レジスター・ヘラルド・サン
2012年9月23日
エキシビションでサンプラスがマッケンローに勝利
文:Gary Fauber


ジョン・マッケンローはラケットを放り投げたり、審判を難詰するテニスの偉人という評判を与えられている。ファンは、スポーツと結びついた最も有名かも知れない4つの言葉を期待していた。

彼がその義務を果たすのに、3ゲームかかった。

ゲームポイントでピート・サンプラスへ放ったマッケンローのサーブを主審がオーバールールし、フォールトと宣告すると、マッケンローは抗議の表情をつくって主審の椅子に近づいた。

「真面目にやれ!(You cannot be serious!)」とマッケンローは怒鳴り、土曜日のグリーンブライアー・チャンピオンズ・テニス・クラシックに詰めかけた満場の観客から笑いと拍手喝采を誘った。

700人の観客は、記念エキシビション・マッチとして開催された試合を観戦した。このリゾートは、ゴルフの伝統には及ばないながら、豊かなテニスの歴史を持つ事で知られている。グリーンブライアーは1937年から始まったUSオープンで、最初の5大会のホストを務めた。

皮肉にも、テニス界最大のスター2人が歴史的な試合を行ったのは、クレーのような Har - Tru サーフェスだった。マッケンローとサンプラスは、2人合わせて9つのUSオープン・タイトルを保持している。

試合は、合衆国が世界規模のテニスで現在よりもずっと傑出していた日々を思い起こさせた。

マッケンローとジミー・コナーズが1980年代前半に白・青・赤の星条旗を担った一方で、サンプラスは恐らくアメリカ人がテニスで最も成功を収めた時代の第一人者だった。彼とアンドレ・アガシは、テニス界における史上最高とも言えるライバル関係を創り上げた。彼らは34回対戦し、サンプラスが20勝を挙げた。

さらに、サンプラスとアガシだけではなかった。アメリカ陣営にはジム・クーリエ、マイケル・チャン、トッド・マーチン、マリバイ・ワシントンといった同僚もいたのだ。
グリーンブライアー・リゾートのオーナー、ジム・ジャスティスがテニスの偉人ピート・サンプラスにトロフィーを授与する。土曜日にホワイト・サルファー・スプリングス・リゾートで開催されたグリーンブライアー・チャンピオンズ・テニス・クラシックで、サンプラスはジョン・マッケンローを下した。

現在、アンディ・ロディックは長い間、合衆国で最も優れたプレーヤーと見なされてきたが、USオープンの4回戦で敗れた後、今月初旬に引退した。

ジョン・アイズナーは現在10位で、最も高いランクのアメリカ人、そしてトップ100に8人しかいないアメリカ人の1人である―――ロディックを含めて。

サンプラスとマッケンローは共に、合衆国が近いうちに、これまでのような勢いを取り戻せるという事には疑いを抱いている。

「現状は少しばかり寂しいね。アンディが引退するし」とサンプラスは語った。「アイズナーと(サム)ケリー、ビッグゲームを持つ2人の男がいるが、次のレベルへと上げていくには、かなり特別であらねばならない。トップ4の男たちは本当に素晴らしい―――僕はUSオープンをずいぶんと観戦したが、4人は他の選手よりもずっと優れていた―――ずば抜けて。それがアメリカ・テニスにとっての現実分析だ」

「ジョンの時代や僕の時代には、我々がナンバー1になり、皆がメジャーで優勝した。そしてアメリカのファンやアメリカのメディアは、どの年代にもそれを期待する。だが現在は低調期を経験している」

土曜日のエキシビションは競い合ったものだったが、観客を楽しませる事に、より主眼が置かれていた。53歳のマッケンローは、30年前にコナーズやビョルン・ボルグと戦っていた頃よりも目に見えて明るい色になった髪によってのみ、その年齢を感じさせたが、自分の役割については観客の期待を裏切らなかった。

