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ブリーチャー・レポート(外野席からのレポート) 2012年3月27日 ジョン・マッケンローとテニス史における10人の最も優れたサーブ&ボレー・スター 文:Eduardo Afini |
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近年、サーブ&ボレーのプレースタイルは現代テニスにおける失われた技である、と誰もが認める 用具の進化と両手バックハンドの出現が、サーブ&ボレー・プレーヤーの消滅に影響を与えた主な要因だった。サーブのリターンはかつて守備的なプレーだったが、それが武器となり、さらには、サーブの後にネットへと詰める行為をミッション・インポッシブル(遂行不可能な使命)にした。 ウィンブルドンを含めて速いサーフェスを維持してきた大会は、試合が退屈になって人々の興味を失わせるという批判のため、コートの速度を遅くしなければならなかった。現代的なラケット、そしてより長身で力強い選手たちは、サーブを返球不能とし、ポイントはせいぜい2〜3ショットしか続かなくなっていたのだ。 最も速かった室内カーペットのコートは、もはやほとんど存在しない。 にもかかわらず、サーブ&ボレーはこのスポーツの歴史における重要な役割を演じてきた。そしてゲームを支配した多くの偉大な選手たちは、真のサーブ&ボレー・プレーヤーだった。 最後の純粋なサーブ&ボレーヤーは、2010年に引退したアメリカのテイラー・デントだった。過去10年間に、この攻撃的でクラシックなプレースタイルを上手く自分のものにしてきた選手は、他に2人―――ティム・ヘンマンとパトリック・ラフター―――しかいなかった。 以下のリストは、テニス史における10人の最も優れたサーブ&ボレー・プレーヤーを振り返る試みである。 |
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10.リチャード・クライチェク リチャード・クライチェクは1990年代にプロとして活躍し、最高位は世界第4位だった。 クライチェクは1996年ウィンブルドンの準々決勝でピート・サンプラスを破り、唯一のメジャータイトルを獲得した。彼は1993〜2000年の間に、この大会でピートに唯一の黒星をつけた人物だった。 彼はまた、1992年オーストラリアン・オープン、1993年フレンチ・オープンで準決勝に進出した。 このオランダ人は純粋なサーブ&ボレーヤーで、美しいゲームと眼福に値するサービス・テクニックを持っていた。 |
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9.ティム・ヘンマン ティム・ヘンマンは2007年に引退し、最高位は世界4位だった。このイギリス人選手は、ウィンブルドン準決勝に4回進出した―――1998・1999・2001・2002年。またUSオープンとフレンチ・オープンでも準決勝まで進出した。 ヘンマンは合計11の ATP シングルスタイトルを獲得し、アンディ・マレーが登場するまで、イギリスで最も成功を収めた選手であり、そしてイギリス最大の希望の星であった。 |
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8.パトリック・ラフター パトリック・ラフターは2002年に引退した、元世界ナンバー1選手である。 このオーストラリア人の主な業績は、1997・1998年のUSオープンにおける2つのタイトルだった。彼はまた、2回のウィンブルドン決勝戦を含め、すべてのメジャー大会で少なくとも準決勝まで進出した。 彼は天性のクラシックなサーブ&ボレー・プレーヤーで、1998年、同じ年にモントリオール、トロント、シンシナティ、USオープンで優勝した初の選手となった。 恐らく彼の最大の悔いは、2001年ウィンブルドン決勝戦でノーシードのゴラン・イワニセビッチにフルセットの大接戦の末に敗れた事だろう。 |
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7.ボリス・ベッカー ボリス・ベッカーは1999年に引退した、元世界ナンバー1選手である。 彼は6つのメジャータイトルを獲得したが、フレンチ・オープンだけは準決勝まで3回進出したものの、優勝を逃した。ウィンブルドンでは3回の優勝を果たした。 ここではサーブ&ボレー・プレーヤーの範疇に含められるが、恐らく彼はその中で最も完成された選手であろう。ボリスはベースラインからも、非常に堅実なプレーをする事ができたのだ。彼のプレーを見る事は、真の喜びであった。 |
