ブリーチャー・レポート(外野席からのレポート)
2011年2月16日
アンドレ・アガシ対ピート・サンプラス:どちらが真に優れているか?
文:Tribal Tech


私は最近、テニス・マガジン3月号でマッツ・ビランデルのインタビューを読んだ。ビランデルは次のように語っている。アンドレ・アガシはピート・サンプラスと同レベルである。なぜなら、サンプラスはグランドスラム・レベルでずっと多くのタイトルを獲得したが、アガシは4つのサーフェスすべてでメジャータイトルを獲得したからだ、と。それには考えさせられた。どちらがより優れていると、我々は明確に言う事ができるのだろうか?

そこで両選手について検討し、どちらが優れているかを決定するために比較評価する事は興味深いだろうと考えた。
2002年USオープン決勝

アンドレ・アガシの事例

アンドレ・アガシは現役時に60大会で優勝し、その多くはハードコートでだった―――46大会。また1996年にはオリンピックで金メダルを獲得し、すべてのサーフェスで4大大会のタイトルを勝ち取った男子7人の1人である。

アガシは1995年までオーストラリアン・オープンに出場していなかったが、初出場で優勝を果たし、合計で4回の優勝を遂げた。USオープンでは1994年(ノーシード)と1999年の2回、ウィンブルドンでは1992年に優勝した。また1999年にはフレンチ・オープンで優勝した。決勝戦には3回進出しており、19年間にわたって非常に優れた勝敗記録を保持している。

またキャリア合計101週にわたってナンバー1の座に就き、1999年には年末ナンバー1となった。さらにマイアミ6回、シンシナティ3回を含め、18のスーパー・ナイン / マスターズ大会で優勝した。またアガシは1回、1990年に年末ワールド・チャンピオンシップで優勝した。20年以上にわたるキャリア勝敗記録は、870勝274敗だった。

2001年USオープン準々決勝
ピート・サンプラスの事例

ピート・サンプラスは64のキャリア・タイトルを獲得し、そのうちハードコートは半分を少し上回る34だった。サンプラスはテニス界における多くの記録を保持している。ナンバー1在位は合計286週間で、現時点での記録である。また1993〜1998年の6年連続年末ナンバー1で、同じく記録である。

ウィンブルドンでは7回優勝し、オープン時代の記録である。USオープンでは5回優勝し、ジミー・コナーズ、ロジャー・フェデラーと並んで記録である。また決勝戦には8回進出しており、イワン・レンドルに並ぶ。さらにオーストラリアン・オープンでは1994年と1997年の2回、優勝を果たした。

年末のチャンピオンシップでは5回優勝し、イワン・レンドル、ロジャー・フェデラーと共に記録を保持している。また、マイアミとシンシナティ各3回、イタリアン・オープン1回を含め、11のスーパー・ナイン / マスターズ大会で優勝した。

1994年には、サンプラスはすべてのサーフェス―――クレー、ハードコート、芝生、室内カーペット―――で大会優勝を遂げたが、今日の現代テニスの中でも貴重な記録である。15年間にわたるキャリア勝敗記録は、762勝222敗だった。

アンドレ・アガシに不利な事例

アンドレ・アガシはキャリアにおいて、まさに頂点とどん底を経験した。初期のアガシは、才能はあるが方向づけに欠ける選手だった。しかし1990年代半ばにはブラッド・ギルバートの指導の下で、相手に対して何ができるかを念頭において、より戦略と目的をのあるテニスをした。

しかしながら、1995年USオープンでサンプラスに敗れた後、アガシのキャリアは下降し、1997年には141位にまで転落した。1999年には注目に値する上昇を遂げ、ナンバー1へのカムバックを果たした。これに対しては大いに評価されるべきである。しかしそれは、一貫して長い期間トップにいる偉大な選手への言及というよりは、むしろ伝説的なたぐいの事と言える。
1999年ロサンジェルス決勝
またアガシの功績は、ドラッグ使用について嘘をつき、1998年に ATP から制裁を猶予されたという自叙伝での告白によって、少しばかり穢れた。

ピート・サンプラスに不利な事例

ピート・サンプラスについては、通常1つの事に帰着する:フレンチ・オープンで優勝できなかった事。なぜ優勝が彼に訪れなかったかの議論は、コンディション調整の不足であれ、あるいはクレーでの能力自体の問題であれ、うんざりするほど繰り返されてきた。サンプラスは、遅いレッドクレーには最新技術のラケットを試みれば良かった、と語った。

彼はローラン・ギャロスでセルジ・ブルゲラ、ジム・クーリエ、トーマス・ムスターを含む最高の選手たちも破ってきたが、彼のプレー、あるいは動きは、クレーでは充分な堅実性に欠けていた。そして、彼が運命を受け入れたかに見え、ローラン・ギャロスへのさらなる努力は見込みがないと自問自答するにつれて、それは精神面の問題となっていった。

プレー・スタイル―――アガシ

アガシは興味深いプレーヤーである。サーフェスにかかわらず、ほぼ同じ方法でプレーしたからだ。それは、主として女子がサーフェスにかかわらず自分のゲームをした時代(1990年代と2000年代早期)における事例であった。アガシの対戦相手の多くは、サーフェスによって自身のゲームを順応させた。

他に興味深いのは、アガシは典型的なハードコートでのやり方で、クレーでもプレーしたという事である―――ベースライン上でボールを振り抜いて打ち、コート中央を支配しようとした。スライディングは殆どしなかった。

