CNN
2012年3月30日
チャンピオン同士の談笑:サンプラスがテニスを語る
文:Gary Morley



テニスの偉人ピート・サンプラスは、ウィンブルドン・チャンピオン仲間でCNN局「オープンコート・ショー」のホストを務めるパット・キャッシュと会見した。

ピート・サンプラスは男子テニス界における偉人の1人で、世界ナンバー1在位286週の記録を保持している―――前例のない連続6年間、彼はその座を維持したのだ。

彼はCNN局「オープンコート・ショー」のホスト、パット・キャッシュと歓談を行った。キャッシュはサンプラスと同じく、元ウィンブルドン・チャンピオンである。

キャッシュが1987年に唯一のグランドスラム優勝を果たした時、サンプラスはまだ少年だったが、後にイギリスのグラスコート・メジャー大会で、最多記録である7回の優勝を果たし、合計では14回のメジャー優勝を成し遂げた―――ロジャー・フェデラーが2009年に破るまで、同じく最多記録だった。

サンプラスは現在40歳で、テニス界を引退してからほぼ10年が経過した。妻である女優のブリジット・ウィルソンとの間には2人の息子がいる。

彼は引退後の日々、記録破りの業績、男子ゲームの現状、もはや合衆国がテニス界を支配するとは期待できない理由などについて語る。

テニス後の生活について

「ゴルフに熱中し、体調を保つべくジムでも過ごすようにしていた。今や2人の息子がいるが、活発な子供たちだ」
サンプラスは自身の生活、キャリア、そしてテニス界の現状などについて独占インタビューに答えた。
サンプラスは40歳になり、引退してからほぼ10年が経った。彼は大半の時間を家族と一緒に過ごすかゴルフをしている。

「引退とは進行中の仕事だ。自分なりの過ごし方を見定めようとしている。そして自分自身について承知しているのは、何らかの規律が必要だという事。ただ目覚めてテレビを見て、何もしないという生活はできないよ。僕には仕事からの休日、妻と過ごす事、少しゴルフをする事、息子たちと過ごす事が必要なんだ」

「僕は小さな子供の頃から、ずっと熱心に努力してきた。だが人生の今の時点では、それをただ楽しめる立場にいる。でも同時に、今なお僕は働く必要があるんだ」

引退後の2007・2008年にロジャー・フェデラーと行ったエキシビション対決について

「かなり真剣だったよ。契約をした時、僕はひどいプレーをして決まり悪い思いをする事だけはしたくなかった。試合に敬意を表して臨みたかったんだ」

「ロジャーは本当に優秀で、そして素晴らしい男だ………。気持ちが良かったよ。僕は当時まだ35歳だったから、かなり良いテニスをしていた。だが最も有意義だったのは、ロジャーをよく知る事ができたという事だろうね」

「彼はナイスガイで、良き家庭人でもある。俊敏で、本当に優れている。そしてすべてのショットを備えている。偉大なプレーヤーだ。だが僕は、自分を愚か者みたいには見せないようにしようとだけ望んでいた。良いプレーをしたかった。そして、それをしたように感じたよ」
彼は引退後、2006年に初めてエキシビションマッチに出場し、翌年と2008年に開催されたロジャー・フェデラーとの大注目の対決に備えた。その後フェデラーは、サンプラスが持つ14のグランドスラム・タイトル記録を破った。
「ピストル・ピート」はサーブ&ボレー・ゲームのキングであった。そしてそのプレースタイルが消滅した事に失望している。

男子ゲームの現状について

「ロジャーとラファエル・ナダルがいて―――今はノバク・ジョコビッチが支配的なプレーヤーだ。マレーも迫っている―――テニスにとって素晴らしい時代、興味深い時代だ。彼らを王座から引きずり下ろすような男が、順調に姿を現しているか? そうは思わない。ベルディヒ、ツォンガ? うん、彼らは時にそのレベルまで達する事もある。だがマッケンローとレンドルがいた1980年代に少し似ているように思う―――彼らはいつも対戦していた。そして現在、我々はそういった対戦を見ているんだ。

