デイリー・パイロット
2011年6月16日
ニューポート・ビーチ・ブレーカーズ
サンプラスが出場
文:Matt Szabo


7月9日、テニス界の偉人がブレーカーズの1員として、
ニューポート・ビーチ・テニスクラブに戻ってくる。


ピート・サンプラスとダーク・ノヴィツキーには、一見ほとんど共通点がない。
訳注:ダーク・ノヴィツキー。NBA ダラス・マーベリックス所属のドイツ人プロ・バスケットボール選手。

しかし1990年代初期、サンプラスが史上最高のテニスプレーヤーの1人として偉功を刻み始めた頃、ノヴィツキーは生国ドイツのジュニア・テニス大会で勝利を挙げていたのだ。

やがてノヴィツキーはバスケットボールに転身し、日曜日の夜にダラス・マーベリックスと共に、彼にとって初の NBA タイトルを獲得した。サンプラスはロサンジェルスに住み、ステイプルズ・センターでしばしばレイカーズの試合を見る事ができるが、ノヴィツキーがついに彼のリングを獲得した経緯について、他の事も称賛していると語った。

「僕は優れたバスケットボールを見るのが好きなだけだ」とサンプラスは電話インタビューで語った。「どのチームよりどのチームが好きという事はない。ただノヴィツキーの成功を嬉しく思うだけだよ。彼は謙虚なタイプの男で、もちろん素晴らしいプレーヤーだ。喜ばしい結果だった。マイアミが嫌いというのではなく、ただノヴィツキーの成功が嬉しかったんだ」

際立つ言葉は「謙虚」である。当時の記録だった14のグランドスラム・シングルス・タイトルを含む彼のプロ・キャリアを通じて、その言葉はサンプラスを記述するにふさわしい形容詞でもある。しかしサンプラスが対戦相手に時速140マイル超のサーブを放つ時、彼らの心をよぎった言葉は、恐らく4文字のあれこれ(4字からなる卑猥な語、cunt, fuck など)だっただろう。

8月で40歳になるサンプラスは、今でもビッグサーブを持っている。彼はこの夏、2006〜2007年以来ワールド・チームテニス(WTT)に3回目の出場を果たし、ニューポート・ビーチ・ブレーカーズに参加する予定である。7月9日、ブレーカーズはニューポート・ビーチ・テニスクラブのホームでニューヨーク・スポータイムズを迎え撃つが、サンプラスはその花形プレーヤーである。スポータイムズには元世界ナンバー1のマルチナ・ヒンギスも参加する事になっている。

サンプラスは注目が二分する事を気に掛けないだろう。出場して、競技的な試合でプレーする事が楽しいのだ。彼が近頃テニスボールを打つのは、2人の息子、8歳のクリスチャンか5歳のライアンのどちらかが父親と一緒に過ごしたがる場合がほとんどである。

現在は学校が夏休みなので、さらにその傾向が強い。

「うん、息子たちは熱心だよ」と、女優ブリジット・ウィルソン - サンプラスを妻に持つサンプラスは語った。「彼らは子供だから、15〜20分くらいテニスを続けたら他の事に移る。もし彼らがテニスに打ち込んでいるのなら、素晴らしい。そうでなくても、テニスを押しつけるつもりはないよ。打ち込んでいるとすれば、それは彼らがテニスボールを打ちたがっているからで、僕が強制している訳ではない」

ブレーカーズはサンプラスがニューポート・ビーチに戻ってくるのを喜ぶだろう。彼は2006年に初めてチームに加わった時よりも良い状態だと語った。その当時、サンプラスは何年も前に引退して以降、ほとんどラケットに触れていなかった。

「(サンプラスは今シーズンに)出場すべきではなかった」と、当時の監督ディック・リーチは1試合が終わった後、デイリー・パイロット紙に語った 。「2003年にラケットを置いて、試合の3カ月前に再び拾い上げる事はできない。それは難しすぎる事だ。彼は偉大な男で、チームメイトに対しても素晴らしい存在であり、ファンは彼を愛している。しかし我々は(彼とのラインナップで)勝つ事はできない」

「ピストル・ピート」はその年、現在よりも散発的なスケジュールでプレーしていた。想像しがたいかも知れないが、それでもブレーカーズは WTT で決勝進出を果たした。さびついたサンプラスがいたにもかかわらず、成功を収めたのだ。ある時点では、彼が参加した試合でチームは0勝6敗を喫した事もあった。しかしトレバー・クローネマンが初めて監督を務めた翌年には、彼はより強くなって戻ってきた。

