ESPN.com
2011年2月28日
サンプラスのサーブは今なお唸りを上げる
文:Greg Garber

月曜日の第1試合―――イワン・レンドル対ジョン・マッケンローという50代同士の戦い―――は、足首の捻挫によるマッケンローの途中棄権で終わったが、マジソン・スクエア・ガーデンで開催された BNP パリバス・ショーダウンのメイン・イベントは、それよりは若い男2人による試合だった。

2人の全盛期、ピート・サンプラスはテニス界最高のサーブを持っていた。そしてアンドレ・アガシは比類なきサービス・リターンで、通常はそれを帳消しにした。しかしサンプラスが現役最後の大会―――2002年USオープン―――の決勝戦でアガシを下して優勝してから8年半後、そのサーブは初めから、そしてしばしば、アガシを圧倒した。

1本のエースがセンターに決まり、観客席に飛び込んだ時、アガシにできるのは微笑み、そして目を見開く事だけだった、恐ろしげに―――あるいは本当に恐ろしかったのかも知れない。

サンプラスは最新の技術をいくらか借用するようになっていた。ラファエル・ナダルのゲームに、ロジャー・フェデラーに対して必要な爆発力を与える、超クールなストリングスである。

ガーデンにはスピードガンはなかったが、鋭い感覚を持つアガシの元コーチ、ブラッド・ギルバートは、この速いコートならサンプラスのファーストサーブは時速133マイルに達すると見積もった。現役の優れたプロ選手に対しても、速いコートでなら充分にサービスをキープできるものだ。

サンプラスは自信に満ちあふれ、背後の観客に何度も、どこへサーブを打つかを告げた―――センターか、ワイドかを。彼はセカンドサーブでも徹底的にサーブ&ボレーをした。

結局、サンプラスは39歳という年齢より若く見え、アガシは禿頭と内股の足どりが印象に残り、40歳そのもの―――か少し上に見えた。満場に近い17,165人の好意的な観客を前に、サンプラスが6-3、7-5で試合に勝利した。

「我々2人は、年のわりにはかなり良いプレーをした」と、サンプラスは自分の出来ばえに興奮した様子で語った。

サンプラスは基本に忠実で、前に出てアガシにプレッシャーをかけ続けた。アガシは、率直に言うと、慌てふためいて見えた。永遠のラスベガス・キッドであるアガシは、群衆を楽しませる事に懸命なようだった。

愉快な事? サンプラスは大げさに演じ、ジャンピング・ボレーを必要以上に激しく打ってみせた。彼はポイント後に感想を述べ、群衆を爆笑させた。

「我々が現役だった頃、ピートの最大の武器はサーブだった」とアガシが言った。「今でも同じくらい見事なようだった」

試合に先だっての目標は?

「僕の見込みは、気の毒なジョニー・マックに起こった事を見て、自分も怪我をするだろうという事だったよ」と、アガシは笑いながら答えた。「我々が少しばかり郷愁を生み出せたのなら良いが。それが、我々がここにいる理由だ」

まさしく。

テニスファンにとって嬉しい贈り物は、サンプラスとアガシが込み入った、そして対照的なライバル関係を新たにした事だった。彼らは合わせて22のグランドスラム・シングルス・タイトルを獲得し、内14はサンプラスで―――2人が対決した5回のメジャー決勝戦では4勝を挙げている。両者が認めるように、彼らのライバル関係には若干のアップダウンがあった。

これは1年前の「ヒット・フォー・ハイチ」で起こった惨事ではなかった。あの時は、パートナーのフェデラーとナダルが当惑する中、アガシとサンプラスはインディアンウェルズのチャリティ・ダブルス・イベントでやり合ったのだった。

長年のライバル2人は、 WWE(プロレス)スタイルの花火と「スター・ウォーズ」のテーマに乗って入場した。火花の固まりが噴出すると、サンプラスは驚いた様子で、急いでネット際の立ち位置へと飛び寄った。

彼らは試合の前に、微笑を浮かべて愛想良く談笑するのを忘れなかった。ウォームアップでは、アガシはロブを打ってから股抜き(between-the-legs)ショットを披露し、群衆をさらに湧かせた。その後、サンプラスはアガシを「友人でありライバル」と強調した。

大舞台ではサンプラスの方が、ただもう優れていた。アガシはアンフォースト・エラーを連発した。

第1セット3-5の場面では、アガシは2本のセットポイントをセーブしたが、次のポイントでサンプラスが巧みにショットを処理し、彼はセットを失った。

第2セット第3ゲームでは、アガシはダブルフォールトを犯して、サンプラスに致命的なブレークを与えてしまった。予想どおり、彼はすぐにブレークバックした。5-5、アガシのサーブでは、サンプラスがボレー・ウィナーを放ってアガシは15-30と追い込まれた。フォアハンドがネットにかかり、バックハンドが長くなり、試合はサンプラスの手に渡った。

それでも、由緒ある伝統のエキシビション―――多額の賞金がからみ、決着は第3セットまで持ち越される事が驚くほど多い―――で、アガシはお膳立てを壊したと感じられた。競り合いさえなかった。

サンプラスの1本目のサーブはセンターへのエースとなり、その後にもう1本、 リターン不能のサーブが続いた。バックハンドはネットに触れて相手側に落ち、そしてサンプラスがファーストでスピンサーブを放っても、アガシはリターンをネットにかけた。

