テニス・チャンネル
2011年3月7日
ピートに関するすべて
文:Steve Flink


先週の水曜日朝に私の電話が鳴ったのは、ニューヨークの名高いマジソン・スクエア・ガーデンで待ち望まれた BNP パリバス・ショーダウンで、ピート・サンプラスがアンドレ・アガシを6-3、7-5で退けてから33時間が過ぎたばかりだった。サンプラスは現在カリフォルニアの自宅に戻り、スケジュールどおり電話に出ていた。ロサンジェルスは午前8時だったが、サンプラスは陽気で、目覚めもすっきりしているようだった。彼の心には迷いがなく、声は信念に満ち、見通しは前向きだった。

インタビューが始まるとサンプラスは気楽な様子で、ニューヨークの有名なステージで17,165人の人々を前に、けっこうなプレーができて本当に楽しかったと伝えた。「ステキだったよ」と彼は語った。「ガーデンに来るといつも、自国の17,000人以上の人々を前に、ベストを尽くしたいと思う。観客は優れたテニスを見るために、かなりの金を支払ったんだからね。我々は期待に応えられたと思う。試合の場に立つと、僕には今でもプライドがある。ボールが手の中にあり、サーブを打とうとする時、特別な何かをしたいと思う。

何かをうまくやろうと試みる、それが僕という人間なんだ。もちろん、かつてほどではないが、今でもかなりうまくボールを打つ事ができて、それが僕には重要な事だ。僕はファンに対して、なにがしか本当に良いテニスをする責任があると感じていた。つまらない見せ物ではなく、ね。充分な準備をして臨み、良いテニスをする責任があると感じていたんだ。それができて嬉しいよ」

39歳のサンプラスは、近頃は選んでテニスをしている。やり過ぎる事なく、いつ、どこで出場したいか分別をもって決め、エキシビションやシニア大会のために適切な準備の時間を費やせるか明確にして、取り組む事に一貫して熱意を保てるよう、スケジュールを調整しているのだ。しかしニューヨークでのアガシ戦については、サンプラスはライバルと共に創り上げてきた歴史の大きさにたきつけられ、入念な準備をした。アガシは1989年から2002年にわたって、常にサンプラスの第1位のライバルだった。彼らは34回対戦し、サンプラスが20勝を挙げた。さらには、グランドスラム大会の決勝戦で5回対決し、サンプラスが4回勝利した。

何よりも、サンプラスとアガシはキャリアのあらゆる段階で、ニューヨークで相まみえてきたのだ。サンプラスは3回のUSオープン決勝戦(1990・1995・2002年)でアガシを退け、フラッシングメドウで対決した4回ともライバルを打ち負かした。それには2001年、照明の下ですべてがタイブレークで決した、一大叙事詩的な4セットの準々決勝対決も含まれる。さらにウィンブルドンでは、サンプラスはアガシに対して2勝0敗だった。もちろん、サンプラスは6年連続(1993〜1998年)世界ナンバー1在位記録を打ち立て、14回のメジャー・シングルス優勝を遂げた。一方アガシは、1年限りの年末ナンバー1と8つのメジャータイトルで甘んじなければならなかった。

したがってニューヨークのファンには、2人の驚異的なアメリカ人選手の思い出は、いつまでも鮮明で永続するものなのだ。その事実は、彼らのガーデン対決をいっそう魅力的なものにした。アガシは現在40歳で、サンプラスは8月に40歳を迎える。そして彼らの熱心なファンは、2人が競い合うのを目撃できる残された機会はそう多くない、とよく承知している。エキシビションでは、彼らが全盛期に戦った試合の熾烈さには及ばないとしてもだ。2月28日のニューヨークの観客は、自分がトップにいた頃のプレーを見るような気分を思い出させてほしがっている、とサンプラスは充分に理解していた。

試合の第2ゲーム、アガシの0-1、15-30でサーブという場面で、彼は相手のバックハンド・ワイドにサーブを放った。そしてサンプラスはストレートにチップリターンを打った。アガシはオープンコートにフォアハンドを叩き込み、サンプラスを追い立てて、かの有名なランニング・フォアハンドのために走らせた。サンプラスは突然、全盛期まっただ中へと戻ったかに見えた。死にもの狂いで走り、全力を尽くし、まるで魔法のように、ライン上に由緒あるフォアのウィナーを放ったのだ。

