オーストラリアン
2012年2月4日
男子テニスの黄金期における栄華
文:Chip Le Grand


今週、ジム・クーリエとイワン・レンドルが合衆国へと戻る途中でばったり出会った時、彼らは互いに質問し合った。それはノバク・ジョコビッチがこれまでに最も驚くべき試合の1つでラファエル・ナダルを負かすのを目撃した、すべての引退したテニス・チャンピオンを悩ませているだろう疑問である:自分にはあんな事ができただろうか?

彼らが世界の第一人者だった時代には、両者ともツアーで最もフィットしたプレーヤーとして知られていた。クーリエは酷暑の夏に2回、相手を打ちひしいでオーストラリアン・オープン・タイトルへの道を拓いていった。レンドルは合計270週間ナンバー1の座に就き、さらにはスウェーデンのマッツ・ビランデルと、かつての最長スラム決勝戦を演じていた。

短い答え? 不可能だ。クーリエはこのように語った。「あの男たちのような方法を貫き通す事ができたかも知れないとは、我々のいずれも思えなかった」

先週の日曜日に戦われたオーストラリアン・オープン決勝戦は、果たして過去最高の試合だったのかどうかに関して、議論が続いている。テニス専門家によっては、偉大なピート・サンプラス対アンドレ・アガシの対決と比較して、多様性の不足という欠点があるとした。あるいは1980年ウィンブルドン決勝戦でジョン・マッケンローがビョルン・ボルグに敗れた時のような、伝説的な筋書きが不足しているとした。ジョコビッチとナダルがポイント間にグズグズしなければ、試合はもっと短時間で終わっただろうと論じ、試合にかかった5時間53分という長さに異議を唱える者たちもいた。

テニス界の奥深くには、この男子決勝戦はテニスにとって好ましくない事のすべてが明白になったフルセットだった、と確信しているファンの集団が存在する。彼らはハードコートがより速く、ポイントを決めるために1本―――1ダースよりむしろ―――の見事なショットを必要としただけの時代にあこがれる。「今やパンドラの箱は開かれた」と、人気のオンライン・フォーラムに記事を提供する1人は嘆いた。「オーストラリアン・オープンはマスコミの注目を大いに集めたため、5時間の決勝戦を担保するようコートがさらに遅くされるのでは、と懸念する」

良かれ悪しかれ、これらの議論への答えはない。それは美学、テニスの好みと審美眼に基づいているのだ。テニスがプレーされてきた長い年月、最も魅力的なゲームスタイルは何かに関して、合意が存在した事は一度もない。ある者はベースラインに美を見いだし、ある者はロジャー・フェデラーが果敢にネットへと向かう、ますます希少になっていく瞬間に美を見いだすのだ。

しかしどんな客観的視点からも、テニスがこれほど速く、激しく、あるいは巧みだった事はない。純然たる運動競技という点では、先週日曜日の決勝戦は評論家のみならずテニス界の偉人たち、現在でもトップレベルで競技しているプロをも仰天させるような球速と熾烈さをもって戦われた。

アガシ:「僕はマラソンマッチをプレーできる選手と対戦してきた。この男たちはそのマラソン全体を全力疾走のようにプレーした」

アンディ・ロディックのツイッター:「ジョコビッチとラファ。完全なる戦争だ。テニスの肉体中心主義は、この5年間で別のレベルへと達した。連続6時間のパワー / スピード」

ジョン・マッケンロー:「この男たちが繰り出せるショットは………並はずれている。彼らはベースライン・ゲームをまったく新しいレベルへと至らせた」

ロッド・レーバー:「我々がたったいま見たものより優れたものを見る事はないだろう」

それでは、どのようにテニスはここまで到達したのか? オーストラリアン・オープンの大会部長クレイグ・ティレイはテニス理事、コーチ、プレーヤーとして35年間働いてきたが、それは機械に応答する人間であると「ウイークエンド・オーストラリアン」紙に語る。ボルグの時代から大いに論じられてきたラケットとストリングスの技術革新は、プレーヤーが激烈なパワーと凄まじいスピンでボールを打つ事を可能にしてきた。あまり認識されてこなかったのは、プレーヤーの生理機能に生じた隠れたる革命と、これらのハイテク用具を最も効率よく活かすためのトレーニングと準備の方法である、と。