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6.ジャック・クレーマー ジャック・クレーマーは元世界ナンバー1選手である。彼の名前は、あらゆる「史上最高」論議の中で話題にのぼる。彼は3つのメジャータイトルを獲得した:2つのUSオープンと1つのウィンブルドン。 オープン化テニスの主たる提唱者、そして ATP 創設者の1人として、彼は偉大なリーダーであり、今日のゲームの礎となった。 クレーマーの脅威的な武器は、ビッグサーブと強力なフォアハンドだった。彼は純粋なサーブ&ボレーのプレースタイルを採用する、初のトップ選手であった。 彼の体格は、ゲームを支配するうえで主要な役割を演じた。スリムで、俊敏で、そして6フィート2インチの身長があったのだ。 |
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5.パンチョ・ゴンザレス リチャード「パンチョ」ゴンザレスは、1950年代から1960年代初期の8年間にわたって世界ナンバー1となったアメリカ人だった。 彼は1948・1949年にUSオープンで優勝した。今でも彼を史上最も偉大な選手の1人と見なす専門家もいる。 ゴンザレスは身長6フィート3インチ、体重183ポンドの大柄な選手で、サーブを最も脅威的な武器としていた。そのサーブは時速112.88マイルを計測した事もあり、ウッドラケットの時代における最速だった。 |
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4.ピート・サンプラス ピート・サンプラスは史上最高の選手の1人とされ、合計14のグランドスラム・タイトルを獲得した。 ピートは恐らくテニス史における最高のオールコート・プレーヤーで、ベースラインからもネットでも攻撃する事ができた。 彼は攻撃的な特質を失わずにサーブ&ボレー、ステイバックのどちらをも選択できる能力を持っていた。 彼のサーブは巨大な武器で、重大なポイントでエースを放つ事ができた。 |
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3.ステファン・エドバーグ ステファン・エドバーグは1996年に引退した元世界ナンバー1選手である。 エドバーグはオーストラリアン・オープン、ウィンブルドン、USオープンで各2回、合計6つのメジャータイトルを獲得した。また1989年にはフレンチ・オープンの決勝戦に進出した。 パンチョ・ゴンザレス、ピート・サンプラスといった選手とは反対に、エドバーグのサーブ&ボレー・スタイルは、サーブの力よりもボレーに重きを置いていた。 その並はずれたボレーテクニックによって、疑いもなく史上最高のボレーヤーの中に位置づける事ができた。 |
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2.ロッド・レーバー ジョン・マッケンローのアイドルは、11のグランドスラム・タイトルを獲得し、連続7年間世界ナンバー1となった。 彼は2度の年間グランドスラム優勝を達成した(1962年にアマチュアとして、1969年にプロとして)。また、オープン時代にそれを果たした歴史上唯一の男子選手である。 レーバーの圧倒性は、彼の総合的な能力の証だった。彼はベースラインからも堅実なプレーのできるサーブ&ボレー・プレーヤーだったのだ。 ロッド・レーバーは史上最高選手の1人と見なされている。 |
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1.ジョン・マッケンロー この元世界ナンバー1選手は、7つのグランドスラム・タイトルを獲得した―――3つのウィンブルドンと4つのUSオープン。 現在ロジャー・フェデラーが存在していても、マッケンローは疑いなく史上最も才能あるプレーヤーと見なす事ができる。彼の時代には既にほぼ姿を消していたコンチネンタル・フォアハンドを含む異端とも言えるプレースタイル、そして途方もないボレーの才能は、コート上で対戦相手を当惑させうるものだった。 彼の癇癪と挑戦的なコート上の振る舞い、対戦相手と審判への頻繁な悪口雑言は、自身を退場処分もさせうるというより、対戦相手に有害と思われる強く威圧的な性格を物語っている。 筆者の意見では、ジョン・マッケンローは史上最高のサーブ&ボレー・プレーヤーであるだけでなく、これまでにテニスコートに登場した最も偉大なプレーヤーでもある。 |
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