ブリーチャー・レポート(外野席からのレポート)
2012年5月23日
フレンチ・オープン2012年:ラファエル・ナダルの7回目のタイトルは、
ウィンブルドンにおけるサンプラスをしのぐだろうか?
文:Jeremy Eckstein




2012年フレンチ・オープンのタイトルは、ラファエル・ナダルに1つのサーフェスにおける史上最も偉大なテニスプレーヤーであるとの承認を与えうる。

ノバク・ジョコビッチが4つすべてのグランドスラム・タイトルを、ロジャー・フェデラーが2つ目のフレンチ・オープン・タイトルを狙う一方で、 ナダルは前例のない7つ目のフレンチ・オープンタイトルを目指して戦っている。そのタイトルを獲得すれば、ビョルン・ボルグを上回り、議論の余地なきクレーマスターとなるだろう。

ほとんど認識されていない驚くべき考えだが、繰り返すのに値する:ナダルのもう1回のフレンチ・オープン優勝は、彼を単一のサーフェスにおける最も支配的なプレーヤーとする事もできるのだ。ウィンブルドンの芝生におけるピート・サンプラスだけが、他には考慮されうるだろう。

ゼウスとハデス

黒い短髪でギリシャの血を引くサンプラスは、伝統的な白いウェアで記憶されている。そして永遠にウィンブルドンの模範であり続ける。神聖な芝生の上で彼が支配する様は、テニスの偉業を成就する神話の神々を思わせた。彼は最高級のサーブ&ボレー・スタイルを持っていたが、その轟き渡るサーブは、対戦相手に降り注ぐゼウスの稲妻のようだった。彼は過去に耳を傾ける優雅なシングル・バックハンドを振るった。

現代テニスとの繋がりは、他のビッグヒッターより優るベースライン・ゲームだった。彼は卓越した速さとコートカバー、そして痛烈な片手ランニング・フォアハンドを特徴とした。

サンプラスのネットゲームは効率的で、滑らかで、そして無慈悲だった―――ギロチンのように。多くの人は彼のスタイルを単調だと批判したが、無敵ぶりは羨望に値する特質である。

凄まじい唸り声とスペイン的豪胆さを持つナダルは、何年間も派手なウェア姿を見せてきた。そして永遠にローラン・ギャロスでの卓越を体現化する。ナダルは絶え間なく苦痛を与え続けるゲームで、地獄のようなクレーを支配してきた。彼の左利きフォアハンド、邪悪とも言えるトップスピン・フォアハンドの回転は、冥界の王ハデスが呪文をかけたかのように横へと曲がる。

彼の圧倒性は強打、守備的コントロール、俊足、創造的アングルといった点で、クレーにおける現代的な基準を創り上げた。

ナダルのベースライン・ゲームは過酷で、拷問のような遅々とした責め苦の呈を成す。反対勢力のファンは彼の対立するスタイルを批判するが、他の誰もクレーで彼ほどの勝利を挙げてこなかった。

神話の数字

1993年から2000年まで、サンプラスはウィンブルドン8回の出場で7タイトル、53勝1敗と、ほぼ無敵だった。キャリア全体では、ウィンブルドンで63勝7敗だった。

その短いシーズンゆえに、サンプラスが芝生でプレーする機会は限定されていた。ウィンブルドンへの調整大会と位置づけられるロンドンのクイーンズクラブ選手権には、常に出場した訳ではなく、決勝戦では2勝2敗に過ぎなかった。ウィンブルドンを含めて、サンプラスはグラスコート決勝戦で10勝3敗だった。

2005年から2012年まで、 ナダルは7回の出場で6タイトル、45勝1敗の記録を積み上げ、ローラン・ギャロスではほとんど勝利を献上してこなかった。(2012年フレンチ・オープンで優勝すれば、彼の勝敗記録は52勝1敗となり、サンプラスの8回の出場で7タイトルに並ぶ)

ナダルはクレーでプレーする機会に、遙かに恵まれてきた。そしてフレンチ・オープン以外のクレーコート大会では、マスターズ1000大会での16勝4敗を含め、33回の決勝戦進出で29勝4敗という、驚くべき記録で卓越を披露してきた。最近のイタリアン・オープンではノバク・ジョコビッチを破っている。

