CNN
2012年6月26日
テニス芸術の死:これはサーブ&ボレーの終焉か?
文:Kevin Darling


それはかつて、テニスにおける素晴らしい光景の1つだった―――ボリス・ベッカー、ジョン・マッケンロー等がネットの周りを飛び、正確なサーブに引き続き、完璧なボレーを放つのだ。

しかし現代のテニスプレーヤーは、恐るべきパワーのヒッティングで、かつてウィンブルドンの最も偉大なチャンピオン達が手腕を振るった技を破壊してきた、と8回のグランドスラム優勝者イワン・レンドルは語る。

2度のウィンブルドン準優勝者で、現在はアンディ・マレーのコーチを務めるイワン・レンドルは、サーブ&ボレーはテニス界における滅びゆく技だと考えている。
偉大なサーブ&ボレー・プレーヤー

1985年に17歳でウィンブルドン男子最年少優勝者となったボリス・ベッカーは、トレードマークのダイビング・ボレーで知られていた。ドイツ人はサーブが強力で、そしてネットにおいては見事にアスレチックだった。
チェコの偉人レンドルは、その勇気あるプレースタイル―――ロッド・レーバー、ステファン・エドバーグ、マルチナ・ナヴラチロワ、パット・ラフターといった偉人たちは、芝生におけるスリル満点の効果を挙げる技をマスターした―――は、技術とトレーニングの進化によって時代遅れにされてきた、と考えている。

「選手たちがサーブ&ボレーをしない理由は、主としてボールのスピンによる。そのスピンは、ストリングスと選手のパワー、テクニックによって生み出される」と、レンドルは CNN に語った。

「従ってネットへと詰め、ボールを捕らえる事は、選手がフルスウィングで、ボールに1分あたり8,000回転ものスピンをかける時………ボレーを決めるのは非常に、非常に難しくなる」

これから2週間、レンドルはウィンブルドン・タイトル―――彼が選手としては得られなかった唯一のグランドスラム―――を、イギリスのナンバー1、アンディ・マレーのコーチとして追い求める。

しかし、現在は合衆国市民であるレンドルがスコットランド人に、ベースラインからネットへの攻めを頻繁にするよう励ます事はなさそうだ。

「現在のところ、それができるのは、ほんのひと握りの男たちだ―――ロジャー(フェデラー)はその1人だ」とレンドルは語った。

しかしフェデラーでさえ、彼のサーブ&ボレーの力量は6つのウィンブルドン・タイトルに貢献したものの、そのテクニックを断念した。
短気なニューヨーカーのジョン・マッケンローは、サーブのパワーにこそ恵まれなかったが、スピード、攻撃性、そして鋭利な反射能力によって、多くのラリーを完璧なボレーで終わらせる事ができた。
オーストラリアのケン・ローズウォールは現役時、ラリーを短くし、それゆえに選手生命を長くする方法としてサーブ&ボレーを取り入れた。彼が39歳で最後のウィンブルドン決勝戦に進出したのは、偶然ではなかったのだ。

ウィンブルドン準決勝に4回進出し、彼の世代でサーブ&ボレー・ゲームを選び取った数少ないプレーヤーの1人であるティム・ヘンマンは、フェデラーはロンドンで自己のスタイルの変更を余儀なくされたと考えている。

「かつて彼は(サーブ&ボレーを)していたが、芝生の状態が非常に変わったのだと思う―――恐らくボールより重くなり、コートはずっと、ずっと遅くなった。それでサーブ&ボレーは激減しているのだろう」と、ヘンマンは CNN に語った。

しかしながら、つけ加えてイギリスの元ナンバーワンは、ネットに詰める事はウィンブルドンで成果を挙げうると主張する。「芝生では攻撃し続けなければならないと思う。防御には最も難しいサーフェスだ」と。

滅びゆく技

しかし、オール・イングランド・クラブにおけるサーブ&ボレーの最も決定的な名手だったピート・サンプラスは、このテクニックの未来に対して、さほど楽観的ではない。

「それは失われてしまった」と今年の序盤、彼は CNN に語った。

「僕はロジャー、ナダル、ジョコビッチのプレーを見るのが好きだが、誰もがステイバックするという状態で、現在ウィンブルドンを見るのは悲しいよ」とサンプラスは3月に語った。

スウェーデンのステファン・エドバーグは、ライバルであるベッカーと、サーブでは対等になり得なかったが、卓越したボレー能力で、ドイツ人に対して幾つかの見事な勝利を挙げた。彼は時に遅いサーブを用いて、自身がネットに着くための時間をさらに稼いだのだった。
生来の才能に最も恵まれたサーブ&ボレーヤーの1人だったパット・ラフターは、ネットにおいてピンポイントの正確なプレースメントと、絹のように滑らかな手並みを組み合わせた。彼は2度のウィンブルドン決勝戦では不首尾だったが、1990年代後期にUSオープンで2回の優勝を遂げた。
「僕は子供の頃からサーブ&ボレー・ゲームを培っていった。13〜14歳の頃に始めたよ―――もし20歳でサーブ&ボレーをしていなければ、もう遅すぎる」

サンプラスは、現在のプレーヤーが使う最新技術の用具が、サーブ&ボレーの衰退を早めたという点で、レンドルと同意見である。

「テクノロジーが問題かも知れない。大きいバボラ・ラケットがあれば、とにかくボールを強打するのみで、ボレーをする必要はないからね。それに対して、我々はウッドラケットを使って成長したから、適切なやり方でボールを打たなければならなかった」と、7回のウィンブルドン・チャンピオンは語った。

「誰かあのサーブ&ボレーをする者が出てきたら、楽しいだろうね。それは確かに失われた技で、残念な事だ」

もしフェデラー、ナダル、ジョコビッチの時代―――しばしばテニスの黄金時代と歓迎される―――が、同じくゲームの最も爽快な技能をむしばんだ時代として定義されるようになったら、悲しむのはサンプラス1人だけではないだろう。

オーストラリアの偉人ロッド・レーバーは、1960年代にウィンブルドンで4回の優勝を果たした。彼はそのテクニックがより一般的だった時代に、誰よりも見事にサーブ&ボレーをこなした。
マルチナ・ナヴラチロワは女子ゲームにおける数少ないサーブ&ボレーヤーの1人だった。そのプレースタイルは、チェコからアメリカに亡命したスターが記録的な9回のウィンブルドン優勝を成し遂げるのに貢献した。
ビッグサーバーのリチャード・クライチェクによる1996年の優勝は、ウィンブルドンがサーブ&ボレー・プレーヤーに有利となる証しである。オール・イングランド・クラブでの優勝は、彼の唯一のグランドスラム・タイトルだった。
ウィンブルドンで最も成功を収めた男子プレーヤー、ピート・サンプラスは、並はずれたオールラウンド・ゲームを持っていた。そして彼のサーブ&ボレーに関する専門的技術は、ウィンブルドンで7タイトル、合計で14のグランドスラムを獲得するに至った、最も強力な武器の1つだった。
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