私は彼に、こんな驚くべき気迫でかつてのランニング・フォアハンドをプレーするのは、どれほど愉快だったか尋ねた。彼は答えた。「試合の始め、そしてウォームアップの最中にさえ、エネルギーと舞台の雰囲気を感じる事ができた。彼は僕をフォアハンド・ワイドに追いやり、そして僕はまさに狙ってそれを成功させたんだ。走りながらあのショットを強烈に打つのは、心地よかったよ。最近は、ああいった状況には滅多にならなかったからね。正直に言うと、9年くらいした事がなかった。しばらくぶりだった。弱いリターンを打った後で、まあ、それに備えていた。率直に言って、最近はプレーで何が起こるか分からないんだ。だからあのショットには少し驚いたよ。きっと自転車に乗るようなもので、僕の中にある何か、やり方を忘れない何かなのかも知れないね。あのショットを打った時、17,000人の群衆が見えたが、座席から乗り出しているようだった。それは僕のエネルギーを上げ、しばらく経験しなかったようなアドレナリンを与えてくれた。あのショットは僕の十八番だ。そのショットを成功させて、素晴らしい気分だったよ」

その目もくらむほどのウィナーによってサンプラスは15-40とし、すぐ後にはブレークを果たしてセットを支配した。第2セットでは序盤にブレークを果たしたが、続くゲームでは試合で唯一サービスゲームを失った。しかし第2セット4-5からは、3ゲームを連続で取り、アガシをシャットアウトした。アガシは準備が整っている時には何本か見事なボールを打ったが、動きはサンプラスに及ばなかった。サンプラスがアガシをワイドに引き寄せ、オープンコートにボレーを放つと、アガシはそれに対応する事ができなかった。サンプラスは私に語った。「コンディションが相応に速く、ボールが少し飛び気味だったので、アンドレはコントロールに苦労していた。第2セットに入って彼のプレーが良くなってくると、彼はあるチェンジオーバーの時に『いささか見せ場がつくれて良かったよ』というような事を言った。少しストレスが溜まっていたのかも知れないね。彼は最近あまりプレーをしておらず、そして僕のゲームは彼のゲームにうまくかみ合っていたから。彼は少し不安げで、普段ならしないミスを犯していた。僕自身は良いプレーをしていると感じていた」

第2セット序盤でブレークを果たした後、アガシが立て直してきた時に何が起こったのか分析するよう請われて、サンプラスは答えた。「僕はペダルから足を外し、不用意なゲームをしてしまった。そして彼はそれを機に調子を上げたんだ。そのセットはタイブレークまで行くかも知れないと思ったが、5-5で彼をブレークする事ができた。だから6-5でサービング・フォー・マッチを迎えた時には、試合を終えるという自信を感じていた。サーブという武器を持っていると、あのような場面では大いに強みとなり、相手にとっては落胆となり得るんだ。それで僕は、サービスゲームで締めくくるのを快適に感じていた。ブレークされた1ゲームは別として、かなり順調に進んでいった。全体としては、良い夜だったよ」

参観者の多くは、2010年3月に起こった事件の後、サンプラスとアガシの間に反目が残っているのだろうかと考えていた。ハイチ大地震の後、義捐金を集めるためにインディアンウェルズ大会で、サンプラスとロジャー・フェデラー対アガシとラファエル・ナダルのドリーム・ダブルス・マッチが行われた。催しは「ヒット・フォー・ハイチ」と銘打たれ、プレーヤー全員は観客を楽しませるためにマイクロホンを着用した。初めのうちアガシは観客を大いに笑わせていたが、その昔サンプラスが駐車係のドライバーにチップを1ドルしか払わなかったという悪趣味なお決まりの話で、長年のライバルを侮辱した。品位を下げるようなアガシのやり方に、サンプラスは明らかにうんざりし、返答としてアガシに向かってサーブを打った。そのダブルス・エキシビションは、両者にとって気詰まりな終わり方となった。アガシの行為は礼儀の一線を大きく踏み出しており、心温まる行事であるべきだったものを、関係者一同が悲しみ、不安を感じる時に変えてしまったのだった。

