ニューヨーク・タイムズ
2012年9月8日
グランドスラム大会におけるグランド・フィナーレ
文:CHRISTOPHER CLAREY


それはグランドスラム大会における、ここまでのところ最後の男子アメリカ人同士の決勝戦だった。ピート・サンプラスとアンドレ・アガシの最後の対戦だった。そして当時は明確でなかったが、サンプラスのキャリア最後の試合となった。

それはすでに10年前の、2002年USオープン決勝戦だった。

「もちろんUSオープンが開催されている今、僕はその事を考えるよ」と、サンプラスは先週の電話インタビューで語った。「そして、オープンで優勝を遂げる2カ月前に、自分がどんな位置にいたかについて、大いに考える」

それはウィンブルドン、彼の代名詞のような大会だった。その2番コートで、彼はジョージ・バストルという名前のスイス人選手に5セットで敗れたのだ。ほとんど無名だった1人のスイス人選手が、男子テニス界史上最多メジャー優勝チャンピオンというサンプラスを屠ったのだった。

2002年USオープンで、ピート・サンプラスは4セットでアンドレ・アガシを破った。2人の対戦34回のうち、サンプラスは20勝を挙げた。
ロジャー・フェデラーとは異なり、バストルはツアー大会で優勝した事がなかった。彼の世界ランクは2000年の71位が最高で、その年のウィンブルドン・ドローには「ラッキー・ルーザー」として、かろうじて入れたのだった。彼はサンプラスに衝撃を与えたはしたが、そのラウンドで運を使い果たした。チェンジオーバーの間に、サンプラスは2年前に結婚した妻のブリジットからの手紙を読んでインスピレーションを求めたが、その甲斐はなかった。

「僕のキャリアにおける、最も大きなどん底の1つだった」とサンプラスは語った。「僕はただ喪失感を感じ、自信をまったく持てなかった。コーチングの状況は収拾がつかず、そして自分のテニスの現状をとても悲しく感じていた」

サンプラスは鋭いランニング・フォアハンドと、滑らかだが破壊的なサーブを持ち、攻撃的テニスを簡単な事のように見せ、4つのUSオープンを含む、当時の新記録だった13のメジャー・シングルス・タイトルを獲得していた。しかし当時の段階では、そのギアはすり減っていた。そしてサンプラス―――財政、そして偉功という点では揺るぎなかったが―――は、2002年8月に31回目の誕生日が近づく段階では、引退を決めるという考えに納得していなかった。

彼は6年間コーチを務めてくれたポール・アナコーンと連絡を取り、その1年で3回目となるコーチ変更を行った。アナコーンは当時、合衆国テニス連盟で働いていた。

アナコーンの目標は、サンプラスのストロークやフィットネスをいじくり回す事ではなかった。彼に自分の業績を思い出させ、さらには、サンプラスが1年以上タイトルを獲得していない事で生み出された、周囲の否定的な雑音を弱める事によって、彼の理性を修復する事だった。

「すべては自分自身とそのゲームを信じる事だった。そしてポールは僕に、自分が何者で、ゲームで何をしてきたかを思い出させてくれた」とサンプラスは語った。「皆が僕を見放しても、僕自身は見放さないという信念。僕は今でも高いレベルでプレーでき、適切な機会に自分を鼓舞できる、という信念だ」

「できないという理由はなかった。僕はハッタリで13回のメジャー優勝を遂げた訳ではなかった」

そして、彼はフラッシングメドウで誰しもに思い出させたのだ。グレッグ・ルゼツキーを含めて。強烈なサーブを持つこのイギリス人は、3回戦で5セットの末にサンプラスに敗れ、その後にサンプラスは全盛時よりもネットへの詰めが一歩半だけ遅い、と聞かれもしないのに喋った。

「それは誰もが心に抱いていた事だ、彼は一歩半遅くなったとね」と、先週ルゼツキーはUSオープンのプレーヤーズ・ラウンジで語った。「だがあの発言は、彼に少し余分のモチベーションを与えた。そして彼は優勝まで戦い通し、我々みんなが間違っていると証明したんだ。それが、彼が偉大なチャンピオンである理由だ」

第17シードだったサンプラスには、4回戦でドイツのトミー・ハースを4セットで破るに充分な速さがあった。準々決勝では上り竜の20歳のアメリカ人、アンディ・ロディックをストレートセットで下し、そして準決勝ではオランダのクセ者、シェーン・シャルケンをストレートセットで破るに充分な速さがあった。
1990年9月9日、USオープンでアガシを破って優勝した時、サンプラスは19歳だった。サンプラスは合計14のメジャー・シングルス・タイトルを獲得した。

「ロディック戦は大きかった。僕は少しばかり身体を休める事ができたからね 」とサンプラスは語った。「かなり気持ちのよい試合だった。そして決勝戦に向けて、少し余裕を残す事ができた」

