チャイナ・デイリー
2011年10月1日
過去からの一撃
文:Sun Xiaochen


引退したピート・サンプラスとマラト・サフィンが北京のエキシビションで対決する。

2人のテニスの偉人は、真剣な再試合のために引退から戻ってきたのか? ある種のばかげたビデオゲームに違いない。金曜日の夜、チャイナ・オープンの新しい会場―――国立テニス・スタジアム―――をお披露目するエキシビション・マッチで、14回のグランドスラム優勝者ピート・サンプラスは、元世界ナンバー1のマラト・サフィンに6-3、6-4で敗れた。

引退後、2人はまったく異なる生活を送ってきたが、両者とも、再会して15,000人のにぎやかなファンを前に、グランドスラム・レベルのセンターコートでショーを催す事に興奮していると語った。

「僕はマラトが好きだよ―――彼は友人だ。(プレーのためにここへ来るのは)長い旅だ。だがマラトとプレーするのは、僕にとってはボーナスなんだ。我々には歴史があるし、互いに敬意を抱いているからね」とサンプラスは語った。彼はウィンブルドンにおける記録的な7回を含め、14のメジャータイトルを獲得した後、2003年にプロテニスから引退した。

「ここに戻って来て、本当にワクワクしているよ。ここには素晴らしい思い出があるし、再びピートとプレーするのはとても楽しい」と、2004年の本大会チャンピオンであるサフィンは語った。

中国にはサフィンの揺るぎないファン層があり、2009年にはパリのマスターズ大会で公式に引退を発表する1カ月前に、チャイナ・オープンで感動的な別れのセレモニーを経験していたのだ。

サンプラスの伝統的なネットボレーもサフィンのビッグサーブも、彼らの全盛期ほどには強力でないが、両者の対決は2000年USオープン決勝戦におけるクラシックな一戦を思い起こさせた。

その決勝戦で、「ロシア皇帝」はアメリカ人の優勝候補をストレートセットで打ち負かし、初のグランドスラム優勝を果たしたのだった。その後、彼は2005年にオーストラリアン・オープンで2つ目、そして最後のメジャータイトルを獲得した。

「あの日、僕にできる事はなかったよ。彼のプレーは本当に見事で、サーブはとても強烈だった。彼は勝利して当然だった」とサンプラスは語った。彼自身はフラッシングメドウで5回の優勝を果たしている。

「その集中に戻るのは嬉しいよ。彼(サフィン)が本当にどれほどパワフルか、忘れないでほしい。我々は共に、ここにいる事を喜んでいる」とサンプラスは語った。

サフィンは返礼した。

「僕は本当にワクワクしている。ピートは今や年輩の親父のようだが、コート上では今でも競い合うんだ」と彼は語った。

サンプラスはテニス界を離れて8年間経つが、良い体調を維持し、286週間という世界ナンバー1在位記録を現在でも保持している。彼は支配を維持するために「起こりうるプレッシャー」を振り払ってきたのだ。

「こんなにも長い間トップの座に就くとは、考えた事もなかったよ」と彼は語った。

「そうなっただけだ。子供の頃に考えたりはしなかった。トップの座に留まるには、多大な努力が必要だ。狙われる存在となり、多くの者が倒そうとしてくる」

「僕はそれを誇りに思っている。何年にもわたって多くのメジャーで優勝してきた事も、さらに誇りに感じているよ―――たくさんのビッグネームと共に成長してきたんだ」

サンプラスとアンドレ・アガシとのライバル関係は、1990年代にテニス黄金時代の主役を演じた。

現在40歳のサンプラスは、2人の息子に対するフルタイムの父親として、そしてゴルフコースではスイングをみがき、さらには時折のエキシビション・マッチに出場、と忙しさを保っている。

一方、サフィンはロシア・テニス連盟の副会長を務め、さらにロシア・オリンピック委員会のメンバーとして、青少年スポーツの育成に関わっている。

「スポーツと関係のある事に関わるのは、良いものだ。大いなる息抜きだ。僕の生活は完全に変わり、新しい目標、新しい達成感、新しい段階へと入った。テニスは常にあるが、他の事にもトライするんだ」と、31歳の彼は語った。

*ピートは、サフィンとのシングルスでは3-6、4-6で負けましたが、ミックス・ダブルスでは10-5で勝利したそうです。


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9月30日の写真
*各写真をクリックすると、拡大版が見られます。




















ピートの新しいラケット。しかし、この写真をどこから見つけたのか失念し、ラケットの名称も忘れてしまいました。(T T)
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