私はサンプラスに、ガーデンでプレーするためにニューヨークへやって来た時、彼自身とアガシの間に反目が残っていたかどうか尋ねた。彼は私に「ヒット・フォー・ハイチ」事件に関する彼なりの受け止め方、そしてもう水に流した事を説明した。サンプラスは語った。「素晴らしい一夜だったよ。我々は言葉をやり取りしながら楽しくやっていた。コートには最高のプレーヤー4人が一堂に会していたんだ。アンドレにあのボールを打ったのは、明るく楽しい雰囲気を保とうという僕なりのやり方だった。だが彼はずっと引きずり続けていた。その時が、僕が本当に居心地悪く感じた時だった。カエルか何かを飲み込んだような気分だったよ。ふざけてあのボールで彼を狙った後に、事態は深刻になった。僕には理解できない問題について、ある意味で個人攻撃めいた事にまでなったんだ。チップの事でね。僕の感情が傷ついたという訳ではなかった。僕のことを知っている人々は、彼がどう主張していようが、僕がそういう人間ではないと承知している。彼らは僕がケチでないと知っているよ」

サンプラスは少し言葉を切ってから続けた。「最終的に我々は連絡を取り、そして数カ月後、プエルトリコでプレーした時に、話し合って問題を一掃した。彼は言ったよ。『ピストル、謝るよ。僕はやりすぎた。あの5分間を取り消せたらいいのにと思う』と。それで僕は『もう終わった事だ。僕はこの問題を長引かせたくないし、我々の関係に影響を与えたくない』と言った。メジャーで競っていた頃、我々はおよそ違うタイプだったとしても、実際に良き友人として過ごしてきたんだからね。親友ではないとしても、互いに敬意を払っていた。他の世代、例えばレンドルとマッケンローとか、本当に好意を抱き合ってないようだった男たちとは違う。アンドレと僕はプロになった頃も、引退した時も、かなり良い関係だった。1つの事件でそれを変えたくなかった。確かに、彼は自叙伝の中で僕について何か書いたが、かまわないよ。ヒット・フォー・ハイチで起こった事を、それから6カ月あるいはさらに長引かせたくなかったんだ。ガーデンでは再び疑惑を一掃して、「いいかい、もう終わった事だよ」と示したかった。みんなは事件を勃発させたがるけどね。アンドレと僕が一緒にいる時は、仲良くやっているよ。僕は彼をとてもよく知っている訳ではないし、彼も僕をとてもよく知っている訳ではないが、それで問題はないよ。多くの人々が YouTube であの事件を見た。近頃はインターネットが大流行だからね。だが我々は数回話し合って、水に流したんだ。ニューヨークでは、その状況を知らしめるために最善を尽くしたよ」

2人のアメリカ人がガーデンで競い合うのを見れば、彼らが本当にあの事件を過去のものとした事は明白だった。彼らは明らかに心地よく、やるべき事に取り組んでいた。時と思慮深い会話が、傷を癒やしたのだ。それはともかく、今後サンプラスの予定はどうなっているのか? 「これから1週間チューリッヒに行って、シニア大会に出場する。なかなか豪華なメンバーだ。ステファン・エドバーグ、ティム・ヘンマン、ミハエル・シュティッヒ、ゴラン・イワニセビッチ等が出ると思う。だから本物のテニスになるだろう。今年後半には、アンドレともう何回か試合をするかも知れない。さらにジョン・マッケンロー、ジム・クーリエ、アンドレ、僕が参加するイベントの話もある。色々な話が出るが、時間をかける価値があって、そして僕がまだプレーを楽しみ、身体が持ちこたえるなら、続けるだろう」

サンプラスはまた、この夏にワールド・チーム・テニスで一晩プレーする。「ニューポートビーチで一晩プレーするんだ。楽しみだよ」と、彼はその試みについて語る。「ビリー・ジーン・キングとイラナ・クロス(元プロで、ワールド・チーム・テニスのリーダー)は友人で、車で自宅から小1時間と近い事もあって、一緒にテニスをしたりしているんだ。だから参加は楽しみだよ」

今後2年ほどは、当然サンプラスにはプレーの機会があり、ずば抜けた運動能力や不朽のショットメイキングの卓越を披露する機会がある。しかしなお、8月には彼は40歳になる。今後10年間を、彼はどのように考えているのだろうか?

