スポーツ・パルス
2013年4月13日
テニス界の偉人、ピート・サンプラスとアンドレ・アガシが世界ナンバー1になった記念日
文:Yumna Timsaal

1993年マイアミにおけるピート・サンプラスの優勝は、 ナンバー1へと迫るカギとなった。

キング・オブ・スウィング、ピート・サンプラスが初めて ATP ランキングで世界ナンバー1に躍り出たのは、20年前の1993年4月12日だった。さらに1995年4月の今週には、サンプラスの最大のライバル、アンドレ・アガシも、初めて世界ナンバー1の座に就いた。

引退したアメリカ人テニス選手のピート・サンプラスは、6年連続年末世界ナンバー1の記録を持っている。サンプラスは東京のジャパン・オープンで優勝した後、トップの座を獲得した。彼は決勝戦でブラッド・ギルバートを退け(6-2、6-2、6-2)て、仲間のアメリカ人ジム・クーリエを黄金の座から追い落としたのだった。

この勝利は19試合連勝の一部で、ピートはナンバー1の座を獲得して間もなく後に成し遂げた。しかしながら、彼のナンバー1就任は物議をかもした。直近にグランドスラム・タイトルを獲得していなかったからだ。そこで、自身の順位を正当化するように、ピート・サンプラスは3カ月後に決勝戦で前世界ナンバー1のジム・クーリエを倒し、初のウィンブルドン・タイトルを勝ち取った。

14年間にわたるキャリアで、右利きのテニスプレーヤーは合計14のグランドスラム・タイトルを獲得する事ができ、テニス史上で最も素晴らしい選手の1人と認められていた。サンプラスはまた、ATP 世界ツアー・マスターズ1000シリーズの優勝を11回果たし、21歳8カ月で就いたナンバー1の座を合計286週間、保持した。286週の記録は昨年の夏、2012年7月8日にスイスのロジャー・フェデラーによって破られた。フェデラーはまた、7つのウィンブルドン・タイトルというサンプラスの記録に並んだ。

世界ナンバー1になった19週後に、ピート・サンプラスはその座をクーリエに明け渡し、クーリエは3週間その座に留まった。サンプラスは1993年USオープンで優勝した後、ナンバー1の座を取り戻した。しかし82週間後には、アンドレ・アガシが18年前の今週、世界ナンバー1の座を引き継いだ。アガシはシーズン始めにオーストラリアン・オープンでタイトルを獲得した後、世界 ナンバー1へと上り詰めたのだった。

アガシはテニス史で最も優れたサービスのリターナーと呼ばれ、8回のグランドスラム優勝を果たした。そしてキャリア・グランドスラムを達成した4人の男子シングルス・プレーヤーの1人である。しかし1990年代の後半、彼は個人的問題に悩まされ、1997年には141位まで転落した。多くのファンや評論家は、彼のキャリアは終わったと考えたが、アンドレ・アガシは勇敢に反撃し、1999年には世界ナンバー1に返り咲いて、その評価が間違っていた事を証明した。その後には、アガシのキャリアにおける最も実り多い時期を迎えたのだった。

テニス界の2人の偉大なスター、アンドレ・アガシとピート・サンプラスに敬意を表し、ATP ランキングの40周年を祝して ATP ヘリテージ・プログラムが本年創設された。


情報館目次へ戻る  Homeへ戻る