の後、彼は性急な引退を拒み、考えが纏まるまで決断に1年近くの時をかけた。サンプラスは今も、どんなカテゴリーの中にも属さないだろう。

「ピートは何事も、彼なりの秩序だったやり方で行うんだ」と、先週ジム・クーリエが語った。「彼はこんな風に感じる事もあり得ただろう――『僕はすべてを捧げた、これ以上は何もない。僕には家族があり、ひっそりと家庭生活を営み、そして完璧な終局へと消え去るんだ』と」

「彼の権利としては妥当だっただろう。だがテニスのためには残念な事だっただろう。結局、彼がスポーツに戻ってきて、我々はより恵まれていると思うし、彼は精神的なルーツと再びきずなを持って、恐らくいっそう満足感を覚えていると思うよ」

私がサンプラスを掴まえて、テニスと同じくらい刺激的で、かつ報われる他の何かを見つけるだろうと考えたかどうか尋ねた時、彼は礼儀正しく質問の最後の部分を切り離した。

「それは微妙だね」とサンプラスは答えた。「難しいよ。引退とは進行中の仕事だ。情熱が何に向かうかを見いだすのは非常に難しい。……31歳で引退している、いわば自分自身を作り直すんだ、それは簡単じゃないよ」

彼は3年間ラケットに触れなかったが、その後は少しばかりテニスをするようになった。

最も必要としないのは、サンプラスの少なからぬ業績を繰り返し論じる事である――19歳でのUSオープン優勝、14のグランドスラム・タイトル、7回のウィンブルドン優勝、ロシアでのデビスカップ決勝戦で優勝に貢献した彼の奮闘。

通常サンプラスはコート上でとても抑制が利いていたため、彼が感情をあらわにした瞬間は、トロフィーと同じくらい際立っている。彼は消耗戦となったオーストラリアン・オープン準々決勝クーリエ戦の最中、病に倒れたコーチのティム・ガリクソンを思って泣いた。ガリクソンは後に癌で亡くなった。

サンプラスはほぼいつも圧倒的だったので、人々は彼が問題を抱えながらプレーした時に執着しがちである。5セットにわたったUSオープン準々決勝アレックス・コレチャ戦で、脱水状態のサンプラスがコート上で2度も嘔吐したにもかかわらず辛勝した時のような。

しかし読者は恐らくそのすべてを知っているだろう。彼の履歴書は、すでに別の場所で詳細に報じられてきた。その代わりに、サンプラスが位置するこの興味深い不確実な状態を舵取りする様に敬意を表そう。

もちろん、彼は注目を集めたロジャー・フェデラーとのエキシビションで、かなりの報酬を受け取っている。同じくクーリエ主催のアウトバック・ツアーにもほど良い賞金がある。しかしサンプラスが打ち立てた14というグランドスラム・タイトル記録をフェデラーが熱心に追いかけ、自身の記録、スタイル、存在感が、今でもテニス界で大いなる話題となっている時、競技の場に身を置くには度胸が必要である。

サンプラスが頭をひょいと下げて、一見くつろいだ様子でベースラインへとゆったり歩く時、あるいはネット際で跳び上がってボレーをするたびに、彼は今や37歳近い身体にあの見慣れた癖を移し替え、そう昔の事でもない彼自身との際どい、そして必然的にありのままの比較を招き寄せる。彼がそうするのは、自分の遺業は揺るぎないという断固とした自信を物語っているのだ。

マッケンローが指摘したように「僕と試合をしても、彼が得るものは大してない」。そして大方の対戦相手に対しては、フェデラーとのエキシビションで勝利して人々を驚かせた事を除けば、失うものの方が多い。「彼が機会を選ぼうとするのは分かる」とマッケンローは語った。「彼には続けてほしいね。テニスにとっても、そして最終的には彼にとっても良い事だろうと思うからだ」

昨年秋にアジアで催されたエキシビション3試合の1つでサンプラスがフェデラー を負かし、さらにマジソン・スクエア・ガーデンでの特別興業で勝利の寸前まで行ったのを見た時(サンプラスが勝利を欲していなかったと思う者は頭がおかしい)、彼は特別出場として ATP ツアーに復帰できるか、あるいは復帰すべきかという新たな推測が持ち上がった。

かくかくしかじか……。サンプラスがゲームから去った理由の1つは、彼のように偉大な選手には決まってつきまとう、一定の厄介な吟味を終えているという事だった。

「我々は打ち解けた会話をしたが、彼は情緒的なストレスのために辞めたという事実について、率直に包み隠さず話してくれたよ」と、サンプラスの同世代人で、最近のアウトバック大会でもプレーした外向的なジャスティン・ギメルストブは語った。「彼が『肉体的に』できなくなったからではないようだった」

「ツアーでもある特定の状況でなら、彼は今でも脅威となり得るだろうが、5セットマッチや2週連続となると、それは別の話だ」

2002年USオープンでサンプラスが最後の輝かしい疾走を遂げるまで、優勝のない2年間、人々は彼に引退をやかましく要求した。そして現在、彼の復帰を切望する者がいる。彼にとってその与太話は、愉快さと迷惑のどこか中間であるに違いない。