アガシはモニカ・セレシュと共に、サービスリターンに革命を起こした。アガシは必ずしも運動能力が特に高いプレーヤーではなかったが、非常に速いフットワークと反射神経を持っていた。それを活かして、サービスリターンの時やベースラインから早いタイミングでボールを捉えたのだ。時には良いアプローチショットからネットへと前進もし、そして有能なボレーヤーだったが、同じく優れたバックハンドのスマッシュも持っていた。

プレー・スタイル―――サンプラス

サンプラスは彼の時代における従来のオールコート・プレーヤーで、芝生ではほぼすべてのポイントでサーブ&ボレーをしたが、ハードコートやクレーではサーブの後にもっとラリーをした。

ハードコートでは、セカンドサーブの後にステイバックしてラリーをし、対戦相手にターゲットを与えない事を好んだ。より遅いクレーやリバウンドエースでは、ファーストサーブでステイバックする事も、ネットへ詰めるのと同じくらい気に入っていた。

キャリア最後の3年間には、すべてのサーフェスで常にサーブ&ボレーをするようになり、そのためメディアの主流には、キャリアの大半にしてきたオールコート・プレーよりも、そちらの方が記憶されるようになった。

サンプラスは運動能力の高いプレーヤーで、初期には生来の才能に頼って試合をこなしていた。経験を重ねるにつれて、彼は生来の能力に加えて、高い職業倫理と勝利への意志を併せ持つようになり、事実上それは無敵の組合わせとなった。

彼らのライバル関係

彼らは34回対戦し、サンプラスが20勝、アガシが14勝を挙げた。グランドスラムでは9回対戦し、サンプラスの6勝3敗、グランドスラムの決勝戦では5回対戦し、1990年、1995年、2002年のUSオープンにおける3勝を含めて、サンプラスの4勝1敗だった。

サンプラスは1999年ウィンブルドン決勝戦でもアガシを下した。アガシは1995年オーストラリアン・オープン決勝戦、2000年オーストラリアン・オープン準決勝でサンプラスを負かした。アガシは同じく1992年フレンチ・オープン準々決勝でサンプラスを下し、サンプラスはアガシがディフェンディング・チャンピオンだった1993年ウィンブルドンの準々決勝でアガシを破った。彼らの最も有名な対決は2001年USオープンの準々決勝で、4セット連続でタイブレークの末に決着がついたのだった。

彼らは1994年と1995年のマイアミ、1995年のカナディアン・オープン、1999年と2001年のロサンジェルス、1999年の ATP チャンピオンシップ(マスターズ)、1995年と2001年のインディアン・ウェルズを含め、合計16回の決勝戦で対決した。同じく1992年のアトランタ、1996年のサンノゼで決勝戦を戦った。ハードコートではサンプラスが11勝9敗と上回り、クレーではアガシが3勝2敗で上回っている。

ライバル関係は、主にサンプラスのサーブ対アガシのリターンという図式だった。その中には副次的なテーマが存在した:サンプラスは同時代のいかなる攻撃的プレーヤーもしなかった方法で、アガシとのラリーを楽しんだのだ。したがってアガシはしばしば(もちろん、常にではない)対応する側に回った。

しかしながら、1994年のパリ・インドアから1995年のカナディアン・オープンまでの期間は、アガシの方が確かに攻勢で、サンプラスは反撃する側に回された。

しかしポール・アナコーンは後に、アガシに対してさらに攻撃的なテニスをするようサンプラスに納得させた―――もっとバックハンドのドライブリターンで攻める事、特にアガシのセカンドサーブでは。サンプラスがより強烈なセカンドサーブを打ち、初期の彼が本能的にしていたよりも、さらにネットへ攻撃を仕掛けるようになるにつれて、競争は再び彼に有利となった。

最後の対戦となった2002年USオープン決勝戦では、最初の2セットで見せたサンプラスのプレーは、1999年ウィンブルドン決勝戦と同じくらい見事だった。アガシはサンプラスのフォア・バックのリターンの勢いに、明らかにショックを受けていた。そして第3セットまでリズムを掴めないでいた。その段階では、巻き返しが最重要課題だった。そして大いなる反撃はしたものの及ばず、アガシは接戦の末に第4セットを失って敗れたのだった。

私としては、2002年のUSオープンが、彼らのライバル関係すべてを要約していると考える。2001年USオープン準々決勝は、恐らく彼らの最も有名な試合かも知れない。しかし彼らが互いに何をする事ができたかという点では、それを代表するものではない。34回の対戦で、タイブレークまで行ったのは16回だけだった。そのうち4回は、1試合でのものだったのだ。2002年の決勝戦はより典型的な試合で、タイブレークはなかった―――彼らは常に互いのサーブを狙い、すべての対決で互いに対して多くのチャンスを創り出したのだ。

私はこれらすべての要素を考慮に入れて、業績とプレーのレベルにおいて、サンプラスの方が明らかに1段階アガシより上にいる、と考える。着実にタイトルを防衛できる事は、真の偉大さの証であり、それはアガシ、イワニセビッチ、 ベッカー、ヘンマン、ラフターといった極めて優れた対戦相手を圧倒する事によって、7つのウィンブルドン・タイトルを獲得したサンプラスの能力を反映している。大会に優勝するのは1つの事柄だが、首尾よくタイトルを防衛するというストレスに絶えず対処する事は、まったく別の問題である。

私はまた、サンプラスのナンバー1在位週、そして6年連続ナンバー1在位の実績は、彼とアガシを分けるものだと考える。同じくサンプラスは、18回のグランドスラム決勝戦で14勝を挙げ、そのうち5セットマッチは1回だけで、より優れた記録を保持している。一方、アガシはメジャーの決勝戦に15回進出し、勝利は8回だった。

以上が私の判定である。皆さんはどちらが優れていたと考えますか?


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