CNN
2012年7月6日
サンプラス:僕はウィンブルドンを嫌って(そして愛して)いた
文:Paul Gittings


ウィンブルドンはテニスカレンダーにおいて特別な位置を占め、伝統・スタイル・堂々たる威厳に満ちた優雅な大会である。

そこでの男子ゲームの近代時代は、8年間で記録的な7タイトルを勝ち取ったピート・サンプラスの偉功によって定義された。

しかしながら、自信に満ちた若いアメリカ人にとって、正確には一目惚れという訳ではなかった。彼は―――19歳で初のグランドスラム優勝を果たしたにも関わらず―――高名なグラスコートの会場で、最初の3年間は早期敗退を経験したのだった。

芝生の王者
ピート・サンプラスは1999年に決勝戦でアンドレ・アガシを下し、6回目のウィンブルドン優勝を祝った。
サーブ&ボレーのスペシャリスト
サンプラスの強力なサーブ&ボレーゲームは、グラスコートのグランドスラムで彼に8年間で7タイトルをもたらした。
「僕は芝生がちっとも好きじゃなかったんだ。だから芝生について尋ねられる時、初めてあそこに行った時については、僕はウィンブルドンを嫌っていたと言うよ。僕はあのサーフェスが嫌いだった」と、彼は CNN に語った。

しかし「オープン・コート」で同じくウィンブルドン・チャンピオンのパット・キャッシュと語り合い、サンプラスは素早く自己の発言を修正した。

「僕はウィンブルドンとそれが意味するものは愛していたが、サーフェスは心地よく感じていなかった。とにかく好きじゃなかった。僕はハードコート育ちのカリフォルニアっ子だったんだ」

「ハードコートでは、ボールはごく自然にバウンドしようとする。だが芝生には順応しなければならない。それで最初の2〜3年、僕は順応しなければならず、あげくに悪い心構えになってしまったんだ」

サンプラスは元コーチで、1996年に脳腫瘍で痛ましい死を遂げたティム・ガリクソンに賛辞を送った。

ウィンブルドンの「所有者」

「彼は僕に手を貸してくれた。僕のスウィング軌道は長かったんだが、彼はそれを短くし、さらにはウィンブルドンでの心構えをもっと積極的にしなければならない、と教えてくれたんだ」と、40歳のサンプラスは振り返った。

初期の苦闘
しかしながら、彼はそこで初期には苦闘した。2年間の1回戦敗退の後、若いサンプラスは1991年に、2回戦で同国のアメリカ人デリック・ロスターニョに敗れた。
大躍進
1993年、サンプラスは初のウィンブルドン・トロフィーを獲得し、イギリス人最後の男子優勝者、フレッド・ペリーと共に写真撮影を行った。ペリーは1936年に SW19で3回目のタイトルを獲得した。
彼らの努力は1992年に実り、サンプラスは準決勝まで進出した。そこでクロアチアのビッグサーバー、ゴラン・イワニセビッチに敗れ、その後イワニセビッチは決勝戦でアンドレ・アガシに敗れた。

真の成功は翌年にやって来た。

「精神的に、僕は以前よりもずっと気分良く感じていた。1992年までには、本当に快適に感じるようになっていた。僕はその後7年間、あの場所の所有者だった」

1996年には、最終的に優勝したリチャード・クライチェクに準々決勝で敗れたものの、サンプラスはその後8年間で7つのウィンブルドン・タイトルを勝ち取るという途方もない疾走を見せたのだ。

彼が決勝戦でアガシをストレートセットで下した1999年の優勝は、宿敵を打破した最高のパフォーマンスの1つと評価された。

「アンドレと対戦したあの6回目のウィンブルドン(タイトル)では、僕はゾーンに入っていた」と彼は語った。

「僕はもしサーブが好調なら、順調にプレーし、ネットに詰めて、攻撃的にやれると感じていた。危険性は少しばかり高くなるが、それで構わなかった」

8回目のウィンブルドン優勝を目指していた2001年、サンプラスは若いロジャー・フェデラーに4回戦で敗れた。そして翌年、おとぎ話のような流儀でUSオープンに優勝した後、彼は引退した。

彼は今でもテニスに関わり、時折のエキシビションやシニア・チャンピオンズ・ツアー大会でプレーするが、大半はカリフォルニアの自宅で、妻のブリジット・ウィルソンや2人の息子たちと共に過ごしている。

記録を打ち破る(スマッシュ)
サンプラスはトレードマークのジャンピング・スマッシュを用いて、ウィリアム・レンショーが保持していた男子タイトルの史上最多ウィンブルドン記録に並んだ―――レンショーは1880年代に7回の優勝を果たした。
輝かしいフィナーレ
サンプラスは2002年に自国のUSオープン決勝戦でアガシを下し、14回目、そして最後のグランドスラム優勝を成し遂げ、最高の内にキャリアを終えた。
フェデラーの支配

フェデラーは2003年に支配の時代を開始した。しかし16回のグランドスラム・チャンピオンは、サンプラスが保持するウィンブルドン記録にまだ1つ及んでいない―――サンプラスの記録に並ぶのは、1880年代の大会草創期に7回の優勝を遂げた、イギリスのウィリアム・レンショーだけである。

サンプラスは、スイスの名手は現在でも優勝できると考えている。しかしフェデラーは、全盛期にある世界ナンバー1のノバク・ジョコビッチ―――金曜日の準決勝で対戦する―――とラファエル・ナダルに苦戦するかも知れない。

「ロジャーは創造的である途を見いだし、自分のゲームを貫き通し、そして時折はサーブ&ボレーをする必要がある」とサンプラスは語った。

「彼は彼なりの方法で16回のメジャーに優勝した。そして変わろうとしていない」

フェデラーにアドバイスをする役割は、現在のコーチ、ポール・アナコーンの任務となる。同じくアナコーンは、キャリア後半のサンプラスをコーチングした。

アナコーンはプレースタイルにおける2人の相違を認識しているが、成功への鍵となる要素は共有していると CNN に語った。
ベテラン・アスリート
サンプラスは今なおテニスを楽しみ、2011年にはニューヨークで長年のライバルだったアガシと笑顔でエキシビション・マッチを行った。
過去と現在のレジェンド
その前年に、サンプラスはロジャー・フェデラーとエキシビションを行った。フェデラーは記録的な16のグランドスラムを獲得しているが、アメリカ人のウィンブルドン記録にはまだ1つ足りない。

「彼らは両者とも、プレッシャーへの対処に関するスーパースターだ」とアナコーンは語った。

ウィンブルドンにおけるビッグサーブ&ボレーという自分のスタイルは、過去の世代からのものだとサンプラスは認める。そして、それが失われつつある事を残念に思っている。

「ボールが変わり、プレーヤーがステイバックするという現在のウィンブルドンを見るのは悲しいが、芝生は芝生だ―――今でもネットへと詰める事は可能だ。だがそれは滅びゆく技だ。残念なことにね」

マイホーム主義者
サンプラス、2000年に結婚した女優で妻のブリジット、そして2人の息子のうち年下のライアン。
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