「一般論として、僕がプレーを再開してまあまあのプレーをし、ロジャーともかなり競った試合をすると、『復帰してはどうか』という声が上がるのは分かる。だが復帰にはもっと多くの事があるんだよ」とサンプラスはボストンで語った。「スポーツにおける毎日毎日の骨の折れる努力は、もう僕の中にはないものだ」

「プレーをしていて、競い合いたい、楽しみたいと思う、それは1歩を踏み入れ1歩を退いているように見えるかも知れない。だが僕は2歩を退いていると、心の底から承知している。考慮する事さえないんだ。復帰する事は考えた事もないよ。年齢を重ね、身体は言うことを聞かなくなってくる。僕は今でもまあまあのプレーをしているが、現役時のライフスタイルを懐かしむ事はないよ」

しかし彼が恋しく思ったものは、競技のアドレナリンだけでなく、第2の天性となった規律正しさでもあった。サンプラスは退屈だからプレーしているという意見には異論を唱えるが、安逸な生活に「落ち着かなく」感じた事は認めている。「それは準備をして、体調を整え、集中すべき何かをもたらす」と、パートタイム的なプレーのスケジュールについて語った。

サンプラスは2年前にヒューストンでのエキシビションと短い世界チームテニスのシーズンを経験し、テニス界に再びちょっと足を踏み入れて以来ずっと、この経緯から何を望むかについて一貫した態度でいる。

「はっきりさせておきたいが、僕が何回かエキシビションでプレーしているのは、引退から復帰するという表示では決してないよ」質問者たちがその話題に固執していた頃、彼は電話記者会見でレポーターに断固として告げた。そして後に、「僕はキャリアの大部分で、自分の胸には標的があるように感じていた。だから太刀先をかわすような事は、懐かしく感じるものではない」と語った。
サンプラスはロジャー・フェデラーとのエキシビションを含め、ゲームに戻ってきた。

しかし他の何かが起こったのだ。その電話記者会見に参加した我々は後に、サンプラスの口調がいかに大らかで隠し立てなく、我々と気軽に冗談を交わしていたかに気付いた。彼の現役時代、すなわち雑音を遠ざけ、ゲームにすべてを注ぎ込み、そして我々が彼を知る事のできる余地があまりなかった日々から、事態は変わってきていた。

さて、現役時には熱意が足りない性格だといい加減なレッテルを貼られたプレーヤーは、本を書いてきた(この春後半に発行予定で、テニスマガジン誌のピーター・ボドと共同執筆)。サンプラスは自分への、そして自分がいかに事を成したかについての好奇心を理解しており、それに抵抗する事はない。それは昔々の物語――自分のやり方でできるようになると、もっと近づきやすくなった偉大な運動選手の物語である。

「私も彼のように慎重で、壁を築いていたわ」と、クリス・エバートは最近のインタビューで語った。「キャリアが終わりへ向かうにつれて、打ち解けてきたけれど、自分の感情を守る必要があるのよ。試合のために蓄えておかなければならない」

時折プレーする事は、自分にバランスをもたらしてくれるとサンプラスは語った。しかし同時に、このように物事の釣り合いを永久に保てる事はないかも知れないと彼は認識している。

「たくさんプレーするか、あるいは全くプレーしないか、どんな決断をするにも急ぐという事はない」と、アウトバック・シリーズで彼は語った。「いわば毎月どんな風に進むか、そして自分がどう感じるかを見ていくんだ。僕は今でも楽しんでテニスボールを打っている。あとどれほどプレーしたいと望むか、それは何とも言えない。5年間これをしているかどうか、僕には分からないよ」

なぜ我々はシニアツアーを好むのか、かつての偉人たちによる懐古趣味とアンコールが好きなのか? それは彼らが過去の威光の幻影と共にボールを打つのを見る事以上のものがあるのだ。我々は彼らを直接見る事に馴染んでいた。彼らのしている事を我々自身で判断できる事に慣れているのだ。彼らを好きだとすると、ごく単純である:我々は彼らが元気でやっていると知りたいのだ。

世界には競技場で何をも可能にした「偉人たち」が大勢いる。しかし彼らがその後の人生をいかに過ごしているかについては、なかなか知り得ない。サンプラスは歴史上のいかなるテニスプレーヤーの中でも、最も完璧な最終試合を得たのかも知れない。現在は、注意を要する時期に差し掛かっている――彼のキャリアに値する引退後の生活を送る事。サンプラスのためには、これまではこれで良しと言わねばならないだろう。


最も偉大な生ける伝説 投票結果

第5位 ロッド・レーバー
第4位 マルチナ・ナブラチロワ
第3位 ビヨルン・ボルグ
第2位 シュテフィ・グラフ
第1位 ピート・サンプラス


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