USオープンではスーパー・サタデーと日曜日の決勝戦との間に休養日がなく、回復要因のため、長年にわたって年長のプレーヤーを苦しめてきた。しかしサンプラスは当時31歳で、実際にはより若い側だった。32歳のアガシは、土曜日の第2試合でレイトン・ヒューイット相手に4セットで勝利という、より厳しい準決勝を戦っていたのだ。

「これ以上ワクワクする事はないよ」と、アガシは来たるサンプラスとの決勝戦について語った。「こんな事が再び起こるだろうか、といつだって問いかける。史上最高の偉人の1人に対して、ベストのテニスをするというキャリアを持つ。そして最高のキャリアでさえ、長年にわたって自分のベストを引き出してくれるようなライバル、そんな相手を得られるとは保証されていないんだ」

1993年、ピート・サンプラスはフランスのセドリック・ピオリーンを破って、2度目のUSオープン優勝を果たした。

「僕としては、過去への祝杯を挙げるというよりも、明日お互いに全力を尽くす事が重要だと感じている。明日は素晴らしい日になるだろうからね」

結局、この試合は6-3、6-4、5-7、6-4で勝利したサンプラスにとって、より満足のいくものとなった。同じコートではないにしても、同じ大会で、1990年に19歳のやせっぽちな少年だったサンプラスは、アガシをストレートセットで下し、初のグランドスラム・タイトルを獲得していた。

今やサンプラスは結婚しており、第一子をみごもる妻のブリジットを抱きしめるために、スタンドを登っていった。それは正当性の立証を反映する行為だった。なぜなら、彼の衰えに関するコメントよりもずっとサンプラスを苛立たせたものは、それが結婚と関係しているかも知れないという示唆だったからだ。

「彼女はフェアでない事々を聞かなければならなかったと思う」とサンプラスは語った。「僕はいつだって言うよ。『僕の事は好きなだけ批判すればいい。だが家族には触れないでくれ』と。我々には厳しかったよ。彼女に厳しかったし、公正ではなかった。僕はすべてを成し遂げ、それ以上のハングリー精神を持てないでいた頃に、たまたま彼女に出会ったんだ。彼女のせいではなかった。僕自身の問題だったんだ」

サンプラスはアガシとの対戦34回のうち20勝を挙げ、5回のグランドスラム決勝戦対決では4回勝利した。しかしアガシは、昔も今も2人のスターのうちで感情をより露わにする方だが、2002年の結果に腹を立てているように聞こえない。

「正直に言って、僕は『より多く勝つ方が良い』と思った事がないんだ」と、アガシは先週の電話インタビューで語った。「だからUSオープンでもう1回勝つチャンスを失った事について、その重大さを感じた事もない。常に、内なる自分自身との戦いといったものである必要があったんだ。僕が決勝戦でピートに負けた事は、彼の忍耐力と我々が共に過ごした年月によって埋め合わせられたよ。彼のキャリアがそのように明確化される事には、何かふさわしいものがあるんだ。最大の舞台では、全般的にピートは僕より優れたプレーヤーだった」

アガシとサンプラスは、引退後に気まずいやり取りがあっが。互いを狙って打ち合い、そしてエキシビションで互いを避け合った。しかしある種の平穏が戻ってきているようだ。そして2002年についてアガシが表明する後悔は、負けた事ではなく、サンプラスがアガシよりもずっと早く引退したという事だ。アガシ自身は背中の不調もあって、2006年USオープン3回戦で敗れた後、感動的な別れのスピーチを述べて引退した。

「ピートがプレーを続けなかった事には落胆した。共に歩んできた人間と一緒に辞めたいと望むものだからね。僕はその満足感を得られなかった」とアガシは語った。「その後の4年間、僕はかなり孤独だった。だが、誰もが自分で納得して辞めるべきだと言わねばならない。そしてともかくピートが勝利者として引退したのは、彼にふさわしい事だった。正しい事だったと思うよ」

2002年USオープンの後、サンプラスが大会に出場する事はなかった。彼は1年近く引退を発表しなかったが、2003年にウィンブルドンがやって来て、そして去っていっても、心を惹かれる事がなかったその時、引退を決めるべきタイミングだと感じたのだった。彼はまったく未練を感じていないと主張した。

「後悔はないよ、まったく」とサンプラスは語った。「つまり、何1つもね。僕は勝つためにプレーする。その感情が消え失せ、目標に向かって努力をいとわない気持ちにならなくなった時、事実に直面しなければならないと分かったんだ。自分がこれ以上プレーできないからではなかった。感情的に燃え尽きたからだ。計画的ではなかった:メジャー大会で優勝して、そして終えるというのはね。言わば、ただそんな風になったんだ。だが最も重要なのは、自分で納得して辞めたという事だ。今になって振り返ると、最後に優勝して辞めるというのはクールな方法だね」


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