現代のポリエステル・ストリングスが張られたグラファイト・ラケットは元来、攻撃的な武器であると想定されていた―――時速240キロのロディック・サーブを可能にする軽量の大砲、と。しかし毎分3,200回の回転がかかるナダルのトップスピン・フォアハンド、それはテニスを定義している守備的な技術である。プレーヤーは試合に勝つためだけでなく、試合に踏み留まるために、新しいエリートレベルのフィットネスをトレーニングしている。最良の道理は、ポイントに踏み留まっている限り、そのポイントを失ってはいないという事である。5年前なら鮮やかなウィナーになったであろうショットは、今や返球可能なのだ 。

最も顕著なのはサーブのリターンで、それはジョコビッチ、アンディ・マレー、ナダルがトップに就ける唯一の試合統計値である。そしてフェデラーもさほど後れを取っていない。

「ビッグサーブは今なおビッグサーブだが、よりビッグになったのはリターンだ」と ティレイは説明する。「スポーツ科学・技術をもってすれば、今やプレーヤーはどこにサーブを打とうとしているか、狙う傾向はどこかを判断し始める事ができる。そして、それらの傾向に反応する事ができるのだ。プレーヤーの守備能力によって、サーブの有利性が少しばかり奪われてきた事は疑いない。従ってテニスの次の段階は、恐らくサーブがさらにビッグになる事だろう」

今週マッケンローはニューヨークのテニスアカデミーで講演を行い、ジョコビッチはテニス史上最高の―――アガシよりも優れた、ジミー・コナーズよりも優れた―――リターナーであると言明した。ナダルもまた、月曜朝の午前2時近くにロッド・レーバー・アリーナから引き揚げてきた後、まったく同様の事を語った。「彼がどうやってリターンしているのか、信じ難いほどだよね? 彼のリターンは恐らく史上最高のものだ」

日曜日の試合における肉体的過酷さと、他のエリートスポーツの間で、比較が指摘された。テニス・オーストラリアのハイ・パフォーマンス部長マカール・リードは、試合におけるボールのホークアイ追跡データとプレーヤーの動きの分析が仕事の一部だが、ジョコビッチとナダルは5セットの間、8〜10キロメートル間のどこをもカバーしただろうと見積もる。プロテニスが持つ重大な相違点は、ラリーに留まるために要求される急激・高速の方向転換である。ジョコビッチがスライドして止まり、大急ぎで方向を変えるたびに、彼の軸足は体重のおよそ2.5倍の重量を吸収した。それは平均して、各ポイントで4〜8回起こった。試合は369ポイントあったのだ。

「彼らのように実行するためには、あのストップ&スタートの動きを下半身と連結させ、次にはラケットとボールの速度を生み出すため上半身を高速で回転させなければならない」とリードは語る。「正直言って、他のスポーツとの類似性が本当にあるのか、よく分からない」

現在のプレーヤーの生理機能における2つの重要な進歩は、高度の熾烈さを反復する能力と、リードが「最終限界」―――プレーヤーがリーチの限界でボールを打ち返すためにとる姿勢―――と呼ぶ、彼らのバランスとパワーである。

「彼らは往年のプレーヤーよりも、その姿勢ではるかに力強く、もっと安定している」と彼は語る。「それは解決法を見いだす必要性と、ジムとコート上におけるトレーニング・プログラムの再検討によるものだ。彼らは10セント硬貨の上でも方向転換ができる。それは長い時間をかけて進化してきたものだ」

