Yahoo!テニス
2007年5月6日
サンプラスはマーチンを下し、チャンピオンズカップで優勝を果たす


ボストン――日曜に行われたチャンピオンズ・カップ・ボストン大会の決勝戦で、ピート・サンプラスは逆転負けの瀬戸際から挽回してトッド・マーチンを6-3、5-7、11-9で下し、競技テニスへのカムバックを果たした。

コートへの復帰にあたり、35歳のサンプラス――14回のグランドスラム・チャンピオン――は第1セットを楽に取った後、苦労した。

サンプラスは大会で初めてセットを失い、10ポイント先取のタイブレークでも6-9と後れを取ったものの、盛り返した。彼はサーブで試合を締めくくり、マーチンのリターンはロングに外れた。

「とてもレベルの高い試合だったと思う」とサンプラスは言った。「今週全体でベストのテニスだったと思うよ。少なくとも僕にとってはね。トッドは今でも良いプレーができ、観客は楽しんでいた。再び競い合うのはとても楽しかったよ。かつてほど熾烈ではないが、それでも競争心はあるし、勝ちたいと望むんだ」

2人の組合せは1994年オーストラリアン・オープン決勝の再戦だった。そこではサンプラスがマーチンに7-6、6-4、6-4で勝利していた。今回は、元世界6位の選手を倒すのに、サンプラスはより苦戦した。6-6となるまで、マーチンはパワフルなサーブでポイントをコントロールしていた。

サンプラスは語った。「第1セットでは、彼は少し乗り切れていなかったし、僕はサーブが良くてプレーの主導権を握っていた。僕は本当に乗っていたよ。それから彼はレベルをぐっと上げ、ブレークするのが難しかった。彼のサーブを拾うのに苦労していたよ。いつも彼をブレークするのには苦労してきた」

「彼は賢明で、自分の限界を承知している。トッドとやると、ポイントの主導権を掴むのがとても難しいんだ」

試合の後、サンプラスは観客に、ニューヨーク・ヤンキースがロジャー・クレメンスと契約を済ませたと告げ、観客席からはブーイングが上がった。

「僕はただ面白がっているが、この町では、愉快な事じゃないだろうね。(ボストン・レッドソックスにおける彼の存在は)宗教のようなものだったから。こんな反応は見た事がないよ」とサンプラスは言った。

3位決定戦はこの試合の前に行われ、ジョン・マッケンローがジム・クーリエを6-2、6-2で下し、殿堂入り選手同士の戦いに勝利した。



AP通信
2007年5月6日
チャンピオン中のチャンピオン、サンプラス
文:Jimmy Golen


ボストン( AP )――ピート・サンプラスにとって、危険な1日だった。

まず、将来の殿堂入り選手は、日曜日にボストン大学で行われたチャンピオンズ・カップ大会の決勝戦で、トッド・マーチンに3本のマッチポイントを握られた。次に、マーチンを下して5万ドルの優勝小切手を手に入れる間に、サンプラスは観客席のレッドソックス・ファンと悪いニュースを共有した。

「みんな聞いたかな、たった今ニューヨーク・ヤンキースはロジャー・クレメンスと契約したそうだ」サンプラスがトロフィー授与式の最中に告げると、3,560人の観客はブーイングを上げてどよめいた。「真面目な話だよ」

35歳のサンプラスが見事なシニアツアー復帰を果たした日に、もう1人の古参はカムバックを発表したが、ボストンではさっぱり歓迎されなかった。44歳のクレメンスは、ヤンキー・スタジアムで7回が始まる前の合間に、今回カムバックするにあたり、レッドソックスではなくニューヨークを選んだと発表したのだ。

アガニス・アリーナのファンは、サンプラスとマーチンの対戦を見ていて、 恐らくニュースを聞き逃したのだろう。それでドジャース・ファンのサンプラスは、彼らをひやかす機会を得たのだ。

試合後にサンプラスは言った。「僕はただ面白がっているが、この町では、愉快な事じゃないだろうね。(ボストン・レッドソックスにおける彼の存在は)宗教のようなものだったから。こんなのは見た事がないよ。(ロサンジェルスでも)ファンは熱烈だけど、こんな反応は初めてだ」

2002年USオープンで優勝し、記録的な14番目のグランドスラム・タイトルを獲得して以降、サンプラスは競技テニスをしていなかった。31歳で引退し、限定的なスケジュールでエキシビションとチャンピオンズ・カップ大会に参加すると決めるまで、ほぼ3年間、彼はラケットを握る事も、テレビでテニスを見る事もなかった。

彼の参加は、シニアツアーにとっては大成功であり、彼の対戦相手――ペトル・コルダ、ティム・メイヨット、ジョン・マッケンロー、そしてマーチン――にとっては、自分たちの全盛期に、なぜ彼がツアーを支配していたのかを思い出させるものだった。

「サンプラスが加わり、明らかに興奮が増したよ」と、競技者でありツアーの開催者でもあるジム・クーリエは語った。「14のメジャータイトルを持つ男を引き入れると、ツアーがより厳しくなるのは間違いない」

選手たちの体力を考慮して試合は2セットで行われ、セットを分け合った場合は10ポイントのタイブレーク勝敗を決する。サンプラスは第1セットを6-3で取ったが、第2セットの5-5でマーチンがサンプラスのサーブをブレークし、それからサービスをキープした。

「彼が提示するものに対して、僕は全くもって備えができていなかった」と、昨年のボストン大会優勝者マーチンは語った。「僕が唯一の頼みとしたのは、技能テストをテニスマッチに変える事だった。彼の技能は僕のより優れているからね」

6-9から追いかける展開で、サンプラスは5連続ポイントを勝ち取った。マーチンは9-8でサービング・フォー・マッチを迎えたが、バックハンド――サンプラス曰く「かなり易しい」――をネットにかけたのだ。最後はマーチンがリターンをオーバーし、サンプラスは11-9で勝利を掴んだ。

「運動能力の点で、彼は現役時に近いスピードを今でも保っている。残りの我々は、あまり重要視してこなかったが」とマーティンは言った。「僕は今日、何本かショットを打ったが、20回のうち19回ではないにしても、10回のうち9回は反応するだけだった」

サンプラスは体調を保つために、元ツアー選手のアレックス・オブライエンなど友人たちと、ロサンジェルスで週に2度「3オン3」バスケットボールをしていた。自宅で1歳半と4歳半になる息子たちを追い回していない時には、ビーチバレーとゴルフにもいそしんでいた。

しかしコートに戻った現在、2週間後のアテネを含む何大会か――7大会すべてではないが――に出場する予定でいる。「僕はギリシャ系アメリカ人だから、そこへ親族を連れていく事にワクワクしているよ」

サンプラスはラウンドロビンで3戦全勝し、決勝戦でマーチンを下した。3位決定戦では、マッケンローがクーリエを6-2、6-3で破った。

そうはいっても、他の出場者はサンプラスの参加を喜んだ。

「今でもあのレベルでプレーする者がいるのは、我々がここでしている事にとても大きな正当性を付加すると思う」とマーチンは語った。「僕としては、我々の世代で最高のプレーヤーが、今でも競う事を望み、今でも僕を倒したがっていると知って、素晴らしい心持ちだよ」





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SI.com
2007年5月7日
サンプラスのウインブルドン復帰はなし
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