「僕はロジャーとラファの対戦を見るのが好きだ。つまり左利きと右利き、粘り強いストローカー対クラシックなロジャーという意味で………。ジョコビッチは素晴らしいアスリートだ………。僕は彼ら全員の大ファンだよ」

ジミー・コナーズ、ジョン・マッケンロー、アンドレ・アガシ、ジム・クーリエ、マイケル・チャン、そして彼自身の後継者たるアメリカ人選手の欠如について

「かつてが特殊な時代だったんだ、本当にね。そしてアメリカのファンやメディアは、10年ごとにそれを期待する………現実的になろう。それはマーディ・フィッシュ、アンディ・ロディック、ジョン・アイズナーに対して不当だよ。彼らは本当に優れたプレーヤーだ。だがロジャーやラファ、ジョコビッチに近い位置にはいない。

「僕がアンドレ、ジム、マイケルと一緒にいた状況に到達するには、あと10年、20年を要するかも知れない。全世界的にもう少し強く、良くなってきたのだと思うよ。男たちは皆ハングリーで………テニス界は拡大して、より多くの人々が世界じゅうでテニスをしているんだ」
ビッグサーブを持つカナダの若者ミロシュ・ラオニッチは、次代のサンプラスに最も近い存在と見なされてきたが、ATP ツアー参加2年足らずで既に3タイトルを勝ち取った。
サンプラスは14回目のグランドスラム優勝を地元の観客の前で、最後の出場となった大会――2002年USオープン――で果たした。

「アメリカ人は少しばかり満足し、恐らく少しソフトになってきた。コービー・ブライアント、レブロン・ジェームズ、トム・ブレイディー、彼らが我々の国の主要なスターのようだ。そしてテニスはちょっと鳴りを潜めているように思う。すぐに何かが変わっていくとは思わないね。アメリカのメディアやファンは、ウィンブルドン優勝者、ナンバー1の男を期待する―――それはかなり難しい事なのに」

絶えかける技、サーブ&ボレーについて

「それは消滅した。つまり、あなた(キャッシュ)、ビョルン・ボルグ、ステファン・エドバーグ、僕はあなた達のプレーを見て育ち、早い時期からサーブ&ボレー・ゲームを身につけていった。若くして始めなければならない。僕は13〜14歳で始めた―――もし20歳で、サーブ&ボレーをしていないのなら、すでに遅すぎる」

「あなたがウィンブルドンでプレーするのを見た事、ボリス(ベッカー)がウィンブルドンでプレーするのを見た事、それが僕に強い影響を与えたんだ―――ウィンブルドンで優勝するとしたら、ネットに詰める必要があると。僕は幼い子供の時にサーブ&ボレーをすると決心した。最初は難しかったよ。ロジャー、ナダル、ジョコビッチを見るのは好きだが、誰もがステイバックするという状態で、現在ウィンブルドンを見るのは悲しいね」

「技術革新が問題なのかも知れない。あの大きいバボララケットなら、ボレーをする必要はないからね。ボールを強打すればいいんだ。しかるに我々はウッドラケットで育ったから、正確にヒットしなければならなかった。サーブ&ボレーをする誰かが現れると楽しいだろうね。失われた技であるのは確かで、残念だ」

ATP ツアー2011年新人賞受賞のミロシュ・ラオニッチが、次代のサンプラスであると広く見なされている事について

「強烈なサーブ、強烈なセカンドサーブ。だが彼もまた、本当の意味で前に詰めるつもりはない。まずビッグサーブを打って、それから前に詰めるつもりでいる。彼はボレーの感覚を必ずしも持ちあわせていないが、あれほどのビッグサーブを打てば、その必要はない」
彼は2000年にウィンブルドンで13個目のメジャータイトルを獲得し、オーストラリアのロイ・エマーソンが保持していた記録を破った。
サンプラスは現在のテニス界トップの男子選手――ノバク・ジョコビッチ、ラファエル・ナダル、フェデラー、アンディ・マーレー――の「大ファン」だと語る。