やがてはフレンチ・オープンでナダルが試合に敗れる時が来て、現在の勢いは減速するであろう。そして恐らく彼の最終キャリア合計は、芝生におけるサンプラスの最終記録に相当するだろう。ごく簡潔に言えば、ナダルは現在8シーズンの間、クレーで強力な戦場を壊滅させてきたのだ。

オリンピック級の競争相手

ウィンブルドンにおけるサンプラスの主要なライバルは、炎の左利きサーバー、ゴラン・イワニセビッチだった。サンプラスは1992年の準決勝でイワニセビッチに敗れた。

彼は立ち直り、1994年と1998年には決勝でイワニセビッチを破った―――1998年は、サンプラスが唯一スラム大会で第5セットまで押し込まれた決勝戦だった。同じく1995年の準決勝でも、彼を倒すには5セットを要した。(イワニセビッチはサンプラスが既に敗退していた2001年に、驚くべきタイトルを獲得した)

サンプラスはボリス・ベッカー、アンドレ・アガシといった他の相手に対しては、ほぼ問題なく撃破した。アガシが復活を遂げた1999年には、その彼を大敗させた。

ナダルのタイトルには、たいていフェデラーの敗北が伴っていた。しかし彼はその過程で、レイトン・ヒューイット、カルロス・モヤ、今より若かったジョコビッチを含め、他のチャンピオンを破らなければならなかった。

不滅の力

どちらのプレーヤーがその絶頂時により圧倒的だったか? サンプラスは偉大な連続優勝の間、ウィンブルドンのあらゆる試合で負け知らずのように思われた。あたかも対戦相手には、全くチャンスがないかのようだった。彼が勝利への道を切りひらくには、1ブレークを求めるだけでよかった。芝生における彼のサービスゲームは、史上最も破りがたかったからだ。

同じくタイブレークでも決定的だった。1994年、彼とイワニセビッチは2セット間を通じてサーブの弾丸を打ち続け、両者とも相手のサービスゲームをブレークできなかった。しかしサンプラスは両方のタイブレークを制した。それはイワニセビッチを屈服させ、第3セットは6-0で粉砕した。サンプラスは一歩も退かなかったのだった。

強力なサーブと攻撃性ゆえに、サンプラスはナダルより攻撃的であると評価される。彼のポイントとゲームは、芝生ではいっそう短くなり、それゆえ支配はより容易に見えるかも知れない。

しかしながら、当時の芝生のゲームは、瞬時に流れが変わりうる事を意味していた。序盤でのもたつきが破滅を意味する事もあり得たのだ。そしてサンプラスは一時的なつまずきも許されず、あるいは肉体的に対戦相手を消耗する事も期待できなかった。

奇妙な事だが、ナダルが第1シードとしてフレンチ・オープンのタイトルを勝ち取ったのは1回だけだった。彼は圧倒性を証明してはきたが、フェデラーが相手である限り、勝利が確約されていた訳ではなかった。メディアやファンは何度も彼の敗北を予測したが、最後には彼が再びマスケティアズ・カップを掲げる姿を拝むだけだった。

じりじりと相手を追いつめる守備的スタイルゆえに、 ナダルは一般的にサンプラス、あるいはフェデラーといったプレーヤーほどの評価を受けてこなかった。彼のポイントとゲームは、クレーではより長くなる。それは称賛とも警告とも受け止められるだろう。しかし忍耐力とスタミナは、彼の支配における重要な強みである。

ナダルの圧倒性には異なった感がある。トップクラスの相手と対すると、初めのうちは勝利に不確実性も感じられる。しかしほぼいつも堅実な優勝という結果を生み出し、試合後の記事では、彼の圧倒性が始めからずっと、いかに明白であったかと記述されるのだ。ジョコビッチに対するローマでの勝利は、その1例である。

やや正統的でない、あるいは守備的なスタイルが称賛されるのは少し難しい事だが、果たしてナダルはさほど支配的でないと言えるだろうか?

