デイリー・パイロット
2011年7月12日
サンプラスは今なお退屈か? いいえ
文:Steve Virgen
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1999年、ピート・サンプラスは「60ミニッツ」に出演した。チャーリー・ローズはいくぶん誘導的な質問をした。それはサンプラスを居心地悪くさせる可能性のあるものだった。

しかしそうはならず、テニスの偉人はただ微笑を浮かべた。

「それで『彼は退屈だ』と書かれているのを読んだ時、君は何と言うかな」とローズは促した。

「僕は退屈な男じゃないよ」とサンプラスは答えた。「自家用ジェット機に乗り、ハリウッドのガールフレンドがいるしね」

12年後、大半の人間は今なおサンプラスが退屈だと描写したがるが、それはできないのだ。ハリウッドのガールフレンドは今や彼の妻となり、クリスチャンとライアンという2人の息子もいる。そしてもちろん、彼らなりの楽しみ方がある。

「まったく違うものだよ」と、サンプラスはトッププロであった事よりも、父親である事について語った。「息子たちは今、何が起こっているかを理解する年齢に達している。学校へ行き、宿題をして、読書をする………親としては、できるだけ彼らの手助けをしようとするだけだ。親は子供たちの聞き分けが良くて、親の言う事を守るよう望むものだが、彼らは正反対の事をするんだ。彼らは少年だ。朝一番に起きて、そして出掛ける準備ができている。僕はかろうじて目覚めたばかりだ。テニスプレーヤーは自分の事に気を懸けるだけだが、今の僕は息子たちの事を考えている。それを楽しんでいる。とても愉快だよ」

土曜日の夜、サンプラスはテニスクラブ・ニューポート・ビーチに楽しみをもたらした。彼は、自分で所属チームを選べたから、ワールド・チーム・テニスリーグへの出場に同意したと語った。7つのウィンブルドンを含めて14ものグランドスラム・タイトルを獲得してくれば、自分から指名する事ができるのだ。彼はニューポート・ビーチを選択した。ロサンジェルスの自宅に近かったからだ。

彼は妻のブリジット・ウィルソン - サンプラスと息子たちが来て、自分のプレーを見る事ができると知った。またブリジットと息子たちは、短い休暇も楽しんだ。コロナ・デル・マールのザ・ウェッジ(サーフィンで有名な場所)を訪れ、さらに試合の前日にはニューポート・ビーチのファッション・アイランド(西海岸ムードいっぱいのショッピングモール)に行ったのだ。

そう、サンプラスが「60ミニッツ」で自分の生活と性格について語った時から、物事は変わってきたのだ。かつてはベストになりたいという願望について語った。そしてジョン・マッケンローといった他の者は、サンプラスについて、そして彼がいかにテニスを簡単そうに見せるかについて喋りまくった。

土曜日は、それほど簡単にはならなかった。サンプラスは足首をひねったのだ。彼は2つのセットをプレーして、ダブルスは0-5で負け、シングルスは5-3で勝利した。その後にクラブハウスへ行き、足首の治療を受けた。8歳のクリスチャンと5歳のライアンは、近くで遊んでいた。ブリジットは私と話す事を承諾してくれた。

彼女は私に、2人がどんな風に出会ったか、そして父親としてのピートについて語った。彼女は要約した話をしてくれた。映画「ラブ・スティンクス」に出演した後、 こんな精神病患者の女性を演じたから、もうデートの誘いはないだろうとブリジットは語っていた。映画の予告編は次の言葉で終わる:あなたのよりも悪い恋愛関係についての映画です。

その映画が夫を見つける事につながるとは、彼女に知る由もなかった。サンプラスは友人でレイカーズの広報部長のジョン・ブラックと映画を見に行った、とブリジットは語った。サンプラスはブラックに、共通の友人からブリジットの電話番号を教えてもらうよう冗談ぽく頼んだのだ。

「そして私たちはここにいるの。あれから11年ほど経ち、2人の子供もいるわ」と ブリジットは語った。彼女は「ビリー・マディソン」「モータル・コンバット 」「ウェディング・プランナー」などの映画でよく知られている。「私たちは彼の自宅の裏庭で結婚式を挙げ、私の牧師様にオレゴンから飛行機で来ていただいたのよ」


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