テニス・ワールド
2013年8月12日
お誕生日おめでとう、ピート・サンプラス、史上最も偉大なテニスプレーヤーの1人、サンプラスが42歳を迎える。彼は14回のグランドスラム優勝を達成し、世界ナンバー1の座に 286週間就いた
文:Talal Dar


元世界ナンバー1で史上最も偉大なテニスプレーヤーの1人、ピート・サンプラスは今日誕生日を迎え、42歳になった。サンプラスは14のグランドスラム・タイトルを獲得し、世界ナンバー1に286週間在位した。

サンプラスは1971年8月12に生まれ、1988年に17歳でプロに転向した。同年、USオープンで初のグランドスラム大会に出場し、1回戦で敗退した。1990年にはフィラデルフィアで初の ATP タイトルを勝ち取り、同年にUSオープンでアンドレ・アガシを破り、初のグランドスラム優勝を果たした。サンプラスは現在もUSオープン最年少優勝者の記録を保持している。アンドレ・アガシとのライバル関係は非常に有名になり、テニス界でも最大のライバルの2人として知られている。

サンプラスは1991年に年末チャンピオンシップで優勝し、1992年にUSオープンの決勝戦で敗れた。1993年4月には初めて世界ナンバー1になり、続いて1993年に初のウィンブルドン・タイトルと2回目のUSオープン・タイトルを獲得した。

1994年には年初のオーストラリアン・オープンで優勝し、7月にはウィンブルドンのタイトル防衛を果たした。1995年にはオーストラリアン・オープン決勝戦でアンドレ・アガシに敗れ、そして世界ナンバー1の座も失った。1995年、彼はウィンブルドンで優勝してハットトリックを達成し、そしてUSオープンでは決勝戦でアンドレ・アガシを下し、3つ目のタイトルを獲得した。その優勝によって、世界ナンバー1の座も取り戻した。

1996年にはUSオープンで優勝し、1997年にはオーストラリアン・オープンで優勝した。サンプラスはその年から4年連続でウィンブルドン・タイトルを獲得し、2000年のウィンブルドンでロイ・エマーソンの持つグランドスラム最多優勝の記録を破った。2001年には5年連続のウィンブルドン優勝を目指したが、当時19歳でテニス界の新星だったロジャー・フェデラーに止められた。

サンプラスは2000年と2001年のUSオープン決勝戦で敗れた。2002年のUSオープンは、彼の現役最後の大会となった。そして再び決勝戦で最大のライバル、アンドレ・アガシと対戦した。サンプラスは4セットでアガシに打ち勝って14回目のグランドスラム優勝を果たし、彼らしい流儀でテニスコートに別れを告げたのだった。

サンプラスは7つのウィンブルドン・タイトルを獲得し、最多記録を樹立した。2012年にはロジャー・フェデラーがその記録に並んだ。同じくサンプラスはジミー・コナーズ、ロジャー・フェデラーと共に、最多記録である5つのUSオープン・タイトルを獲得している。

彼はまた286週間の世界ナンバー1在位記録を保持していた。しかしこの記録は後にフェデラーによって破られた。スイスのフェデラーは同じく、年末チャンピオンシップ最多優勝記録も破った。サンプラスは5回の優勝を果たしていた。しかしサンプラスにはもう1つの記録があり、それは未だ破られていない。6年連続の年度末世界ナンバー1記録である。サンプラスはまた、アメリカ合衆国チームで2つのデビスカップ・タイトルを獲得した。

筆者の見解:これはアンドレ・アガシ・ファンによるものである。私はサンプラスがアガシを破ると、決して好きにはならなかったのだ。私は熱狂的なアンドレ・アガシファンだった。そしてサンプラスが1999年のウィンブルドン決勝戦でアガシを下すのを見たのは、私が7歳の時だった。その時、私は彼を憎んだのだった。しかし現在、私はサンプラスがテニス界の目撃してきた最も偉大なテニスプレーヤーの1人であり、今後もそうあり続ける事を認めざるを得ない。もう一度、心からお誕生おめでとう、テニス界の偉人ピート・サンプラス!


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