この判定は自分が過去30年間に受けてきた中でも最高のものだ、と主張した後、審判との冗談を交えたやりとりが、数分ばかり交わされたのだ。

「私が君を必要とした時、君はどこにいたのか?」と、彼は線審に向かって真面目くさった顔で言った。

14の生涯メジャー優勝を果たしたサンプラスは、退屈にも近いほどの冷静さで知られているが、その午後の大半は笑顔を浮かべ、小芝居に加わった。彼は早い段階でマッケンローのサーブに異議を唱え、審判に告げた。「あー、ええと。あなたはミスを犯したよ」

サンプラスがボールマークを審判に指し示して、審判は判定をくつがえし、マッケンローの「爆発」を引き起こしたのだ。

試合は、41歳のサンプラスがマッケンローに3-6、6-3、10-7で勝利した。

第3セットは10ポイント先取のチャンピオンズ・タイブレーク方式で、最初の2セットは、それぞれ一度のサービスブレークによって決した。

決定的な瞬間は、第2セットの序盤で訪れた。1-1サンプラスのサービスゲームで、マッケンローがアドバンテージを握ったのだ。2本連続のブレークポイント(2回目のデュースはノー・アドバンテージなのか?)を振り払うべく、1本目でサンプラスはサービスエースを決めた。

結局サンプラスはそのゲームをキープして2-1とし、次にマッケンローのサービスゲームをブレークして5-3までリードを保った。そして次のゲームをキープしてセットを勝ち取った。

マッケンロー劇場はタイブレークが始まるまで続いた。彼は最初の2セット間で着ていた汗まみれの青いシャツを脱ぎ、黒いTシャツに着替えた。そのTシャツの胸には「真面目にやれ!(You Cannot Be Serious!)」の文字がプリントされていたのだ。彼が試合中に初めて審判に向かってその言葉を叫んだのは、1981年のウィンブルドンだった。

彼は最初に着ていたシャツを観客席に放り投げ、感激するファンがそれを捕えた。

タイブレークに入ると2人とも譲らず、最初のチェンジオーバー後は3-3、そして2回目の後は6-6のタイだった。しかし次のポイントが決定的となった―――さらに若干のコメディ要素を添えて。

マッケンローはファーストサーブをミスし、そしてセカンドサーブは明らかにロングと見えたが、線審はコールしなかったのだ。サンプラスはダブルフォールトと判断し、それがコールされなかったので抗議した。

主審がコートに出向き、そしてサンプラスは、観客が会話を聞けるように、マイクロフォンのスイッチを入れた。サンプラスはアウトのサーブの跡を指し示したが、線審は自分の判定を固守し、そして主審はオーバールールしなかった。

長い論議の末、ついにマッケンローが満を持して介入してきた。

「ちょっと待て!」と彼は言った。

「あれはアウトだった。オレにも見えたよ」

観客は大笑いし、そしてサンプラスには7-6リードとなるポイントを与えられた。

彼は次の4ポイントのうち3つを勝ち取り、マッケンローの名高い左利きフォアハンドが逸れた時に勝利が確定した。

試合後、サンプラスはグリーンブライアー経営最高責任者ジム・ジャスティスからトロフィーを授与された。そしてジムは揶揄の言葉を発した。

「ジョン、審判は君をだましたのだと思うよ。だから私はあなたにこれを授与します」と、ジャスティスは微笑みながら言った。

マッケンローとサンプラスは共に、リゾートにおけるテニスの知名度を拡大するグリーンブライアーの努力を称賛した。両者とも、今後もグリーンブライアーのテニス・イベントに関わりたいと表明した。

「ある程度までは、そちら(リゾートの高官)しだいだ」とマッケンローは語った。「願わくば、彼らの目指す方向に、何らかのかたちで我々が含まれていますように。先の事は分からないが」

「いかようにもなる。皆で取り組まなければならない。そして私が見たところ、良いスタートを切ったようだね」


情報館目次へ戻る  Homeへ戻る