急所

対戦相手が大物になればなるほど、サンプラスはより優れたプレーをした。イワニセビッチ、ベッカー、アガシに対して何度もそれを証明したが、クーリエ、チャン、他の選手たちに対しても同様だった。彼はキーポイントや重要な場面を勝ち取る能力のある、ピンチやチャンスに強いプレーヤーだった。サンプラスはフルセットの叙事詩的試合に多く勝つ事では名を馳せていなかった。彼の勝利は通常、非常に圧倒的だったからだ。

この連続優勝のただ中で、彼が唯一ウィンブルドンで敗れたのは1996年、ビッグサーブを持つオランダ人、リチャード・クライチェクに対してだった。彼は雨天中断を含む2日間にわたる試合に、ストレートセットで勝利した。クライチェクはサンプラスに対して6勝4敗のキャリア勝敗記録を有している。そしてこの時も勝利し、ウィンブルドン・タイトルを獲得したのだった。

クライチェク戦の敗退後に、サンプラスは「ボルティモア・サン」紙のサンドラ・マッキーによる記事の中で「僕は少し硬くなり、恐らく僕が勝つ時は終わってしまったと感じていた」と語った。

クライチェクも同じ記事で、サンプラスと同じやり方で攻撃する事によって、彼にプレッシャーをかける事ができたと語った。「自分が彼を攻撃し続ければ、彼がミスを犯し始めるんだ。彼は優れたパッシングショットを打つ事ができるが、それでも彼を攻撃し続けなければならない。なぜなら彼は非常に支配的なプレーヤーだからだ」

2001年、フェデラーも彼自身のサーブ&ボレーのプレッシャーで、同じくサンプラスを破った。

それでもなお、サンプラスはパスで抜かれても平静を保ち、チャンピオンの落ち着きを示した。彼は基本に戻り、サーブを打ち続けてネットでポイントを終わらせる精神力を持っていた。数少ない敗北の時でさえも、決して狼狽するようには見えなかった。

マラソン・マッチを避ける

ナダルも同じく、彼の世代における精神的に最もタフなプレーヤーであり、容赦ないスタイルと攻撃は今なお忍耐強さに基礎を置く。彼は対戦相手が5セットの内3セットの間、次から次へと卓越を繰り出さなければならない事を、そしてそれはほとんど不可能な事を知っているのだ。

ナダルにプレッシャーをかける唯一の方法は、強烈なグラウンドストロークを持つ事である。ナダルに対するロビン・ソダーリングの2009年の勝利―――ナダルのキャリアにおける唯一のフレンチ・オープン黒星は、強烈な打撃のストロークによって生まれた。ソダーリングは61本のウィナーを放ってナダルに打ち勝った。一方ナダルのウィナーは33本にすぎなかった。

ソダーリングは 「ハフィントン・ポスト」紙のハワード・フェンドリックによる記事の中で、 ナダルを破るためには信念と精神力が必要だと語った。彼は「もし自分が1セットを勝ち取れるなら、2番目、3番目のセットもきっと勝ち取れる、と感じていた」と語った。

フェデラーとジョコビッチも同じく、自身のフォアハンドとパワーを使ってクレーでナダルに対して希少な勝利を挙げていた。

キャリアの早期、ナダルは最初の2回のフレンチ・オープン決勝戦で第1セットを失ったが、優勝を果たすのに第5セットを必要とはしなかった。彼の対戦相手が勢いに乗って、外観上は主導権を握る事ができる時もあるが、それが続く事はめったにないのだ。

2011年フレンチ・オープン決勝戦で、 フェデラーは第1セット5-2リードと素晴らしいスタートを切ったが、1本のスライス・バックハンドが短くなり、そこから彼のゲームと自信は減退していったように見えた。もしフェデラーがその第1セットを勝ち取っていたなら、事情は異なっていたかも知れないが、ナダルは第1セットの後は、一度もサービスを破られなかったのだった。

どちらがより圧倒的か?

サンプラスとフェデラーは、それぞれ5つのUSオープン・タイトルを勝ち取ったが、同じくそこで敗れた事もあった。より中立的なハードコートでは多くの有力選手が出現し、1人のプレーヤーが完全に支配するのは難しくなるのだ。

ビョルン・ボルグはフレンチ・オープンとウィンブルドンのタイトル両方を3年連続(1978〜1980年)で獲得し、史上最も困難な圧倒的偉業を達成した。

フェデラーは2004〜2007年の間、ウィンブルドンとUSオープン・タイトル両方を勝ち取った。

しかし1つのサーフェスにおける支配的なプレーヤーという点では、ナダルは7回目のタイトルを獲得する事で、ただ独りピート・サンプラスと並ぶチャンスがある。そして多くの意見では、サンプラスを超えるとされる。トップの競争相手が並び立つ時代に、クレーにおける彼の並はずれた成功ゆえに。

テニス界は間もなく、ナダルが単独でオリンポス山の頂上に立つ事ができるかどうか、知るだろう。


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