テニスの進化は、試合や個人的な出来を測るため伝統的に用いられてきた統計値の多くを無意味にした。それでもなお、結局は強烈なファーストサーブが不可欠と見なすのか? テニス界のビッグ4を見ると、エースとファーストサービス・ポイント獲得率の両方で、昨年のトップ10に入ったのはフェデラーだけだった。テニス界最高のプレーヤーであるジョコビッチは、エースでは26位、ファーストサービス・ポイント獲得率では21位だった。それでもなお、ウィナーの数からエラーの数を差し引く方法が、試合の質を測る優れたやり方だと考えるのか? 日曜日の夜、ジョコビッチとナダルの間では、ウィナーよりもアンフォースト・エラーの方が39本も多かった。しかし試合後レーバーが驚嘆したように、両プレーヤーは果てしない「ウィナー」を打ち合っていたのだ―――ただし、それが返球され続けただけだ。

男子決勝戦でプレーされたポイントの何本かは、つい最近までは不可能だっただろうとティレイは語る。ボールがより激しく打たれる事、プレーヤーがより速く走り、予測と守備的なショット・メイキングが進化した事、この2つが相まって、事実上、我々の目にはテニスコートが小さくなったように感じられる。

「ゲームはより高いスピードと速度の方向へと進化した。そして今やプレーヤーは自己の技能でそのスピードと速度に対応し、さらには自身のスピードと速度をも加えているのだ。ナダルとジョコビッチの間で交わされたラリーの幾つかは、我々が10、15年前には決して目にしなかったものだろう。そのペースだけでなく、持続性においても。37本のラリーが1回あり、その間にジョコビッチがポイントを勝ち取りそうな瞬間は8回あったが、ナダルはそれを防御する事ができたのだ」

テニスにおけるもう1つの紛らわしい統計値は、最終的に唯一の重要事ではあるが、ジョコビッチが優勝した一連の大会である。昨年ジョコビッチは、ATP 史上でも最も圧倒的なシーズンを送った。オーストラリアン・オープン、ウィンブルドン、USオープンを含めて10大会に優勝し、年間を通して6試合しか負けなかったのだ。彼は今シーズンも同じスタートを切った。

それでもなお男子テニス界は、ジョーカー&その他大勢とはとうてい言いがたい状況である。先週日曜日の決勝戦と、それに先立つ2つの勇壮な準決勝の質は、1人の圧倒的なプレーヤーが他の挑戦を受けるのではなく、4人の稀な才能に恵まれたプレーヤー同士が駆りたて合った結果、生み出されたものだった。そしてゲームは非常に収まりの悪い状況になっている。

テニス界の支配構造は三すくみの関係で形成されている。ジョコビッチはナダルを倒し、ナダルはフェデラーを倒し、そしてフェデラーは、昨年のスラム大会でジョコビッチを倒した唯一のプレーヤーである。勢力の均衡はあやうい。第5セットでジョコビッチに対して5-2アップと追い込める筈だったバックハンド・パスをきわどく外した後、ナダルが無念そうに証言したように。さらにはマレーが台頭してきている。マッケンローによれば、彼はシーソーゲームの準決勝でジョコビッチに対してキャリア最高の試合をし、あと2ポイントで勝利を掴むところまで迫ったのだ。

ピート・サンプラス、前の時代に圧倒的なテニスをした男は、昨年のウィンブルドンでジョコビッチ、ナダル、マレー、フェデラーについて語った時、未来を見とおしていた。「あの4人の男たちは、他の誰よりも動きが優れている。彼らはより優れたアスリートなんだ」

競争原理は物語っている。ビッグ4が健康でいる限り、テニスはひたすら向上していく筈だと。それは、先週のオーストラリアン・オープン決勝戦に相当する試合がさらに生まれる事を意味する。そしてどの試合が最高かについて、さらに議論が発生する事を意味するのだ。すべきでない事は、男子テニスのこの「黄金期」―――ティレイや他の者たちが呼んだ―――に、ゲームが別の方法でプレーされるよう願いながら過ごす事である。「現在は途方もない時代だと思う」とマッケンローは語る。

「それが続く間は、もっとそれを楽しむべきだと思うよ」


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