中国日報
2011年12月20日
サンプラスはリー・ナを支持する
文:Sun Xiaochen


フレンチ・オープン・チャンピオンは、自分なりの勝ち方を見つけ直す必要がある、
と高名な14回のグランドスラム優勝者は語る


「キング・オブ・スイング」は、リー・ナがグランドスラム優勝時のフォームを取り戻せると確信している。中国初のスラム・ チャンピオンであるリーは、勇壮なフレンチ・オープン優勝の後、半年間のスランプに陥ったが、再びピークに達する事ができる、と14回のメジャー優勝者ピート・サンプラスは語った。彼はこの週末、『リー・ナと友人たち』エキシビション大会に参加するため、リーの故郷・武漢を訪れていた。

「リーにとって、母国のために優勝を果たすという事は一大事だ。興奮がおさまって、再び自分のゲームに集中するには時間がかかるんだ。肝心なのは、自分が何を必要としているか、いかに物事をシンプルに保つか、を理解する事だ。僕の意見としては、リー・ナは今でもとても良いプレーをしている。彼女は間もなく、さらに成功を収めるだろうと確信しているよ」と日曜日、サンプラスはプレーヤーズ・ラウンジで『中国日報』に語った。

テニス界の偉人は、自分がその立場にいて、それを成し遂げてきたがゆえに、何について話をしているか承知しているのだ。

20年前、観客で埋め尽くされたフラッシング・メドウのルイ・アームストロング・スタジアムで、19歳のサンプラスは自身初のグランドスラム・タイトルを獲得し、USオープン男子最年少優勝者となった後、有名人になった。

しかし、はにかみ屋でいくぶん未熟な10代の少年にとって、突然の名声はあまりに重荷だったのだ。その決勝戦で生涯のライバル、アンドレ・アガシを破って優勝した後、彼のキャリアはしばらく行き詰まり、モチベーション、そして世間の注目を浴びる新しい生活に苦労した。

「メジャーで初優勝した後というのは、厳しい境遇だ。それまでとはガラリと変わるんだ。メディアからのプレッシャーはとても大きい。誰でもその後は苦難に直面する」とサンプラスは語った。「あの時、僕は19歳だった。当時は充分に対処する準備ができていなかった。だがその後2年間かけて、僕は言わばそれを理解していったんだ。リーもそうなると思うよ」

サンプラスは2年後、1993年ウィンブルドンでスランプを脱し、そして記録的な286週もの間、世界ナンバー1の座に就いた。また彼はオール・イングランド・クラブの神聖な芝生でさらに6つのタイトルを積み重ね、「キング・オブ・ウィンブルドン」となったのだ。

彼は自分の成功を恩師のティム・ガリクソンとポール・アナコーンのおかげだとして、コーチとの健全な関係が安定性の鍵だと語った。リーもコーチ&夫であるジアン・シャンとの協力が良い結果に結びつくだろう、と彼は考えている。

「コーチとの関係が親密すぎる場合、それが良い事も良くない事もあり得る。だが互いに誠実である事は、はっきりさせておかなければならない」とサンプラスは語った。「テニスプレーヤーとしては、友人のようなコーチがいる事は素晴らしいよ。彼女(リー・ナ)は夫がコーチを務めている事に、とても満足しているようだ。かなり順調にやっているから、恐らく別のコーチは必要ないだろう」

草の根レベルにおいては、上級のコーチングが果たす役割は、トップにおけるものより大きい、とサンプラスは強調した。

「優れたコーチングとテクニック、両方が必要だと思う。まずスポーツが好きで、情熱を持っている子供たちが存在する事。だが真にゲームを共有し、子供たちにとって楽しみとするためにも、優れたコーチがいる事は重要だ。これを実行する事で、もう1人の中国出身チャンピオンが生まれるかも知れないよ」

「欧米からコーチを招聘したり、子供たちを外国のアカデミーに行かせる事も賢明な手段だ。若いプレーヤー達を一カ所に集め、競い合わせるんだ」と、フロリダ州ブラデントンの有名なニック・ボロテリー・テニスアカデミーで堅実な基礎を身につけたサンプラスは語った。

現在のテニス界を見渡して、ゲームは肉体的負担が非常に大きいスポーツになっている、とサンプラスは語った。それが、アンディ・マレーやラファエル・ナダルといったスターが、過重な ATP スケジュールについて不満を表明する引き金となった。

「うん、そういった様子だね。現在もそうだが、僕の時代にも、すでに負担の重いものだった。デビスカップ、ATP 最終戦、それらが1年を長くしている。僕は年齢を重ねるにつれて、いくつかの大会に出場するのをやめた。メジャー大会にフレッシュな状態で臨むためだった。トップ・プレーヤーの大半は、そうしているよ」と、2児の父親である40歳の彼は語った。

同時に、傑出したサーブ&ボレー・ゲームの達人は、現在のテニス界がベースライン・プレーヤーに独占されている事を認める。

「当時の我々がしたようなサーブ&ボレーをできる者はいない。プレーのスタイルは変化してきた」とサンプラスは語った。彼はエキシビション大会の間に、強烈なサーブ、巧みなフットワーク、申し分のないボレーを今なお披露した。

5回目のUSオープン優勝の後2002年に引退し、サンプラスはオムツを替え、子供たちを学校に送り迎えして、家庭生活を楽しんでいる。またバスケットボール・コートとゴルフコースでは、楽しみとしてトレーニングを行っている。

「世界最高のプレーヤーである時には、家庭的な事柄や個人的な親交を犠牲にしなければならない。何かについて最高を極めるには、何かを断念しなければならない。だから現在、僕は大半の時間を家族と過ごし、子供たちの世話をする事に使っているんだ。それで忙しくしているのが嬉しいよ」とサンプラスは語った。


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