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2011年6月15日
生涯ただ一度:サンプラス対フェデラー
文:Ed McGrogan


10年前、ウィンブルドンはピート・サンプラスとロジャー・フェデラーの間に、
ただ一度となったメジャー対決の舞台を用意した。


彼は29歳―――獅子座―――で、ポール・アナコーンのコーチングを受け、7回のウィンブルドン決勝戦に進出し、ナイキのウェアを身につけ、そしてウィルソンのラケットを使用する。彼はピート・サンプラス、オール・イングランド・クラブにおけるこの8年間の54試合で53戦の勝者である。その試合の大多数は、テニス界の最も偉大な舞台、センターコートで戦われた。

ネットの向こう側でサーブの構えをするのはロジャー・フェデラー、由緒あるアリーナで試合をするのは初めての事だ。フェデラーはサンプラスより10歳若く、2人はほんの数分前にキプリングの有名な言葉が掲げられた選手入退場口から現れ、フェデラーは彼のアイドルと並んで歩いた。フェデラーはナイキのウェアを身に纏っている―――バンダナとゆったりとした長袖のシャツ。それは彼が後年に身につける、クリーム色のカーディガンとぴったりした隙のないジャケットとは著しい対照をなしている。ビーズのネックレスをつけ、長い髪はポニーテールに結んでいる。これは2001年のフェデラーで、ボーグにも選出された現在の男ではなく、ロック風を模倣していた。

2人が対戦するのは初めてだが、サンプラスはフェデラーの才能に気付いている。フェデラーのランキング上昇に注目し、アナコーンからアドバイスを受けていた。アナコーンはフェデラーの前の試合を偵察していたのだ。 「私は彼のプレーを見て、もちろん彼が信じがたいほど才能に恵まれていると承知していた」とアナコーンは語る。「ピートはロジャーを、あるいは誰であれ、軽く見る事はなかった。彼は、非常に厳しい試合になるかも知れないと承知していた」

このオードブル―――来たるメインコースのティム・ヘンマン - トッド・マーチン戦への、と BBC の解説者は語る―――の質は、早い段階で明らかになる。フェデラーのウィルソンが最初に放ったスイングは、ワイドへのエースとなる。彼は次の3ポイントで、もう1本のエースと2本の返球できないサーブを続けるのだ。「彼のサーブのペースに、僕はいわば不意をつかれた」と、10年後にサンプラスは語る。負けてはならじと、次のゲームで4度のディフェンディング・チャンピオンは同じ方法で4ポイントを取る。

コンテスト最初のラリー―――フェデラーのファーストサーブ、サンプラスのバックハンド・リターンは中央へ、フェデラーのバックハンド・ボレーはネット―――は第3ゲームの1ポイント目で生じる。フェデラーの多才さを強調するゲームである。スイス人はこの慣れないサーブ&ボレーの失敗を振りはらって再び試み、そして今度は成功させる。またサンプラスの適切な深いリターンに対して、ベースラインから逆クロスのフォアハンド・ウィナーを放ち、何らの動揺を示さない。2-1、フェデラー。「彼はファーストサーブの大半、何回かはセカンドでもサーブ&ボレーをし、ステイバックもする、と様々な事をした」とサンプラスは語る。「当時としては、彼は総合的なオールコート・ゲームを持つ数少ないプレーヤーの1人だった」

3-1、フェデラーとなりかかる。彼は3本のファーストサーブをリターンして、3本のブレークポイントを得たのだ。すべてがバックハンド・サイドへだった(「ロジャーは見事なリターンをすると思った」と、アナコーンは続いて語る)。しかしフェデラーが後に彼をチャンピオンとしたショットで我々の気をそそったとすれば、サンプラスはずっと前に彼をチャンピオンとした由緒ある才能を披露した。彼は冷静なサーブ&ボレーで1本目のチャンスを消し、自信に満ちたセカンドサーブを打ってフェデラーのエラーを引き出し、フェデラーがほとんど反応できない唸るようなエースでゲームを互角にする。そして対戦相手にこれら天賦の才能を思い出させるかのように、サンプラスはデュースポイントで巧みな2本のボレー・コンビネーションを決め、センターへのエースで凶兆を終わらせる。戦いは始まっていた。

