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2012年4月12日
ローカルな知識、その1――ピストル・ピート・サンプラス
文:Tom Nash

2011年9月30日、中国・北京で開催のチャイナ・オープン。新しいセンターコートの開幕エキシビション・マッチで、合衆国のテニススター、ピート・サンプラスはロシアの元世界ナンバー1、マラト・サフィンのボールを返球する。

サンプラスは1990年代を通してウィンブルドンを支配したため、彼の時代はワンマン時代とさえ見なされた。彼の前、80年代後期 / 90年代早期のチャンピオンにはミハエル・シュティッヒ、ステファン・エドバーグ、ボリス・ベッカーなど、そして彼の後、現代のチャンピオンにはフェデラー、ナダル、その他の選手たちがいる。

1996年にオランダの破壊者リチャード・クライチェクに準々決勝で敗れた―――それは一時的な下降とも見なしうる―――事を除けば、サンプラスは1993・1994・1995・1997・1998・1999年、そして2000年にウィンブルドンでシングルス・タイトルを獲得した。

すべてのトップ・テニス選手は武器を持っている。ベッカーならネットにおける圧倒性、イワニセビッチなら殺人的なサーブ。ナダルは強力なベースライン・ストロークを持っており、そしてマッケンローとコナーズなら、いちずな精神力と競争心が彼らの武器だった。プレーヤーにとって武器とは、ピンチを脱出するための容易な数ポイントを保証し、サービスブレークを有利にする特別な何かである。90年代の間、ウィンブルドンにおけるサンプラスの最も立派な武器は、しばしば彼の名前そのものだった。選手は好調なシーズンを送れていてもなお、 SW19 のグラスコートでサンプラスとの対戦が組まれると、敗北はほぼ避けがたかった。サンプラスは決して威張りちらす人間ではなかったが、毎年のようにディフェンディング・チャンピオン、世界ナンバー1としてウィンブルドンにやって来た。早いラウンドで対戦する多くの相手は、ピート・サンプラスの無敵のオーラに呑まれ、ラケットを握る前から既に負けていたのだった。

サンプラスは怪我をしている時にも勝った。調子が悪い時にも勝った。彼はウィンブルドンで7年の間、1試合を除いてすべてに勝ったのだ。1990年代の終わりに向かって、ウィンブルドンはほぼ行列式典と化していった。サンプラスは誰にも止められなかったのだ。サンプラスは無慈悲にも効率的にコートを支配した。彼の気難しげな性質、派手な振る舞いなどほとんどせずに成果を挙げていく能力、そして見たところ無感情で、能率的なテニスのスタイルは、一般のファンを魅了する事は少なかった。そしてチャンピオンに対する一種の反発が生まれていった。イギリスの大衆は常に敗者を愛した。そして彼の華麗なる連勝の間、ウィンブルドンでサンプラスと対戦する者は、誰もが敗者だったのだ。1999年の決勝戦で偉大なライバル、アンドレ・アガシが勝ち上がってセンターコートで彼と相対した時には、熱心なピストル・ピートファン以外の誰もが、よりカリスマ的なアメリカ人を応援し、誰かがサンプラスの完封試合を破るよう熱望していた。

しかしアンドレ・アガシと対戦した1999年の決勝戦は、恐らく彼が戦ってきた数々の決勝戦の中でも最も素晴らしいものだった。復活したアガシは141位から奮起してランキングを戻し、その年のフレンチ・オープンで優勝していた。彼は大衆のお気に入りであり、理論上はクライチェク以来、ピートにとって最も厳しい挑戦を突きつけていた。彼の不安定な立ち上がりは、続く圧倒的勝利とはうらはらであった。サンプラスは容易にアガシを粉砕し、手がつけられなかった。ストレートセットでの打破は、アガシのファン軍団を沈黙させたのだった。1999年にアガシを下した事で、サンプラスは6つ目のタイトルを獲得してボルグを上回った。その後にもう1つを獲得して、彼はウィンブルドン選手権における空前の記録の頂点に立ち続けているのだ。

空中に跳び上がるサンプラスのスマッシュは、90年代のスポーツを象徴するイメージの1つとなった。そしてネットの反対側に立つ者にとっては、最も士気を阻喪させられる経験の1つとなったのだった。彼の跳躍力、途方もないサーブ(彼はセカンドサーブでエースを生み出す事で知られていた)、そしてテニス界でも最高のランニングフォアハンドが結びつき、サンプラスをウィンブルドンの速いグラスコートに完璧な存在とした。オール・イングランド・ローン・テニス・クラブの歴史に対する彼の貢献は、決して忘れられないだろう。そして彼はスポーツ界の最も偉大なチャンピオンの1人なのである。

2002年2回戦でのジョージ・バストルに対する敗戦に目をつぶれば、ウィンブルドンにおけるサンプラス最後の重要な行為は、次の素晴らしい時代への先導役を務めた事だった。2001年大会の4回戦で、サンプラスは一度も対戦した事のない19歳のやや大柄な選手と相対した。老いたチャンピオンが若い有望選手に敗れるのは、テニスでしばしば見られる悲しいシーンである。しかしこの若者のショットの多様性と、自身を律する様には気品があった。彼の名前? ロジャー・フェデラー。


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