「それはタイミングの問題で、一定のリズム、実行を要する。ミロシュ、ジョー - ウィルフライ・ツォンガ、トマシュ・ベルディヒといった選手たちはビッグサーブを打つが、そのサーブでネットに好んで詰めようとはしていない。僕は彼ら全員のファンだが、サーブ&ボレー・テニスは、残念ながらほぼ消滅してしまったよ」

2002年USオープン、彼にとって最後の大会で優勝を果たし、絶頂のうちに引退した事について

「僕は29歳の時に(グランドスラム)記録を破った―――その後2年間は、モチベーションを見いだそうとして過ごした。もはや毎週毎週の大会では、モチベーションが湧かないと感じていた。僕はただ、もう1回メジャーで優勝したかったんだ。コーチを替えたりしたが、あまり効果が上がらなかった。最後の夏にポール・アナコーンの元に戻ったら、自分がゲームを取り戻したと分かった。あとはそれを組み立てて、あの最後のUSオープンでプレーするのみだった」

「1週目はひどく雨が降って、31歳の僕は7日間で5試合に勝たなければならなかった。USオープンにおける大仕事だったよ。最後にアンドレ(アガシ)を破ったのは、素晴らしい終局だった。ごく正直に言うと、引退を計画していた訳ではなかった。だがひとたびウィンブルドンがやって来て、そして去っていった時に、自分は終わったのだと知った―――気持ちが動かなかった。練習したくなかった。テニスをしたくなかったんだ」

「だが、終わりとするには素晴らしい道のりだった。必ずしも計画した訳ではなかったが、最低の状態―――ウィンブルドンの2回戦で(世界 145位の)ジョージ・バストルに敗れ、涙が出そうだった―――から、2カ月後にはやり通して………」
フェデラーは2009年のウィンブルドンで15個目のグランドスラム・タイトルを獲得した。そしてグラスコートのメジャー大会で7回の優勝というサンプラスのオープン時代の記録まで、あと1つとした。
サンプラスと妻の女優ブリジット・ウィルソンの間には、9歳と6歳になる2人の息子がいる。彼は息子たちにゴルフとテニス両方をするよう促している。

ナンバー1である事、コナーズの5年連続記録を抜き、そして2000年にはロイ・エマーソンの12グランドスラム記録を超えた事について

「ナンバー1である事は、僕にとって重要な事柄だった―――6年連続で。それを達成するために、およそ2カ月間ヨーロッパでプレーしたんだ。僕にはとても重要で、大きい記録だ。ウィンブルドンでロイ・エマーソンの記録を超えた時は、両親がその場にいて、偉大なオーストラリア人のパトリック・ラフターを破った。素晴らしい出来事だった。優勝を決めたのは夜の9時、物語のような終局で、僕にはとても感動的な時だったよ」

「だから、うん、 ナンバー1である事、メジャー大会で勝つ事、それは僕の目標だった。それを本当に実現するために、一定のライフスタイルを作り上げたんだ。僕はとても集中し、ひたむきだった。自分の性格からして、僕はある種の流儀を貫く事が必要だった。それでメジャー大会で優勝し、何らかの記録を破り、そしてできる限り長く世界ナンバー1になりたいと感じていた」

父親である事について

「いま息子たちは9歳と6歳だ。素晴らしい子供たちで、彼らを愛しているよ。彼らにはもう少し人の話を聞いて、ちゃんと宿題をして、そして僕を困らせず、僕の言う事をしてほしいね。僕は少しずつ進めているが、彼らがテニスに打ち込むようになるかは、よく分からない。彼らには毎週テニスレッスン、週末にはゴルフレッスンを受けさせるようにしている。彼らを活動的にし、外に出るようにするためにね」

「我々はコンピュータ、 Wiis と iPods ―――溢れるテクノロジー―――の時代に暮らしている。だから彼らには家の外に出てほしいんだ。彼らには良い子供、礼儀正しい子供、人に対して親切であってほしい。テニスが上手でも、そうでなくても、構わないよ」


サンプラス一族:(左から右へ)妹マリオン、姉ステラ、父親サミー、母親ジョージア、次男ライアン、妻ブリジット、長男クリスチャン、兄ガス。ピートは2009年にLAテニスオープンで表彰された。
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