すべての「ビッグポイント」が試合の最終セットで起こる訳ではない。8ゲーム連続でサービスをキープし合った後、リラックスした様子のフェデラーとベテランのアメリカ人は、タイブレークでその1つを演じている。4-3、サンプラス、しかしほんの一瞬前には3-1、フェデラーだった。フェデラーは強烈なファーストサーブを狙う。それはテープに当たってラインから外れる。審判のモハメド・ラヤニが確認する。サンプラスは続くセカンドサーブをセンターにリターンするが、短くなってフェデラーに攻撃のチャンスを与えてしまう。だが彼は攻撃せず、フォアハンドで返球し、サンプラスはストレートにバックハンド・スライスを打つ。ボールへと急いで向かいながら、フェデラーはここが攻撃の時だと決心する。彼のえぐるようなクロスコート・フォアハンドは空中に留まり、そこから急激に落ちてラインを捕える。サンプラスは確認のために線審を見つめている。彼女の手は握り締められたままだ;イン。

さらに決定的な応酬が続く。サンプラスは時速121マイルのセカンドサーブでセットポイントを握る。フェデラーもサービスウィナーで応じる。フェデラーが7-6で最初のセットポイントを握ると、サンプラスもまたサーブでそれを打ち消す。

しかし8-7、フェデラーの場面では、サーブはフェデラー。フェデラーは良いサーブを打つが、サンプラスはバックハンドでそれを返球する。フェデラーは前進してローボレーを打ち、サンプラスにストレートの難しいバックハンドを打つよう強いる。それはネットに掛かり、フェデラーは第1セットを先取する。

「あの場面、恐らく少し怖じけづくかも知れないような場面で、彼の気質には感銘を受けた」とサンプラスは語る。「彼は見事に自身を律して、僕にまさっていたんだ。特にビッグポイントで」

ウィンブルドンでセットを失う事は、サンプラスにとって初めてではなかった。2回戦では265位のバリー・コワンに対して、第5セットまで押し込まれたのだった。フェデラーに対しては、サンプラスは接戦の末に第2セットを7-5で勝ち取って応え、この4回戦の試合の残りをベスト・オブ・ 3セットとした。しかしフェデラーが第3セットを6-4でものにし、2セット対1セットとリードした時、観客の間には明らかなざわめきが広がり、ファミリーボックスのサンプラス陣営には懸念が見てとれた。それでもなお、アナコーンは楽観的だった。「あの段階でピートのような選手のコーチをしていると、彼が勝つだろうと常に感じるものだ―――普段はそうしてきたのだから」

プラグマティズム(あらゆる概念をその実際的効果を標準として価値づける。実用主義)のかがみ、アナコーンには、自信を持ち続ける1つの大きな理由があった:彼のサーブ。第4セットでは、サンプラスはサービスゲームで8ポイントしか失わなかった。しかし互いにサービスをキープし合って、タイブレークへと突入した。サンプラスは4-3で何本かの素晴らしいハーフボレーを決め、2度のブレークチャンスを得たが、フェデラーのサーブは少なくとも有効性という点で標準以上だったのだ。

スピードではサンプラスが上回り、タイブレークでは時速134・136マイルの稲妻サーブを炸裂させた。1-1でフェデラーが簡単なボレーをネットに掛け、ミニブレークを許した。それはサンプラスには必要充分なアドバンテージだった。しかし最終的な決着は、いまだ何とも言えなかった。

「ロジャーが気落ちするとは全く期待していなかった」とサンプラスは語った。「彼は若く、存分にやるだろうと感じていた。試合のどの時点でも、自分が彼を捕らえたとは思わなかった。仕切り直しだ、どちらがこの1セットを勝ち取るかだ、と気を引き締め直したよ」

第5セットはまさにグラスコート・テニスそのもので、素速い反応の応酬である。フェデラーがラインを捉えるフォアハンド・パスでサンプラスのサーブから1ポイントを奪えば、サンプラスはネットの最も高い部分で拍手喝采もののウィナーを決めて応える。フェデラーが24本目のエースでサンプラスを抜いて4-3キープとすれば、サーブの絶対君主はすぐに次のゲームの第1ポイントで25本目のエースを放つ。そのゲームではサンプラスがキープして4-4とする前に、フェデラーは30オールまで押し込む。

もちろん、サンプラスもフェデラーの次のサービスゲームで30オールに達する。サンプラスと同じくフェデラーもサービスをキープするが、2本のブレークポイントをセーブしてのものである。1本目は絶妙な位置への低いサービスリターンをなんとか持ち上げて返した後に、神経をすり減らす高いバックハンド・ボレーでセーブ。この試合は彼ら2人が対戦する最後の機会となり、サンプラスがフェデラーを破る最後のビッグチャンスだろう。「試合には何も異常な事はなく、コートを去る時に『わお、僕はこうすべきだった、ああすべきでなかった』などと言う事もなかった」とサンプラスは語った。「僕はただ『あのサーフェスでチャンスもあったが、それを掴めなかった』と考えるだけだ」

