テニス・ワールド
2013年5月18日
ステファン・エドバーグ、ボリス・ベッカー、ピート・サンプラスが取り損ねた
フレンチ・オープンを振り返る
ベッカー、エドバーグ、サンプラスはパリ故にキャリア・グランドスラムを達成できなかった
文:Prakash


コート・サーフェスがより多様で異なっていた時代、4つのメジャー大会すべてに優勝する事は、かなり困難な課題だった。男子ではアンドレ・アガシだけが1999年にそれを成し遂げ、史上5人目の選手となった。現在はロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルがすでに成し遂げている。そしてノバク・ジョコビッチもまた、その偉業達成にパリのタイトルを残すのみとなっている。

多くの偉人たちがフレンチ・オープン優勝を果たさずに引退した。その中にはジョン・マッケンロー、ボリス・ベッカー、ステファン・エドバーグ、ピート・サンプラス等がいる。

そして彼らの何人かが CNN チャンネルの「オープン・コート」で、フレンチ・オープンで優勝できなかった事について語った。

ステファン・エドバーグ:「私はフレンチ・オープン優勝を目指し、最良の準備を試みた。そして1989年の決勝戦でまだ少年だったマイケル・チャンと対戦した時には、明らかに大きなチャンスがあった。あれは恐らく私が勝つべき試合だったのだろう。私はリードし、そして彼をつかまえたが、彼はどうにかして手中から逃れ、そして5セットで勝利したのだ。だが同時に、私は大会で優れたプレーをしたと思った。そして自分が優勝するチャンスはまた巡ってくると考えていた。しかしそれ以後は、真のチャンスを得る事はなかった。クレーで優勝する難しさは、2週間うまくプレーする事だった。私は1週間の大会なら優勝する事ができた。しかし2週間サーブ&ボレーでプレーする、それが厳しかったと思う。クレーで2週間うまくプレーする、それがフレンチ・オープンで必要とされる事だ」

ボリス・ベッカー:「プレースタイルでいうと、私は攻撃的プレーヤー、サーブ&ボレー・プレーヤーだった。それはクレーでは完璧ではない。さらに私は他のプレーヤーより大きく、体重もある方だった。クレーではスライディングし、そして守備的な戦術は攻撃的戦術より確かに優れているのだ。だからクレーではより守備的にプレーするものだ。他のグランドスラムにおける上首尾に比べ、フレンチは常に私の最も不出来な大会だった。信じてほしいが、私は勝つためにすべてを試みたんだ。だが充分ではなかった。つまり、私は本当に勝とうとしたという事だ。準決勝までは3回進出したが、決勝戦には行き着かなかった。だがビランデル、アガシ、レンドルはもっと良かった。それは不運だとか、そういう事ではなかった。彼らはより優れていたんだ」

ピート・サンプラス:「僕はもっとうまくやる事もできた筈だというように感じる。もしかしたらフレンチ・オープンでは、より大きいラケットを試す事もできただろう。もう少し懸命に努力する事もできただろう。つまり、実際に僕は懸命に努力した。だがキャリアを振り返る時には常に感じるものだ:『僕はこれをするべきだった、あれをするべきだった』とね。何の後悔もないが、確かにあら探しをする事もできる。だが、全般的に考えると、僕は14のメジャーに優勝した。それについては満足しているよ」


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