テニス・グランド・スタンド
2011年3月3日
サンプラスはアガシを一蹴する
文:Mike McIntyre


月曜夜のニューヨークは、過去へタイムワープしたかのようだった。マジソン・スクエア・ガーデン(MSG)は、歴史上で最も偉大な選手たちによる由緒深いテニスの晩へと、その神聖な門を開けたのだった。

BNP パリバス・ショーダウンは、イワン・レンドル対ジョン・マッケンロー、アンドレ・アガシ対ピート・サンプラスの伝説的なライバル関係に、再び火をつけようとしていた。彼ら4人は合わせて37のグランドスラム・タイトルを獲得しており、過去の業績に疑いはない。だが理論上は興味をそそるアイディアではあったが、現実は必ずしもプランどおりに運ばなかった。しかしならが、その晩は、テニスは MSG で行われる余地があり、ニューヨークの人々は年に1回より多くライブでスポーツを見たがっている、と確かに証明した。

レンドルとマッケンローは、観客がアリーナに詰めかけている最中の午後7時に試合を始めた。残念ながら試合は、20回の ATP ツアー決勝戦を含む1980年代の魅惑的な対決とは、似ても似つかぬものだった。レンドルは何年間もテニスボールよりむしろゴルフボールを打って過ごし、マッケンローに後れをとらないために必要な試合勘が明らかに欠けていた。そして短時間のうちに0-4という窮地におちいっていた。

競り合いに欠ける展開は、群衆を大人しくさせておくという独特な作用があった。彼らは皆、合計15のグランドスラム・タイトルを持つ2人の男たちへの期待に見合いそうな事を、果たして我々は目にするのだろうかと疑念を抱いていたのだ。少なくとも何かが懸かった試合が退屈なのも問題だが、エキシビションでは、かなり早い段階で悲惨な事になる。

レンドルが少しばかりゲームのレベルを上げつつあるかに見えた、まさにその時、マッケンローはイベント2時間前のウォームアップで傷めた足首の怪我により、6-3リードの時点で途中棄権した。傷ついたジョニー・マックが、それでも対戦相手を圧倒する事が可能だったという事実は、この夜、2人の間に存在した格差を明白に示していた。

2人の旧ライバル同士に競り合いが欠けていたのと同様に、マッケンローならではの反逆児的な行動がまったくない事も、失望させるものだった。審判、あるいは判定を疑わない観客への暴言もなし。ラケットを放り投げる事も、ライン判定への文句もなし。マッケンローの静けさは、群衆のそれよりもさらに驚くべき事だった。しかしあれほど気分良くリードしている時に、むかっ腹を立てるのは難しいだろう。

アガシ対サンプラスの試合は、午後9時頃に始まった。そしてウォームアップを見る限りでは、これはもっと見事な試合になるだろうと明言できた。これら2人のアメリカの偉人は、第1試合の2人よりも12歳ほど若いという事実は別としても、彼らは共に最近、競技的なエキシビション・マッチをこなしていたのだ。

アガシは1月に台湾で、引退した変わり者のマラト・サフィンと2試合を戦った。一方サンプラスは、2週間前にサンノゼで現役プロのガエル・モンフィスと対戦した。2人は明らかに、準備をしてニューヨークに臨もうと考えていた。とはいえ、メディアの幾つかが予想したような、昨年の「ヒット・フォー・ハイチ」チャリティで味わった決まり悪さの遺恨試合としてではなかった。

あのイベントを見損なった人のために、普段は洗練された2人の男たちの間で表面化した不和について記す。事件は1時32分、サンプラスがユーモアとしてアガシの内股歩きを真似た事から始まった。正直に言うと、当時の私は、ピートの気軽な一面を見るのは爽快だと思っていた。残念ながらアガシの対応は、ピートはチップの払いが悪いと言及する事で、ユーモアを別のレベルへと持って行ってしまった。この声明はアガシの自叙伝にも書かれ、すでに2人の間に緊張を引き起こしていたため、なおさら有害だった。次にサンプラスはアガシに直接サーブを打ち込み、それ以後の雰囲気は、張り詰めた当惑するものとなった。そして観客は、2人は本気で不和を明るみに出そうとしているのだろうか、と真意を測りかねていたのだった。

今回は幸いにも、2人はプレーに徹して、全盛期の記憶を甦らせようとベストを尽くした。サンプラスは、彼が今でも最高の武器―――サーブ―――を持っていると巧みに証明した。アガシは試合後に、 ピストル・ピートのゲームの他の部分は、かつてほど凶暴ではないかも知れないが、自分を常に挫折させた1つの装置には、今でもパンチが詰まっていると認めた。アガシはまた、時折サンプラスの不意をつく強烈なフォアハンド・リターンを放って、過去の一端を披露した。

しかしおおむね、この夜はサンプラスの方が冴え渡っていた。彼は39歳としては優れた動きで、しばしばネットへと詰めて、今でも大半のボレーを決める事ができた。彼のフットワークは堅実な様子で、競い合う事への熱意を示していた。アガシも同様だったが、彼のショットはしばしば、希望どおりの目標に達しなかった。試合はサンプラスが6-3、7-5で勝利した。

ファンが望んでいた手に汗握る3セットの展開とはならなかったが、それでも過去20年で最高の、アメリカ・テニスのライバル関係を思い出させてくれた。いま再び、アガシとサンプラスはほぼ平等に群衆の忠誠を分け合った。「カモン、アンドレ!」「レッツゴー、ピート」の声援は、2人のプレーヤーがコートでグラウンドストロークを交わすなか、スタンドでも交互に交わされていた。

もはや彼らの肉体が、かつてと同じ反射能力を示さない事は明らかだった。サンプラスのように8年間、そしてアガシは5年間、ゲームから離れていて、そして1年に何回かエキシビションを行うだけでは、そうなる運命にある。こういった親善試合を観戦するファンにとって最もつらいのは、もはやプレーヤーがかつてとは違うという事ではない。むしろ、2人の偉大な元チャンピオンがプレーする時、そこに懸けるべき何物もないという事なのだ。

このテニス対決の価値を確認する、より有意義な何かがないと嘆くのではなく、アガシは彼らが今日ここにいる理由を説明する1つの言葉を見いだしていた:郷愁。チェンジオーバーの間には、彼らの最も素晴らしいグランドスラム対決の抜粋が特大スクリーンに映し出された。これらのハイライトは、群衆を魅了して過去を思い返させただけではなく、アガシとサンプラスをも魅了した。その夜、私が最も気に入ったのは、第2セット、サンプラスの5-4リードで2人が椅子に座っていた時、特大スクリーンに映し出される2001年USオープン準々決勝の映像を、2人とも首を伸ばして見入っているシーンだった。まだ終わっていない試合の最中でさえ、かつて共有していたものの郷愁が、彼らの動きを止め、過去を振り返らせたのだ。彼らが今晩のニューヨークで、17,000人のテニスファンとその瞬間を共有したという事実は、私には充分に有意義なものだ。


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