3ゲーム後に、フェデラーのグレート・チャンスが出現した。彼は6-5からのゲームをセカンドサーブに対するクリーンなバックハンド・ウィナーで始め、次にはサンプラスが低すぎる位置で捕らえたフォアハンドボレーがロングになるのを見たのだ。0-30、サポーターの声援が強まった。

15-30でサンプラスは再びボレーのタイミングを誤り、ネットに掛けた。フェデラーはダブルのマッチポイントを得ていた。サンプラスは信じられないといった面持ちでサービスラインへと戻った。ロレックスの時計は3時間41分を刻んでいたが、すべては非常に速く進んでいた。同じく、最後のポイントも素速く決した。サンプラスのファーストサーブはフェデラーを少し右に押しやったが、10代の若者は最大の効果を上げるべく正確な位置にストリングスを着け、鋭いカーブを描くフォアハンドを放った。ボールは下方へと飛び、ラインの中に落ちた。フェデラーは涙ぐみながら膝を地面に着き、そして4回のディフェンディング・チャンピオン、サンプラスは7-6(7)、5-7、6-4、6-7(2)、7-5で敗れたのだった。もしこれがオードブルだとすれば、ミシュランの三つ星レストランにふさわしいものだった。

「いつだって『ああ、(ピートは)決して負けない筈だ』あるいは『おやおや、彼も時には負ける事がある』と言う事ができるだろう」とアナコーンは語る。「だがピートは途中で挫折したのでもなければ、ひどいプレーをした訳でもなかった。これは、そこここの数ポイントで勝敗が決するような試合の1つで、ロジャーは本当に重要な場面で素晴らしいプレーを実行したのだ。彼の偉大さを初めてかいま見る試合だった」

数瞬後、ロイヤルボックスへのお辞儀を思い出した後に―――数秒前のサンプラスのジェスチャーが、彼に礼儀作法を思い出させた―――フェデラーは彼のアイドルと並んでコートから歩み去った。彼はその快挙を「僕の人生で最大の勝利」と呼ぶ。サンプラスもまた、その重要性を認識していた。

「あの試合は彼にとって、未来に何が待っているかを象徴するものだった。そして少しばかり僕にとっても」とサンプラスは語る。「コートから歩み去る時、僕はただ『わお』と感じたよ。彼は本当に完成されたゲームを持ち、弱点がなかった―――そして、彼がそれをまとめ上げるなら、スポーツで多くの偉大な事を成し遂げられるだろうと感じていた」


彼は29歳―――獅子座―――で、ポール・アナコーンのコーチングを受け、7回のウィンブルドン決勝戦に進出し、ナイキのウェアを身につけ、そしてウィルソンのラケットを使用する。彼はロジャー・フェデラー、オール・イングランド・クラブにおける最近53試合で51戦の勝者である。

彼は今年、2011年の「ウィンブルドンの優勝候補」である―――サンプラスによれば。そしてアナコーンによれば、昨シーズンは準々決勝敗退だったが、今年のチャンピオンシップスのためにどう準備すべきかを、彼は正確に承知している。

「ロジャーと共にトレーニングの時間を過ごし、そして何年もの間ピートのそばにいたが、彼らは2人ともなぜ、そしてどうやって最高のテニスをするか理解している」とアナコーンは語る。「彼らは過去の経験を活かし、そして現在の傾向を理解するのだ。ロジャーのグラスコート時代はバックコートからのプレーがずっと多くて、より長いポイントや、様々な事柄がある。ピートの時代はもっと標的を狙うテニスで、サーブ&ボレー、いかに良いリターンをするか―――そういった事が主流だった。戦術は変化してきたが、心理面は変わっていない」

通常は、ベスト8での敗退は心配の種ではないものだが、10年前にサンプラスを破って以降、フェデラーはグランドスラムのシングルス・タイトルで彼のアイドルの記録を塗り替え、そして昨シーズンの前までは、2003年からウィンブルドン決勝進出を逃した事がなかったのだ。2001年も決勝進出は逃したが、その年のサンプラスに対する勝利は、彼が6回のウィンブルドン・チャンピオンになるのを後押ししたきっかけとして広く認識されている。

「あの試合は彼の才能を示していた」とサンプラスは語る。「彼はあの試合で僕を負かしたが、ゲームを支配するにはなお少しばかり時を要した。歴史的だ。僕は僕の10年を代表する選手だった。彼は彼の10年を代表する選手だ。そして我々にはあの素晴らしい1試合があり、そして言わばすれ違っていった。互いの全盛期に対戦しなかった事が少し残念だよ。きっと良いものだっただろうと思う。我々は一度だけ行き会って、そして彼が僕を負かしたんだ」


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