「僕はサーブ&ボレーヤーで、彼はステイバックしていた」とサンプラスは語った。「それはボルグとマッケンローのような、巨人の対決だった」

その晩の超現実的な(そして魅力的な)要素の1つは、チェンジオーバーの間に、サンプラスとアガシによる過去の対決が大スクリーンで再生された事だった。ファンはもちろん、両プレーヤーとも映像を楽しんで見ていたようだった。

「当時は僕の髪もずっと多かったね」とサンプラスが言い、笑いを誘った。

「ピートは好調のようだ」とジョン・マッケンローは驚嘆した。「彼は何時間も準備してきたようだ。少なくともジムでは。どれくらいテニスをしているのかは、よく分からないが。ピートの動きは本当に素晴らしい」

「ピートは打ち込んでいて、それを見るのは嬉しい。何年間も、彼がプレーに専心している様に目を見張ってきた」



AP通信
2011年2月28日
ピート・サンプラスはアンドレ・アガシを圧倒する
文:Rachel Cohen


ピート・サンプラスは謝るように手を挙げた。彼のショットがネットインしてウィナーとなり、アンドレ・アガシに対して3本のマッチポイント握った時だった。

月曜夜にマジソン・スクエア・ガーデンで開催されたエキシビションの最中、2人の振る舞いは申し分なかった。

昨年3月のチャリティ・マッチとは違った。あの時は、アガシの冗談は悪ふざけが過ぎて、サンプラスはそれに応えて彼目がけてサーブを放ったのだった。

今回は郷愁に満ちた夜、サンプラスが6-3、7-5で勝利した。2002年USオープン決勝戦でアガシを下した、彼の現役最後の試合を再現する結果だった。

この都市は両者にとって、キャリアで多くの忘れ難い瞬間を経験した場所だった。

「僕は愛する人々に『ハロー』と言うために戻ってきた」とアガシは語った。

ジョン・マッケンローは短いショートパンツとふさふさの鬘を身につけて、旧敵のイワン・レンドルとの試合で群衆を湧かせようと準備していた。マッケンローにそのチャンスはなかった。試合の2時間前に足首をひねり、8ゲーム先取の1セットマッチで6-3リードとしたところで、途中棄権しなければならなかったのだ。

マッケンローはサンプラスとの練習中に負傷したのだが、耐え抜こうと努めた。走り回る時間を短くしようと積極的に攻めて、早い段階でリードを握ったのだった。

その後、弟パトリックとのコート上でのインタビューで、マッケンローは長い現代的パンツの下に「1985年頃」のショートパンツを履いていると明かした。さらに「1982年頃」の髪の鬘も用意してあった、と語った。

レンドルは、彼らが来年もガーデンに戻ってきて、短いショートパンツとウッド・ラケットで対戦すべきだと提案した。

そういった機知に富んだ冗談は、彼らが現役の間にはありそうもなかった。当時レンドルとマッケンローは、記録である20回の ATP ツアー決勝戦で対決していたのだ。しかし今や、彼らはともに50代である。

レンドルは背中に問題を抱え、14年間プレーしていなかったが、ジュニアのテニス・アカデミーを開設する計画もあって、コートへと戻り、シニアイベントに参加し始めた。

どれくらいプレーし続けるかは、はっきりしていない―――レンドルは旅をするよりも、フロリダの自宅にいてゴルフコースで過ごしたり、2頭のドイツ・シェパードと長い散歩をする方が好みなのだ。

「我々はしょっちゅう会ったりしている訳ではない」と、マッケンローは彼らの現在の関係について語った。「ある意味では過去とそれほど変わらないが、もっと穏やかな気分で互いを見る事ができるよ。メジャー大会で優勝しようとか、最高であろうとしている時にライバルを見ると、欠けているものとか、間違っているものに目が行きがちだ」

「年齢を重ねて、固執するものも大してなくなると、『まあ、我々双方とも、それぞれ多くの事をくぐり抜けてきた』と語るようになる。そして、こう考え始めるんだ。『まあ、彼の冗談10のうち1つくらいは面白いかもね』と」

合計で37のグランドスラム・タイトルを持つテニス界の偉人4人が、BNP パリバス・ショーダウンでコートに顔を揃えたのだ。彼らが引退してから久しいが、サンプラス - アガシ、マッケンロー - レンドルのライバル関係が更新されると、今でも鋭さが存在する。

4人は月曜日の朝に行われた記者会見で、過去の緊張関係について愛想よく言葉のジャブを交わした。

ちょうど1年前、アガシとサンプラスはチャリティの親善試合で対決した。マイクロフォンを着けて、アガシはサンプラスをケチだとあざけった。彼が自叙伝でも公言していた事だった。サンプラスはアガシに身を屈ませる高い、強烈なサーブで返答した。

サンプラスとの現状について尋ねられ、アガシは「厳密にプラトニックだ」と答えた。

「それは君がこの2年で僕について語った最上の言葉だよ」とサンプラスはからかった。

「我々は問題を解決した」とアガシは語った。「150回も言ったように、僕の完全な失態だった。『ヒット・フォー・ハイチ』は多額の募金を集め、我々は多くの良い事をした。だが不幸にも、我々は口元にマイクロフォンンを着けていて、そして僕は大いに喋った。その1つは良くなかった」

彼らはそれ以降、ラテンアメリカで2回のエキシビション・マッチを行っていた。

「僕としては、もう終わった事だ」とサンプラスは語った。

「起こった事は残念だが、アンドレは謝ってくれた。この6カ月間、まあ、大げさに騒がれすぎたよ。我々は今でもここにいる。彼はライバルであり友人だよ」


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