現在クローネマンは、監督就任5年目を迎えている。もちろんサンプラスは、誰かに何かを証明する必要はない。しかし彼は現在でも競争心があり、勝つ事を望んでいると語った。2月28日、国内でテレビ放映もされたニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンにおけるエキシビション・マッチで長年のライバル、アンドレ・アガシを6-3、7-5で打ち負かした時、彼にさびついた様子はなかった。

「僕は良い状態だと感じているし、さらにもう少し準備するつもりだ」とサンプラスは語った。「自分の感覚とリズムをより早く見いだせるかどうかだ。へまを犯して挽回できるようなフォーマットじゃないからね」

サンプラスは現役の間、へまを犯す事はなかった。特にオール・イングランド・クラブのグラスコートでは。ウィンブルドンは来週に始まり、サンプラスは統計項目をよく承知している。ロジャー・フェデラーはすでにサンプラスの生涯グランドスラム記録を超えているが、もし彼が今年ウィンブルドンで優勝すると、最も高名なメジャー大会で7タイトルを獲得し、サンプラスの記録と並ぶのだ。

フェデラーも謙虚な男である。史上最も偉大な選手と多くに見なされるスイス人プレーヤーについて語る時、サンプラスは再び謙虚さを示した。

「ロジャーは僕の記録をすべて破っていくように思える」とサンプラスは語った。「彼はウィンブルドンで、僕以上の結果を残す事もできるだろう。僕は7回の優勝を果たして幸せだよ。知る由もなかったが、(ラファエル)ナダルもどこかの段階で、僕(のメジャー優勝回数)を恐らく超えるだろう。彼らは本当に、信じがたいほど見事にツアーを支配してきた」

サンプラスは2002年USオープン決勝戦でアガシを破り、最後のメジャー優勝を遂げた。それは彼の最後の試合となった。彼は当時31歳だった。フェデラーは8月に30歳を迎える。しかしサンプラスは、フェデラーは年齢を重ねていっても、 さほど劇的にプレーを変える必要はないと考えている。

「2〜3人以外は誰に対しても、彼はいつもしている事をできる」とサンプラスは語った。「フレンチでは少しばかり前に詰め、サーブ&ボレーもしたりと、多彩なプレーをしていた。彼は攻撃的になり、主導権を握ろうと試みていた。それをとても上手くこなしていると思うよ。他の相手に対しては、彼はいつも通りのプレーをする事ができる。彼は98%以上の男たちよりも優っている………まだメジャーで優勝するだろう。もし彼が次の2大会の1つで優勝しなければ、僕は驚くよ。どう展開していくか、見てみよう」

サンプラスは7月9日のブレーカーズ戦についても、同じ事を言えるだろう。彼が常に愛してきたスポーツをプレーするのに、南カリフォルニアの満場の観客の前よりも思わしくない場所がある。

プロテニスの世界は彼の引退以降、変化してきた。アメリカ人選手たちが1990年代を支配していた時代から、テニスはより国際的になってきた。今週の ATP ランキングでは、トップ10にはマーディ・フィッシュ(9位)とアンディ・ロディック(10位)の2人しかアメリカ人男子が入っておらず、トップ35には他の誰もいないのだ。

またサンプラスは今秋、 チャンピオンズ・シリーズ・サーキットに出場する。同じくアガシ、ジム・クーリエ、ジョン・マッケンロー等も参加する。

「若いファンに、我々を見るチャンスを与える事になると思う」とサンプラスは語った。「現在この子供たちは、Youtube でしか我々を見る事ができない。もし我々が何らかの形で、若者たちにテニスをする気にさせられれば素晴らしいね。アメリカの若いプレーヤーを獲得する事に対して、それは魔法の処方箋になるか? 分からないが、手助けにはなれるだろう」

「ロジャー対ノバク(ジョコビッチ)、ロジャー対ナダル、彼らの『伯仲した』戦いは素晴らしいテニスだ。彼らを分けるものはあまりない。差はほとんどなく、何でも起こり得る。合衆国でかつて我々がそうだったように、彼らのテニスは非常に強いが、正直なところアンディとマーディについては、そうとは言いがたい。彼らに対しては、いくぶん同情を感じ、そして公正であらねばならない。テニスは世界じゅうで本当に、とても順調に運んでいる。そして合衆国では………アメリカの存在感を必要としているんだ」

サンプラスは少なくとも一晩の間、ニューポートビーチで再びそれを提供するだろう。あるドイツ人のバスケットボール・スターがテキサスで吉事を行い続けるように。


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