「あとどれくらいの期間、プレーするつもりかについては、特に決めていない」と彼は語る。「機会があって、そして身体がそれに対処できる限り、いくらかプレーするだろう。テニスは僕の生活に好ましいバランスを与えてくれてきた。僕はゴルフが好きだし、妻や子供たちも愛しているし、家族と共に過ごすのも好きだ。10年という年月は長い道のりだ。自分がその時テニスをしているかどうかは、かなり不確かだね。だがツアーから引退した時も同じ事を言ったが、今もプレーしている。50歳で、もしアカデミーか何か興味深いテニスの話があれば、それを考慮するだろう。幼い子供、ジュニア、プロを目指す者に手を貸す事ができるのなら、僕はそれを楽しむだろう。テニスで子供たちに手を貸すのは楽しいだろうし、年齢を重ねるにつれて優先事項となるかも知れない。だがこの先2年くらいは、あちこちで少しばかりプレーを続けるよ。今のところは生活のシンプルさを気に入っているんだ。僕に好ましいリズムを与えてくれる。年齢を重ねてくると、自分が何をしたいのか言うのは難しくなる。もし僕にとって意味のあるビジネスチャンスがあれば、考えるだろう。だが今のところは、少しばかりテニスをしてそれなりに稼ぎ、請求書の支払いもできる。そして息子たちはテレビで、僕がテニスをしているところを見られるんだ。彼らは父親が働き、ジムに行く事も知っている。そして僕が何もしないで過ごし、日がな彼らの帰りを待っているような姿を見せないという事は、僕には重要な事なんだ。人間が働く事は重要だからね」

それでもなお、彼が現在コート上でしている仕事は、より大きいヘッドのラケットや、ラファエル・ナダル等が使用している新しいストリングスに移行する事で、負担が少なくなるかも知れない。サンプラスはこの6カ月間、様々なフレームを試しており、ニューヨークのアガシ戦ではその1つを使用した。彼の説明によると、「ウィルソンと協同して、僕に向いたラケットに取り組んでいるんだ。これらの新しいフレームとストリングスは、コントロールしながらボールをフラットを打つ能力を与えてくれた。そして他のショットについても、パワーとスピンをより生み出す助けとなっている。テクノロジーは、それを活かす事のできる段階まで到達している。これらのパワフルなラケットは、鋭いスイング、そしてはるかに多いスピンを生み出しつつ、コントロールもできる能力を与えてくれるんだ。それをセカンドサーブや高いバックハンドで感じる事ができる。肩より上でもっと多くのパワーを楽に生み出し、スピンを感じる事ができる。僕の身体や腕に、より優しいんだ。プレーへの負担を少なくしている。昨年サンノゼでベルダスコと対戦したのを思い出すが、彼のボールは跳ねて、キックしていた。彼らの打ち方ゆえの部分も大きいが、テクノロジーに資するところも大きい。僕はいろいろ試す事を楽しんでいて、何も変えたがらなかった男から、様々なラケットやストリングスを試す男へと大転換しているよ。だがつまるところ、自分に向いたものを見つけるために、ウィルソンと共に取り組んでいるんだ」

サンプラスがテニスプレーヤーとして、かつての技能を実践する目的で旅行する場所を選定するのは重要な事だが、同じく優れた体調を保つ重要性も認識している。それが、彼がトレーニングに重きを置いている理由である。ニューヨークでのサンプラスが、恐らく2002年USオープンでアガシを破って優勝したキャリア最後の公式試合以降、かなり長い期間よりも引き締まり、体調も良さそうなのは明らかだった。このように優れたコンディションを保つために、最近のサンプラスは何をしているのだろうか?

