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2012年5月22日
フレンチ・オープンでの優勝がない5人の偉人たち
文:Brad Boeker


テニス界の偉人たちは、キャリアスラムの優勝を考える。つまり、キャリアで4つすべてのグランドスラム・シングルス・タイトルを獲得する事である。すべてのグランドスラム大会で優勝する事、そしてすべてのサーフェスを制覇する事が、真に歴史に自分の足跡を遺す事なのだ。この小さいクラブの最も新しいメンバーは、ラファエル・ナダルとロジャー・フェデラーである。ナダルは2010年のUSオープン・タイトルでこのクラブに加わり、一方フェデラーは2009年のフレンチ・オープン・タイトルで、この希少な偉業を達成した。来週に始まるフレンチ・オープンを待ち望みつつ、ここにオーストラリアン・オープン、ウィンブルドン、USオープンには優勝したが、ローラン・ギャロスのレッドクレーを制覇する事はできなかった5人の偉人たちを挙げてみよう。

ピート・サンプラス、合衆国――サンプラスは明らかに、このリストの筆頭に挙げられる。サンプラスは前人未踏(その後ロジャー・フェデラーに凌駕された)の14グランドスラム・シングルス・タイトルを獲得したが、フレンチではタイトルを獲得する事ができなかった。サンプラスが記録的な7つのウィンブルドン・タイトルを勝ち取るのに役立った途方もない技能は、クレーには移しきれなかったのだ。サンプラスはクレーで注目すべきタイトルを獲得している(ローマ、1994年)が、フレンチ・オープンで最も勝ち上がったのは、1996年の準決勝までだった。そこで彼は、最終的にチャンピオンとなったエフゲニー・カフェルニコフに敗れたのだった。

ジョン・ニューカム、オーストラリア――最近テニス・チャンネルでは、100人の史上最も偉大なテニスプレーヤーのリストを作成した。ニューカムはそのリストで、男女を含めて31位となった。男子だけのリストでは18位だった。ニューカムは合計で7つのグランドスラム・タイトルを獲得し、内5つはオープン化時代のものである。また1974年にはナンバー1の座に就いた。オーストラリア人は1960年代にフレンチ・オープンを支配し、7回の優勝を遂げているが、ニューカムはタイトルを獲る事が叶わなかった。

ジミー・コナーズ、合衆国――イリノイ州ベルヴィル出身の左利きは、109のシングルス・タイトルを獲得し、1974年から1983年までに何度もナンバー1の座に就いたが、フレンチ優勝には及ばなかった。コナーズは8つのメジャータイトルの内、記録的な5つ(後にピート・サンプラスとロジャー・フェデラーに並ばれた)のUSオープン・タイトル、2つのウィンブルドン・タイトルを獲得しているが、このリストの全員同様、ローラン・ギャロスでは優勝を果たせなかった。コナーズは準決勝に4回、最も最近では1985年に進出したが、決勝戦に達する事はできなかった。

ボリス・ベッカー、ドイツ――ベッカーのクレーコートでの成績は首尾一貫していた―――ATP ウェブサイトのキャリア戦績によれば、彼のキャリア・シングルス・タイトル49の内、クレーでのものは1つもなかったのだ。ベッカーはウィンブルドンで3回、オーストラリアン・オープンで2回、そしてUSオープンで優勝した。彼はモンテカルロ(3回)、ローマ、ハンブルグといった大きなクレーコート大会(当時のマスターズシリーズ大会)では決勝戦まで進出を果たしたが、コナーズと同じく、フレンチ・オープンでは準決勝でことごとく敗退した。最も最近のものは1991年で、アンドレ・アガシに敗れたのだった。

ノバク・ジョコビッチ、セルビア――ここに挙げた他の選手たちとは違い、 ジョコビッチはもちろん、自分の名前をこのリストから外す事が可能だ。この2年間にわたるセルビア人のプレーレベルからすれば、彼がこの大会で決して優勝しないと考えるのは馬鹿げているだろう。彼はローマ(2回)とマドリッドを含むクレー大会で、7つのタイトルを獲得してきた。しかしフレンチ・オープンでは、決勝戦まで進出した事がない。ジョコビッチがシーズンを通して優勝を積み上げていった昨年でさえ、フレンチ・オープンでは準決勝でフェデラーに敗れたのだった。


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