インディスター.com
2012年1月30日
「治癒への試合(Match for a Cure)」エキシビション:ジョコビッチ、ナダル、
フェデラーが群を抜くレベルを示す中、アメリカ人の存在感が欠けている
文:Mark Ambrogi


日曜日の朝、ピート・サンプラスはオーストラリアン・オープン決勝のマラソン・マッチに魅了された。

そして、サンプラスも認めるように、かつて彼自身もかなり高いレベルのプレーをしたものだった。

ノバク・ジョコビッチは6時間近くにわたる5セットの手に汗握る試合で、ラファエル・ナダルを打ち負かした。

「ロジャー(フェデラー)、ナダル、ジョコビッチの(オーストラリアでの)プレーを見ると、彼らは誰よりもずっと優れている。信じがたいほどだ」と、バンカーズ・ライフ・フィールドハウスで開催された「Match for a Cure」エキシビションで、トッド・マーチンと対戦したサンプラスは語った。「これらの男たちは、どのアメリカ人プレーヤーよりも遙かに上だ。(アンディ)ロディックはキャリアにおいて、ゲームの頂点に戻る事が難しい時点に達している」

日曜日の夜、14のグランドスラム・シングルス・タイトル数で史上2位につけるサンプラスは、今なお見事なショットを放つ事ができる、そして彼のサーブは今なお大きな武器であるという事を示した。

両者とも見どころを披露したが、観客に冗談を言うという点では、マーチンの方が積極的だった。

サンプラスはおよそ3,200人の観客を前に、7-5、6-4で勝利した。

マーチンは観客に、父親を白血病で亡くしたので、このイベントへの参加には特別な感慨があったと語った。

「もっと軽い感想としては、僕に9ゲームを取らせてくれた事に対してピートに感謝したいよ」とつけ加えた。

サンプラスはマーチンに勝って嬉しいと語った。

「彼はとてもいい奴だ。だが心の奥底では、信じてくれ、とても競争心が強いんだ」とサンプラスは言った。

サンプラスとマーチンはアメリカのテニスが遙かに強力だった時代を代表しているが、マーディ・フィッシュ、サム・ケリー、ジョン・アイズナーといったアメリカ人選手たちは、躍進してメジャータイトルを勝ち取る可能性を秘めている、とサンプラスは語った。

「だがアメリカのファンやアメリカのメディアは、ウィンブルドン優勝者を期待する。彼らがナンバー1になる事を期待する。そしてそれが実現しないと、不平を言い始めるんだ」とサンプラスは語った。

現在40歳のサンプラスは、自分や仲間のアメリカ人であるアンドレ・アガシ、ジム・クーリエ、マイケル・チャンのように、一群の選手たちが同時期に頭角を現すのは珍しい事なのだ、と語った。

「我々のように4人が圧倒するという1990年代に起こった事は、非常に稀な事なのだ」とサンプラスは語った。

「10年単位で起こるような事ではない。再びそういった状況になるまでには、20年を要するかも知れない。我々(合衆国テニス)は良い状態だが、望んでいるほどではないという事なんだ」

同じアメリカ人のライバル同士で対戦する事によって、意欲を刺激されたとサンプラスは語った。

「我々は互いに駆りたて合い、そして互いから吸収し合ってきたんだ」とサンプラスは語り、4人ともジュニア時代から対戦して成長してきたのだとつけ加えた。

現在41歳のマーチンも、その強力なアメリカ人集団の一員だった。

彼は他の者たちのようにグランドスラム・タイトルを獲得する事はなかったが、ATP ツアーで最高4位まで到達した。

マーチンは1994年オーストラリアン・オープン決勝戦でサンプラスに、そして1999年USオープン決勝戦ではアガシに敗れた。

「彼はほんの少しだけ及ばず、圧倒的とまでは行かなかった」とサンプラスは語った。「だが彼は素晴らしい選手で、賢いプレーヤーだった」

サンプラスはインディアナポリスのハードコート大会で3回タイトルを獲得した。その大会は2009年の後にアトランタへと移転した。

「メディア、ファンに支えられた素晴らしい大会で、小さめの心地よいスタジアムだった」とサンプラスは語った。「移転してしまったのは残念だよ」

サンプラスはエキシビションで良いプレーをしたいと望んでいるが、当然ながら現役時と同様の一途な集中で臨むわけではない、と語った。

「みんな優れたテニスを見たいと望んでいるが、同じくプレーヤーがリラックスし、楽しんでいるのを見たいとも望んでいるんだ」とサンプラスは語った。

サンプラスは数回「Match for a Cure」エキシビションに参加してきたが、マーチンは今回が初めてだった。

財団は重症の子供たちとその家族、骨髄ドライブ(骨髄移植?)、白血病を始めあらゆるガンの治療研究・進歩を支援している。

46歳の元ツアープロ、ビル・Przybysz は、骨髄移植で白血病との戦いを克服した後に、財団を創設した

マーチンと Przybysz は短い試合を行い、マーチンが3-2で勝利した。マーチンは最終ゲームをウッドラケットでプレーした。

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