「現在はロスでトレーニングしている」と彼は答える。「現役最後の年に、共にやっていたトレーナーと一緒にね。ガナー・ピーターソンという男だ。彼と週に3回会い、40分走って、1時間ジムに入り込む。彼は僕を痛めつけるんだ。終わるとクタクタだが、同時にすこぶる快調な気分だよ。何かを成し遂げたように感じるんだ。この8カ月間やってきて、さらに独りでも少し取り組んでいる。ジムで過ごすのは、テニスのためだけでなく、毎日の生活で快調に感じるためでもある。もちろん、今はより力強くフィットしているから、もっとテニスを楽しむつもりだ。ガナーは優秀なトレーナーで、真剣にトレーニングする環境に僕を追い込むんだ。僕はツアーでプレーしていた頃のように、1時間半のトレーニングに打ち込んでいる。みんなは僕が引き締まり、ほっそりして見えると言っていた。僕には違いがよく分からないが、僕のような事をやれば結果を得られるよ。引退してプレーを辞め、何もしなかった3年間で200ポンドくらいまで増えた。現役時はほぼ183ポンドだった。今は187〜188ポンドで、快適な体重だよ。ごく正直に言って、トレーニングをすると一日を通して良い気分だし、体調管理をする事で、より辛抱強い父親・夫になれるんだ。もし一日じゅう何もしないで過ごしていたら、誰のためにも何の役にも立たないものね」

ところで、サンプラスの長男、8歳のクリスチャンはテニスレッスンを受けているが、父親は少しも無理強いしていない。ピート・サンプラスが説明するには、「学校があるから、ちょっと難しいんだ。学校は3:30か、時にはもっと遅くに終わる。僕は週に1度、金曜日に彼をレッスンへ連れていく。姉のステラがアシスタント・コーチを務めていて、彼女は子供たちとの接し方が上手なんだ。クリスチャンはレッスンを楽しんでいるよ。彼はフットボールと野球も好きだが、テニスは彼にとって素晴らしい活動になっている。僕は彼がプレーを学んでいるのを見るのが好きだが、彼にテニスをするよう駆り立ててはいない。もし彼がテニスに打ち込んでいるなら、それは素晴らしい。もしそうでないなら、それでもオーケイだ。だが彼は楽しんでいる。30分か45分のレッスンで充分なんだ。彼はボールを打つ事を楽しむ―――たいていはフェンス越えだ! 優れたハンド・アイ・コーディネーションを持っていて、動きもいいし、良いアスリートだよ。テニスが彼のスポーツなのかどうかは分からない。時が教えてくれるだろう。彼は私立学校に通っていて、宿題も驚くほど多いんだ。僕が公立学校に通っていた頃は、午後1時までには終わって、それから宿題をしたものだったが、彼の1日はかなり忙しいので、何であれスポーツをするのは難しい。子供として過ごす時間がないんだ」

インタビューが終わる前に、私はサンプラスに、長年のライバルであり仲間でもあるジム・クーリエの、デビスカップ監督としての資質について意見を訊いた。クーリエを任命した事について、どう感じているのだろうか? 「ジムを監督にしたのは賢明な選択、素晴らしい選択だ」と彼は力説する。「彼は選手たちに尊敬されているし、彼自身も多くのデビスカップで戦ってきた。彼はデビスカップの気分を知っているし、ゲーム・戦略をも知っている。それはチームにとって多大な資産だ。彼はトッププレーヤーで、数年の間ゲームを圧倒した。ジムはとても有能で、真剣に練習する。そしてチームのためにできる事は何でもするだろう。彼にはアンディ・ロディックであれ、ジョン・アイズナーあるいは他のチームメンバーであれ、彼らを活かせる存在となる賢明さがある。だが彼にできる事はそこまでだ。後はプレーヤー次第だよ」

クーリエは長く監督の任に就くだろうが、もし機会が巡ってきたら、サンプラスはその仕事に興味を抱くだろうか? 「現時点では」と彼は答える。「恐らくノーだね。僕がもっと年を取ってからなら、興味をそそられるかも知れないが、今のところはないと思う。少なくとも数年はね。僕はテニスに関わり、コート上で手助けしたいと思っている。もし僕が務めるとしたら、共に取り組んで細かい事柄すべてをケアする他の誰かを手配して、自分がテニスの部分に集中できるようにするだろうね」


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